岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2017/11/10
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2017/10/15配信「リドリー・スコット監督『エイリアン: コヴェナント』は神と人間の物語」の内容をご紹介します。
岡田斗司夫アーカイブチャンネルの会員は、限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画などのコンテンツをアーカイブサイトで自由にご覧いただけます。
サイトにアクセスするためのパスワードは、メール末尾に記載しています。
(※ご注意:アーカイブサイトにアクセスするためには、この「メルマガ専用 岡田斗司夫アーカイブ」、「岡田斗司夫 独演・講義チャンネル」、DMMオンラインサロン「岡田斗司夫ゼミ室」のいずれかの会員である必要があります。チャンネルに入会せずに過去のメルマガを単品購入されてもアーカイブサイトはご利用いただけませんのでご注意ください)
2017/10/15の内容一覧
- 本日のお品書き
- リドリー・スコットが自作品を仕切り直した『エイリアン:コヴェナント』
- リドリー・スコット、ヒットの後
- 神と人間の関係を描いた『プロメテウス』
- マーティン・スコセッシ『沈黙』で描かれた、神様の声を聞きたがる人間
- 『エイリアン』シリーズは、『2001年宇宙の旅』になる?
- キューブリックの後継者になりたかったリドリー・スコット
- 捨てられないTシャツ:MIT(マサチューセッツ工科大学)
- Q:『約束のネバーランド』は、カズオ・イシグロ『私を離さないで』のパクリ?
- 段取り芝居になってしまったアニメ版『いぬやしき』
- 中年オタク歓喜の『アニメガタリズ』
- 昔のアニメ制作現場がリアルにわかる『宇宙戦艦ヤマトの真実』
- 友情・努力・勝利のリアリティがハンパない『ハケンアニメ!』
- 放送200回記念プレゼント
段取り芝居になってしまったアニメ版『いぬやしき』
じゃあ、今季のアニメに関して話しましょう。
まずは『いぬやしき』ですね。
「定年を間近に控える冴えないサラリーマン・犬屋敷壱郎は、会社や家庭から疎外された日々を送っていたが、ある日、突然、医者から末期ガンによる余命宣告を受け、ヤケクソになる。その晩、突如飛来したUFOの墜落に巻き込まれ機械の身体に生まれ変わった彼は、人間を遥かに超越する力を手に入れる。しかし同じ事故に遭遇した高校生・獅子神皓は、手に入れた力を己の思うがままに行使し始めていた。自分の意に背く人々をただただ傷付ていく獅子神と、それによって傷付けられた人々を救い続ける犬屋敷。人間の本質は善なのか、悪なのか? 強大な力を手に入れた2人が、今、それぞれの想いで動き出す」
という話だそうです。この若い兄ちゃんではなく、じいさんの方が主役の話なんですけど。
これ、原作のマンガは面白いんですよ。『GANTZ』を描いていた奥浩哉さんのマンガなんですけども。
マンガの中では、このじいさんは、こんな感じなんですね。これは、じいさんが変形して、機械の腕をガチャっと出すシーンなんですけども。これは面白いんですね。
でも、今期始まったアニメの方は……僕、まだ、第1話を見ただけなんですけども、「これはツラいなあ」って思ったんですよ。
なんでツラいのかっていうと、原作通りにやり過ぎちゃってるからなんですね。マンガとアニメは違う媒体なんですよ。
『メイドインアビス』はマンガの通りにやってるんだけど、すごくうまく作れてる。ところが、今回の『いぬやしき』は、マンガの通りに作っているんだけど、なぜかうまく作動していない。この差は何なのかっていう話を、今日はちょっとしてみようと思います。
「残念ながら、ちょっと「段取り」になっている」っていうところが、僕がつまらなく感じたところなんですね。
段取りっていうのは何かというと。僕がこの言葉を最初に聞いたのは、昔、アニメ監督の北久保弘之が、宮崎駿に怒られた時なんですよ。北久保弘之君は、ロリコンアニメとかの監督をやっていた人なんですけども、一時期、宮崎駿にすごくかわいがられていたんですけど。
彼が、ロリコンアニメを作った後に監督を務めた作品に、『ロボットカーニバル』っていうのがあるんです。
ロボットカーニバルというのは何かというと、大友克洋がアニメーション版の『AKIRA』を作る前に、知り合いのアニメーターをいっぱい集めて、「1人1人のアニメーターが映画監督みたいに監督を務める短編集みたいなものを作ろう!」といって作ったアニメです。
(中略)
この短編集の中で、北久保弘之君は『明治からくり文明奇譚』というのを作りました。「明治時代の街に巨大ロボットが現れて、もう1つのロボットと戦う」という作品なんですけど。
すごい頑張って作ったこの作品のコンテが出来た時に、当時かわいがってもらっていた宮崎駿に見せに行ったんですね。でも、それを見た宮崎駿は「こんなものはダメだ! これはギャグじゃない。「マンガ」だ!」と言ったんです。
例えば、その明治時代の巨大ロボットを操る悪の博士というのが出てくるんですけど、その人が使っているロボットのバッテリーが途中で切れちゃうんですね。で、バッテリー切れをどうにかするために、その博士は、結局、「自転車型の発電機」を一生懸命こいで発電することによって充電するというシーンがあるんですよ。
宮崎駿は、ここを「これはマンガだ! これでは段取りだ!」というふうに言うわけです。
これは北久保弘之の中に「自転車で発電する」という発想がまず先にある。そして、このコミカルなシーンを見せたいがために「電力不足になる」という前のシーンが必要になっている。つまり、「電力不足になる」というシーンを見ただけで、「この後、おかしな方法で発電するんだろうな」という展開が、見てるお客さんに先読みされてしまう。
「これは段取り芝居になっちゃってるじゃないか!」と。もし、電力不足というシーンを作るんだったら、客が予想できない方法で解決策を見せない限り、アニメでは、やっちゃいけないんですよ。
こういった段取り的な展開も、マンガだったら構わないんですよ。「いかん! 電力不足だ!」と言った次のコマに「自転車で発電する」というコマを置いても、そんなに無茶じゃない。
それはなぜかというと、マンガというのは「読む人間が自分のペースでページをめくれるから」なんですね。だから、先を予測する暇がない。マンガっていうのは、案外、みんな早く読んでいるものだから、次にどうなるかを考えながら読むようなものではないんです。
ところが、これがアニメになると、どんな描写にも絶対にある程度の秒数が必要になる。「いかん! 電力不足だ!」って言った後、自転車発電機に移動するまでの間にも、やっぱり「ハシゴを下りていく」とか、「自転車に乗る」とか、そういう描写を何秒か使って入れなきゃいけない。そして、その間に、絶対に客にこのオチが読まれてしまう。
だから、「コンテを描いているつもりで、お前が描いているこれは、マンガだよ。だから、段取り芝居になっちゃってるんだ」って言ったんですね。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
アーカイブサイトへのアクセス方法
限定放送を含むニコ生ゼミの動画およびテキスト、Webコラムやインタビュー記事、過去のイベント動画など、岡田斗司夫のコンテンツを下記のアーカイブサイトからご覧いただけます。