東京オリンピックのエンブレムは、国立競技場に引き続き「や・り・な・お・し」になりました。傍目には、とうの昔に死に体であったにもかかわらず、なぜここまでひきづったかといえば、もうエンブレムは活動を始めており、テレビのCMなどにもよく出てきています。つまりビジネスが動き始めてしまっており、引っ込めるとなればその損害賠償をどうするのかとか恐ろしく面倒な話がいっぱい出てくるので、そりゃあ関係者としては引っ込めずになんとか使いたいと思うのが当然でしょう。
とはいえ、もはやあのエンブレムを最後まで使うのは難しく、すべての関係者に諦めてもらうのに手間取っていたと思うのですが、そういう意味で、展開例にわかりやすい著作権違反は、全関係者が「もはやこれまで」と諦めがついたわけで、むしろそこまでやらかしててくれてホッとした人も沢山いるのではないでしょうか。あのまま盗作か否かで裁判引きずりながらエンブレム使い続けるとかしんどすぎます。
それにしても、国立競技場の件といい、エンブレムの件といい、途方もない内輪感、つまりいろんなことが内輪の間で進められているように見えたことに、強い衝撃を受けています。
さかのぼってみると、2005年頃は、たとえば福岡がオリンピックの候補地として名乗りを上げていました。私はそういった東京以外でやることに大賛成でした。東京以外の都市をえいっと持ち上げることで、日本がますます発展すると思っていたからです。むしろいまさら東京でやってどうするんだよと思いました。
しかし、結果的に日本からの候補は東京に絞られ、2016年は逃したものの2020年に決まり、まあ勝ち取ってきたからには祝福はしていました。
しかしながら、国立競技場とエンブレムという大きな問題から見えてくるのは、東京に集まる内輪の中で物事が進められる実態です。
さかのぼって、なぜここはぜひ東京以外の福岡など他の都市でオリンピックをということにならなかったのか、思い知らされた気がします。
東京でやればいろんなことが内輪で進められるからなのでしょう。まあ全員電車で1時間圏内にいるわけですから、お互いツーカーで、円滑にものごと進められて、内輪で分け前分配できてなんて構図が描けるから、そういう人たちがしゃかりきに東京に引っ張ったのかと思うに至りました。
残念ながら東京以外の都市でオリンピックをやって、日本が脱皮するという夢は叶いませんでしたが、ここに来て、逆に東京の膿を東京オリンピックが出してくれるという効果が見えてきました。
競技場にしても、内輪の要望全部聞いといて、費用は膨れ上がったけど、まあ結局税金が出してくれるでしょという20世紀の進め方がそのまんま露呈して、しかし今回はそんなことまかりならんと日本中が怒りました。
エンブレムにしても審査の過程とかまったく不透明です。問題が発覚した直後から、佐野氏一人が頑張っているわけではなく、STAP細胞のときと同じように、大勢の関係者がエンブレムはこのままでないと困るという態度がありありと出ていました。
まあでも今回内輪で進めて甘い汁を吸おうとした人たちについて、少なくとも二つのクラスタで甚大なしっぺ返しをくらったわけです。
これを世界中に見られているかと思うと恥ずかしくはありますが、これはいい機会ではないでしょうか。