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 ボーカロイドのおかげで、作曲・作詞っていう存在感が良く見えるようになりましたよね。

 こんなツイートを拾いました。

中2の長男坊は、歌番組とか自分からはめったに見ないんですが、親が見ていると時々「この曲、作詞・作曲は誰?」と聞いてくる。「何、ボカロ聞いてると、そういう発想になるの?」と尋ねると、「うん。というか、ボカロ聞いてないと、そういう発想にならないの?」

― 丹治吉順 aka 朝Pさん (@tanji_y) 11月 28, 2012
 私が小学校の頃はザ・ベストテン全盛で、ベストテン入りする曲は全部カセットテープに取ってたし、毎週1位から10位まで全部そらで歌えるくらい熱心でしたけど、作詞・作曲が誰とかまったく意識にありませんでした。太田裕美はシンガーソングライターっていって自分で書いてるんだよ、へーすげーくらいで。

 むしろある曲が誰かにカバーされると「それはおかしくないか、あの人の歌だったのに」と軽く憤りを感じるくらい、歌は歌っている人にがっちりとくっついてました。なんでそんな風に思ってたのか自分でもあきれるほどです。その後、歳を取るにつれ、だんだん歌手以外の存在に意識が行くようになりましたが、小さい頃はそんなでした。

 なのでこの親子の対話の対照は鮮やかだなあと思います。ボカロ曲は、歌い手は人間じゃなく作詞・作曲が誰かを意識せざるを得ないですから、長男坊さんの反応は当たり前だと思うし、でも昔の自分はそんなの全く気にしていなかったのも確か。親の側の「何、ボカロ聞いてると、そういう発想になるの?」もボカロ曲以外で育ってきた人なら少なくない反応だと思います。歌ってもともと、なかなか作り手を意識しにくいものではないでしょうか。

 でもボカロが普通になったら、作曲家・作詞家が意識されるようになりました。しかもこんな風に10代の人にも。歌の素顔が出てきたのです。ボカロ曲を聴いていると作曲者達の想いがそのまま流れ込んでくる感覚は幻覚にも近いです。以前、ボカロ曲は根が暗過ぎて最後まで聴けないという意見があり、それに対して感想を書いたこともあるですが、そうやって聴けない人が出るくらい生々しい体験です。

 じゃあ歌手はいらないのかというとむしろ逆で、ああこの曲をあの歌い手さんが「歌ってみた」らどんなにすごいだろう、あの歌い手さんならと、ますます期待は膨らむし、実際「歌ってみた」聴くと「やっぱ人間最高!」とか思っちゃう自分もいるし。いやもうどっちもなくなってもらったら困ります。

 ボカロが出てきて音楽にとってものすごく幸せな時代になったんじゃないかと思います。これからの音楽楽しみですね。

追記:たくさんのコメント・ツイートありがとうございます。追記書きました!

・併せてどうぞ
ボーカロイドが制御されていない感情を生々しく描き出す】 これ書いたときは気がつかなかったけれど、最後まで聴けなかったという曲たちも、「歌ってみた」なら聴けるんじゃないでしょうか。