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10年前のドラマ「女王の教室」での指摘を正しくする
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10年前のドラマ「女王の教室」での指摘を正しくする

2015-06-23 00:00

     最近、10年前のドラマ「女王の教室」での指摘がまさに今だという記事が話題になっていました。

     10年前のドラマ「女王の教室」での指摘、現在の日本の姿と完全に一致していることが明らかに | BUZZAP!(バザップ!)  

     話題となっているセリフはこちら。
     いい加減、目覚めなさい。
     日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

     今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。
     「戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦って」あたりが、今ホットな安保法案を連想して話題になっているのでしょう。

     でもちょっと待ってください。この世を生き抜いていくには、このセリフの正しいところと正しくないところを見定めていかなければなりません。そして、もう今このセリフは過去になっていることも。

     まず10年前、このセリフの正しいところ。あ、いや、20年くらい前まででしょうか。

     それは「今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。」の部分。ただしどういう風に愚かであってほしいかというと、テレビCMなどの広告でほいほい買う気になってくれて、買ってくれるような愚かさです。

     「愚か」というと本当は語弊があって、別にみんなで楽しく消費してその分が給料に回って景気が良くなるならそれでもいいのでしょう。必要もないのに毎年車を買い換えたっていいのです。そういう大量生産消費時代が立ちいかなくなったのは、エネルギーや資源の問題からです。

     ですから、人々はモノではなく、ちょうど発展してくれた情報の大量消費に移行しました。モノの大量消費は控えるようになりましたが、大量消費気質はこれっぽっちも変わっていません。モノの代わりにスマホのゲームとかモノがいらないものをひたすら消費するようになりました。

     が、情報を大量に消費しするとき、人々は必ずしも大企業の作る大量生産のものに頼る必要はなくなりました。情報は大企業でなくても作れます。一般の人が書くブログのように。それをタダで読むことができます。むしろその多様性を知れば、大企業の作り出す情報なんて画一的で退屈です。

     そして、10年前(20年前?)のそのセリフが、その時から間違っているのは、「高い税金を払うことで成り立」つという部分。税収は54兆円とか、国民総生産(GDP)の方は460兆円とか、GDPの方が一桁上です。税金よりも国民が使うお金の方がよほど重要です(というか所詮その一部しか税金に回らない)。

     で、国民が使うお金というのは、よく考えると実にあやふやで、たとえば、ある朝みんな起きた時、あれなんでサッカーって面白いんだっけってわからなくなってサッカーに興味を失ったとしたら、莫大な経済損失になります。昔見積もったことがありますけど、少なくともGDPの半分くらいは、そういう絶対必要というわけでないものが支えています。

     そういう意味で私たちは相変わらず「愚か」である必要があります。別に理由なんてないけどぼくはこれにお金を払うのだ!で、財布の半分を持って行かれなくてはいけないのです。それは損なことではありません。私たちの給料の半分はそういうとこからきているのですから。

     ということで改めて、くだんのセリフを整理をすると、昔は「特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせる」ということがあったなら、それは、大量のCMによるむりやり需要喚起で、人々が大企業の製品を買いまくっておこりました。税金はほんの一部です。

     まあでもその構図はとうの昔に崩れてしまっています。 
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