よく「まずはなんでもやってみなくちゃ」って言われるじゃないですか。

 それで「まずはなんでもやってみなくちゃ」と心がけてる人は、周回遅れです。

 その話をする前に、少し違う似た話から。

 何事も失敗しながら覚えていくといいますが、少なくとも人間はそれでは生きていけません。

 たとえば「10階から落ちたら死ぬ」ということは、経験して覚えるわけにはいきません。死にますから。少々高いところから落ちたら痛いという経験と、「死ぬ」を議論するのはややこしいので、「10階から落ちたら大怪我よりたいへんなことになる」くらいに翻訳して、経験することなく、それは危険であることを学ばなければなりません。

 しつけで叩いていいのかという議論がありますが、この観点から見れば、少なくともそれがトレードオフであることがわかります。叩いて躾ければ、少なくともその禁止行為は、体が反射的に止めるようになるかもしれません。しかし、それでは、応用が利きません。なぜそれがだめかを頭で考えて、それ以外の未知の局面で同じような禁止事項に直面した時に、対応できるようにするには、叩いていては埒があかないのです。

 うちの子は、ラーメンはすすっていいと教えられていても、そば、うどん、スパゲティなどに出会うたびに、これはすすっていいのかと聞いていた時期がありました。それくらい応用は難しいのです。

 
 閑話休題。


 「なんでもすぐやってみる」ように見える人は、実は、「なんでもできない」ことを知り抜いています。だって、そんな時間ありませんから。

 それでも、すぐにできることはやってみます。そうやってたくさんいろんなことをやっているので、新しく「今までやってないこと」をやっても、結構上手にやれたりします。そういう人いますよね。

 それでも、なんでもかんでもやれるわけではありません。そんなのいくら時間があっても足りません。

 ですから、「なんでもすぐやってみる」ように見える人は、実はやることを「厳選」しています。自分のやれることに限りがあることを知り抜いていますから。

 でもそうやって厳選して試したことを元に、それ以外の「やってない」ことについて、大いに今までの経験を生かして、それがどんなものかを想像することができます。

 そのため、「やっていなくても」ある程度それをわかることができるようになります。それでも、もしやれば「ああやっぱりやってみないとわからないことがあるな」と言うのですが、結構わかってた上でのさらなる収穫だったりするわけです。

 そして困ったことに、この本当に「なんでもすぐやってみる」ように見える人たちは、ですから「まずはなんでもやってみる」と言うことがあまりありません。なぜなら、本人たちは、全然「なんでも」できてませんから。興味のあるものすべてを「やってみる」時間はどこにもなく、もうほんとにその一部しかやってませんから。それでも、「なんでもすぐやってみない人」に比べたら、ものすごい数やっているのですが。

 ここまで書くとタイトルが自己矛盾しているのですが、「なんでもすぐやってみる」ように見える人たちは、「まずはなんでもやってみる」とは思っていないというくらい、周回遅れなのです。

 「なんでもやってみなくちゃ」と心がけているくらいでは、遥か彼方なのです。

《ワンポイントミライ》(

ミライ: これ、共感の話にもなるんですよね〜。

フツクロウ: ホウじゃな〜。

ミライ: 世の中ほんとにいろんな人がいるし、会ってお話すれば、どんどん共感できるんですけど、現実、あらゆる人に会ってお話できるわけではありません。