安倍首相のお礼ツイートが見せた真・民主主義の潮流(その1) の続きです。
でも政治家は透明性は嫌がるのでは
でも政治家なんて本当は透明性を嫌うのでは?と感じるかもしれません。そんなことはありません。自らの政治活動を透明化して可視化してその結果選挙に勝つ政治家は、可視化こそが行動規範になります。それがそのまま票になるからです。
昔は、そんな可視化はできませんでした。自らの成果を生々しく見られる人は、周りのごくわずかな人でした。その人たちは、その政治家の政治成果から、これからも政治家を続けてほしいと思うことでしょう。
しかし、それだけでは票は十分ではありません。したがって、その人たちを中心に組織を作り票を集める必要があります。これが組織票です。
ただ、残念ながらその組織票の中には、ほとんどその政治家の実績を知らない人もいるでしょうし、組織の中には、内心票を入れたくない人もいることでしょう。ただ組織の一員として集票活動する人もいるでしょう。
そこに問題があります。もちろん個人個人は自由投票ではあり、当日それぞれの人が本当に誰に入れているかはわかりませんが、組織と一員として、票を集めるために行う活動は、必ずしも自発的に行われているわけではありません。でもなぜやるかといえば、それに見合うなにか見返りがあるわけです。たとえばいろんな既得権です。
そういうものは、なにもかも明らかにしてしまうと都合の悪いものもいろいろあることでしょう。結果ごまかすしかありません。そのようにして集められた票によって当選している政治家は当然いろいろごまかさなくてはいけないことができてしまいます。それが政治家につきまとう不透明感です。
でも、政治家が自分の活動を有権者に直接発信することができて、それで直接有権者の支持、そして投票行動に結びつけられるのであれば、可視化できない組織票に頼る必要はありません。
政治家は有権者の声に支えられ当選し、その声に基づいて政治活動を行い、それを可視化することでその成果を有権者に確認してもらうという行動原理で動くことができるようになります。
その行動原理の元では、政治家は喜んで透明性の高い可視化を行うでしょう。だってその方が次の票につながるのですから。
民主主義が真の姿で試される
つまり、私たちの民主主義は今大きく進化しようとしているのです。むしろ今までの「旧・民主主義」はまだまだ幼稚だったのです。未熟なITしかなかったために、有権者は政治家の活動や成果を生々しく見ることができず、そのためにそれを広める組織を持つ者こそが選挙に強い政治家になりました。そのために表立っては言えないようなこともあり、政治家には常に不透明感がつきまとっていました。それはその政治家が悪いのではなく、システムが悪いのです。
今その構造がガラガラと音を立てて崩れようとしているのです。
有権者一人一人が政治家の政治活動を直接見聞きしてその政治家を判断するという、民主主義が本来あるべき構造になろうとしているのです。
その「真・民主主義」がうまく働くのか、私たちはまだ知りません。だって今までそのような制度が運営されていたことはないのですから。
しかし、どうせ民主主義で社会を運営するのであれば、この「真・民主主義」を試さないわけにはいきません。だって、「旧・民主主義」より、ずっと理想に近い形ですから。
その「真・民主主義」がかつての政治とどのように違ってきているかは、いろんなところで伺うことができます。
(つづく)
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: 政治家なんて裏だらけなんて思い込んでましたけど、それはシステムのせいかもしれないとは・・。
フツクロウ: ホッホッホ。