岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2017/04/28

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2017/04/02配信「氷川竜介と語り倒すアニメ界の行く末」の内容をご紹介します。
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2017/04/02の内容一覧

『シン・ゴジラ』は「アニメ」である

岡田:放送前に氷川さんがおっしゃってた「『シン・ゴジラ』って「アニメ」でしょ?」って話がものすごく面白くって。ちょっとそれを伺いたいんですけど。

氷川:もちろん、庵野さんがアニメの監督をやっているっていうのはあるんだけど、世界観の構築だとか、最終的な作り方、「世界をどういうふうに見るか? あるいは見せるか?」っていう考え方が、やっぱりアニメなんじゃないですかね?
 パーツがたまたま実写の役者さんだっただけでね。

岡田:つまり、アニメーションでいうキャラのセルの部分が、役者さんなだけであって。

氷川:しかも今回は、役者さんという「生」が、パーツとしてすごく効率よくはまっているんで、あの密度感になってるんだと思うんですよね。
 僕は、完成するまでの手前のやつをいっぱい見ているんですけど。役者さんがアニメのセルみたいに「演技させてもらえずにセリフを喋らされているだけ」という状況に不満を持っているんじゃないのかなと、チラッと思った瞬間もあったりしたわけなんですが。
 「止めセル口パク」みたいなシーンが多いじゃないですか。

岡田:ああ、そうか! たしかに『シン・ゴジラ』の演技って、ほとんど止めセル口パクだった。はいはい、そういうふうに言われればそうですね。

氷川:多いでしょ? 6割7割のカットはそうなっている。普通だったらもっと間を取ったり―――。

岡田:演技をやらせてあげますよね。

氷川:だけど、『シン・ゴジラ』ではそうじゃなくて、これはもうソリッドに「必要な情報を必要なタイミングで必要な分だけください」っていうような作り方ですからね。

岡田:日本のアニメが、止めセル口パクになったっていうのは、「アニメーターに演技を任せるなんて贅沢」っていうのかな? 監督側がそういうのを期待してないからですよね。

氷川:アニメで演技をさせようとすると失敗の確率が高くなるからですよ。つまりアン・コントローラブルになるということですよね。
 そして、「コントロールしたい」っていう意識を持っているかどうかっていうのが、アニメかどうかの瀬戸際で。

岡田:画面全部をコントロールしたいという欲望が強いと、映画作りというのは、アニメにどんどん近づいていく、と。

氷川:だけど、一般論的に、実写の映像というのは「ライブアクション」というくらいで、ライブっていうのは「生」のことなんですね。生ものなんですよ。
 その生っていうのが何かというと、役者の持っている偶然性とか、生理とか、そういったお題の中で役者に振ったときに出てくるものっていうのを、カメラで切り取って積み重ねていって、あとで編集で編み上げるっていうのが、ライブアクションなんですよね。
 撮られたフィルムのことを「ショット(shot)」っていうでしょ。ショットってシュート(shoot)の過去分詞じゃないですか。つまり、狩猟みたいにして、生の素材を―――。

岡田:「ジビエ」なわけですね。その場で獲れたものを活用する。

氷川:「そういう生の素材を、編集でどうやって料理するか?」ってことになる。でも、アニメの場合は、最初っから―――。

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