前回の、

 博士(工学)が教える自由研究の導き方  

で自由研究で子供に自律的に問題解決ができるように導く手順を示しました。自由研究で自律研究を学ぶのです。

 しかし、そんな大事な宿題であるにも関わらず、自由研究はなぜか親に丸投げ状態です。

 なぜか。それは、自律的に研究を始めるかということが、その子にいつ起こるか分からない、とても属人的な現象だからです。

 たとえば社会見学に行って、自分の疑問について調べまとめるといったことは学校で普通にやっているように、条件を限定した上で自発的な疑問からスタートするというのは学校でもできます。

 しかし、自由研究というのは、なにをしてもいいのです。なにをしてもいいというところで、まず自発的に疑問を持つというところが簡単ではありません。

 しかもその疑問を研究しようとしたら、その子の手に負えるものでないといけません。プロの研究者ですら、結果が出そうな問題に取り組むというのが、実はもっとも重要な能力だったりします。小学生が自由研究ではなにをするかというのは、同様にとても難しい問題です(これ前回に含めるべきないようですね)。

 さらに前回示したように、研究の進め方には段階があります。
0. 親が一緒にする。親と実験・観察できて楽しいという研究体験レベル。テーマも親がうながす
1. テーマは自分で決める。親は直接手は出さないが、アドバイスは惜しまずする。研究実習レベル
2. どんなに小さくてもいいので、自分で計画し実験しまとめる。どうしても困るとこだけ親がアドバイス。見習いだけど、ここで立派な研究者。
3. 夏休みに限らず、日々の疑問を研究しまとめる。いわゆる実験・観察以外の分野でも同様に問題解決を実践する。

これらは誰もが1年で0から3まで進めるようなものではありません。少なくともうちでは3年くらいかかる予定です。

 つまり、自由研究では、自発的に疑問を持つことも必要ですし、それだけでなく、上記のステップを踏みながら何度もしなくてはいけません。しかも基本的には本人の自発的な取り組みによって。もし、しびれを切らして親が指図した場合、学校の宿題としての結果は出せますが、本人が自律研究するようになることについては、なにも進みません。

 これで、学校が丸投げをする理由が分かります。

 学校では、全ての子供がある段階である学習すべきことを一定以上理解できるよう指導する役割を持っています。日本ではそれがとても良く実現されていて、たとえば識字率はほぼ100%です。
 一方、自由研究のステップのように、それぞれがいつ自発的に起こるか分からないようなステップを個別に対応する仕組みはありません。上記のようなステップを整備して、それぞれの子が今どのステップか評価することはできるかもしれませんが、その瞬間、親たちは自分の子の到達度によって、次に早く進むよう「指図」するかもしれません。それでは進みません。

 ですから、今の仕組みでは、学校はノータッチのが無難です。もちろん、学校よりも親の方が子供のことは分かりますし、個別対応もできますから、親ができるのであれば親の方がいいに決まっています。ただしどの親にもできるわけではありませんから、まさに「親が試される」ことになります……。

 このように、おやにとってもっとも悩ましい課題「自由研究」。前回書き忘れましたが、一番大切なことは、「ほとんどの場合ぱっとしない結果になる」ということを覚悟しておくことです。
 失敗を恐れて挑戦をしないのはいけないとか、挑戦すると成功か失敗をすると言われていますが、それはまったく的外れです。挑戦したとき、ほとんどの場合は、平凡な結果に終わるということです。

 昨年の長男の自由研究も言ってしまえば摩擦の式を確認しただけで、