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なぜ人間界が弱肉強食ではないのかという話が盛り上がっていますね。
弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います...
そこのベストアンサー見てなるほど〜といろいろ参考になったのですが、海燕さんも話題にされたのを見て、
なぜ、弱者を保護しても「自然の摂理」に逆らうことにはならないのか。
ここでも取り上げようと思いました。
「弱肉強食」。元記事のベストアンサーにもあるように、現実は強食の側のはずの捕食者は簡単には補食することができず、つまり自然の世界は「弱肉強食」ではなく「共存共栄」「適者生存」だということが分かっていますし、人間の社会も違いますから、結局この世界に「弱肉強食」なんて世界はなく、架空の概念です。
ですから、未来において、その言葉は廃れて忘れられる運命です。あ、一応小学生くらいに自然も人間社会も「弱肉強食」ではなく「共存共栄」「適者生存」だよと教えられる時に出てくるかもしれません。
自然はもともと完璧な「共存共栄」で、人類ももともとそうだったけど、人間だけで大きく発展し始めたとき、人間同士の中で「弱肉強食」的な面が生まれました。「弱肉強食」は人間が生んだのです。でも、社会全体ではほとんど「共存共栄」がベースで一時期「弱肉強食」面がひどい時もあったけど、今はまた「共存共栄」になりましたと。
もし、あなたが、社会は「弱肉強食」の方がいいのではないか、その方が自分の税金が減るのではないかと考えているとしたら、それは間違いです。あまりにも想像力が足りません。今すぐ、
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なぜなら、社会がほんの少し「弱肉強食」になるだけで、即あなたはとっくに食われる立ち場だからです。その想像が足りません。私たちは「自分も弱者、あるいは一瞬で弱者になる可能性のある」人だからです。
どこから手をつけていいか戸惑うくらい私たちはみな弱者側なのですが、たとえば、この世は一部の富裕層に富が集中しています。本格的に弱肉強食になったら、わたしら全員もっと奴隷みたいな生活ですよ? もちろん今まさにブラック企業が大きな社会問題となっていて、つまり社会のいまだに弱肉強食の面が出ていて、でもそれを解決しようと懸命に取り組んでます。
しかし、弱肉強食を肯定するなら、社会総ブラック企業化です。このコンテキストでは、私たちはすでに弱者です。自分の税金が自分より弱者な人に行くのを嫌がったら、自分の収入が限界まで減らされたでござるなのです。
とはいえ、私たちは非常に数が多い。日本映画の金字塔「七人の侍」でも、一番強いのは一番弱く見えた農民でした。岩手の県議員がちょっと失言したら自殺に追い込むパワーを持った、そう私たちは強者です。という風に考えるとしましょう。
その場合は自分が「一瞬で弱者になる可能性のある」人間だという想像が役に立ちます。例はいくらでもありますが、大切なのはそのうちのどの弱者が社会から切られるかではなく、そういうのを切る社会は、どれも切ってしまうということです。無数にある弱者の可能性と、その弱者が全て切られてしまう社会では、たとえ自分が今弱者でないとしても、いつ弱者になるか分からない恐怖で、生きていけません。
具体的にどんな可能性があるでしょうか。
一番簡単なのは、池袋歩いてたら、脱法ハーブ吸った車に突っ込まれて、全身不随です。あなたは一命を取り留めましたが、弱肉強食の世界なら、そんなあなたは姨捨山行きです。
かつて肉体労働が機械に取って代わられたように、これから、創造性のいらない単純知的作業はどんどんコンピュータに取って代わられます。そのとき、あなたは自分のクリエイティビティに自信がありますか? 1年後今の自分の仕事がコンピュータで自動化できるようになり、あっという間に広がります。クリエイティビティの高い人は人間が担うべき新しい技能を見につけ適応していきますが、あなたは付いていけず、リストラ。その後就職活動に失敗、ホームレスか生活保護に。今でも支援が十分とは言えませんが、今よりひどいなら、あなたは道で野たれ死ぬしかありません。
あるいは職場で
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