講談社がLGBT団体からのクレームが怖いので、性転換を扱ったマンガの単行本出版をやめたという話がありました。
「境界のないセカイ」、出版社の判断で連載終了 “表現上の問題”が原因か - ねとらぼ
問題とされている第5話は読めていないのですが、その前後読めるところを読む限り、むしろ全体としてはまさに「境界のないセカイ」への啓蒙を目指しているのは明白でその過程で対比として偏見のような表現がでるのは普通に思えます。とはいえ、読めてないのでその点は判断しようがありません。なのでここでも取り上げることができないでいました。
そうしたら、今日びっくりする記事を見ました。
【境界のないセカイ】発売中止にLGBT団体が声明「作品に問題はない」
性的マイノリティ(LGBT)の団体「レインボー・アクション」がわざわざ
この作品の性に関する描写に、他の作品と比べて特段の問題があるとは思われません。と声明を発表したのです。
もちろん、これが全LGBTの意見ではありませんが、きちんと声明を出すということは画期的ではないでしょうか。「境界のないセカイ」は他の形での単行本化を模索しているとのことですが、これで受け入れ先の確保に大きく前進するのではないでしょうか。
それにしても、「レインボー・アクション」があえて声明を発表した理由がとても示唆に富んでいます。
「性的マイノリティの団体・個人の圧力」という多分にフィクショナルな理由に基づき、表現行為に対して自粛を迫るという行為がもしもあったとするならば、それは人権を守るためとても大切な、表現の自由を抑圧するものだろうと考えます。講談社のような自粛を許していたら、表現の自由は抑圧され、かえってLGBTを含めみんなの人権を守ることができなくなると訴えています。これを許していては、むしろLGBT問題は悪化するという強い危機感を持ったから、声明をわざわざ出したのです。
なかなか難しい問題ですが、実はテレビの世界ではある流れが生まれています。ローカル番組に出る大物芸人が増えているという話題です。最近ちょくちょく記事を見ます。たとえばこれとか。
日刊ゲンダイ|松本人志も千原ジュニアも 芸人ら続々“ローカル回帰”の裏側
もともと地方はより自由な番組ができました。「吉本新喜劇」は東京の人でも名前くらいは知っているでしょう。私も幼い頃からそれを見て育ちました。福山に引っ越してからちょくちょく見ていますが、まあ、東京でやるのは不可能です。
そんな土壌がありますから、地方で伸び伸びやりたい!という思いが爆発する番組が出てきます。「たかじんのそこまで言って委員会」なんか、その典型でしょう。出てる人みんな生き生きしてます。キー局の番組とスケジュールぶつかったから、こっち選んじゃった☆なんて人もいますし。
つまり、全国区なテレビ局は自由に番組を作れないという状況になってきているわけです。それは東京が悪いというわけではありません。東京の一応ローカルテレ東は、ずっと自由な番組作りができています。つまり全国規模になってくると、いろんなクレームが入るようになり、無難にならざるを得ないのだと思います。
講談社にも似た構造が見えます。大手出版社ですからそれだけ無難にならざるを得ない。したがって、今後、テレビでいう地方局のような、規模の小さい出版社が増えていくのではないでしょうか。出版の場合、地方というローカル商圏が成り立ちにくいかもしれないので、ビジネスモデルに明確なイメージありませんが、いわゆるコミケには、いわばもっとも小規模な出版社が集まっていて、多彩な表現をしています。
今回の「境界のないセカイ」の受け入れ先も、講談社よりはずっと小さい出版社になるかもしれません。
さて、表現の自由といえば、少し前にフランスの風刺雑誌シャルリー・エブド襲撃テロ事件がありました。行き過ぎた表現が戦争を起こしてしまうという現実に、表現の自由のあり方を深く問われる事件となりました。
今回の騒動も私たちに考えるべき問題を投げかけています。