岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/01/20

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2015/11/15配信「100回記念?眠気MAX方向性が迷子のアンケートSP」の内容をご紹介します。
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2015/11/15の内容一覧

頭をよくするには、どれくらい頭を悪くするか

 あのね、ちょっと頭をよくするということに関して話してみたいんですけど。
 頭をよくするというのは、今、Facebookとか見ていると、顔三色にしてるやついるなーとざっと見てたんですけども、そしたら能力開発とか天才になるとかいうフレーズでイベントやったり、勉強会やったりする人が多いんですよね。
 頭良くしたい人がいっぱいいるんだなと思って、それは僕もそうだと思うんですけども、頭いいというのと頭を良く見せたいというのは話が別だと思うんですよね。
 すごい気になるのが、頭良く見せたい人のほうが多い気がしちゃうんですよ。

 たとえば僕は、スマートノートに自分が考えていることを毎日書きなさいとか、それに関して考察を深めようということをいろいろ説明しているんですけど、その時に頭の中で思いついたことを書けと言っても、思いついたことを書くのではなくて、思いついたことをまとめてかっこよく書いちゃう人がすごく多いんですよね。
 たとえば、ノートにいきなり「世界の終わりとは何か」とか「生きるとはなんだ」とか「すべては輪廻である」そういうふうなところを書いちゃう人がいるんですね。

 これ、僕は、いろんな人が書いているスマートノートを見せてもらって、そこで思うんですけども、それって、そのフレーズから考え始めてるはずがないんですよ。
 確かに、ま、中二病的なんですけども、「すべては輪廻である」にしても、その「すべては輪廻である」というキラーフレーズというのかな、その人にとっては決め台詞を思いついた何秒か前に考えていた具体的な事件なり具体的なことがあるはずなんですね。
 そこを書かないと、ノートを書く意味がないんですね。
 頭を良く見せたいノートにしたら、ダメなんです。
 自分自身でも頭がいい感じのノートを書こうとすると、絶対に頭は良くならないんですね。

 そうではなくて、たとえば作家になりたい人はどうすれば作家になれるのかっていう具体的な話をいっぱい書かないと、作家になりたいという悩みをノートに展開することはできないんですね。
 そうではなくて「暴力とセックスである」という、「要するに」って書いちゃうとそこで思考がとまっちゃう。
 結論ぽいことを書いちゃダメなんですね。
 結論ぽいことを書くのは最低限、A4サイズのノートだとしたら真ん中へんまでは書かないで、途中までできるだけ具体的なもので書く。
 これを僕は「絵画とマンガ」と呼んでいるんですけども、どうしてもみんなはマンガ的な、輪郭がはっきりした、くっきりした線でキラーフレーズなりきめセリフでいいことを書いちゃうんですけども、そうではなくて、もっと絵画的にためらい線をいっぱい書いて、または色を乗せてだんだん絵をつくるみたいな形で、デッサンするみたいな形で自分の考えをまとめたほうがいいと思うですよ。
 なので、決め台詞をできるだけ書かないようにしてやらないと、どうしても見せたいノートっていうか、人に見られても平気なノートだから。

 自分で見て恥ずかしいくらいのノート、自分で後から見て自分でも自分のことがバカじゃないかと思うような理想なのであって、人に平気で見せれるようなノートはあまり意味がないんですね。
 それは本棚も同じで、人に見せれるような本棚っていうのはインスタジェニックというのかな、Instagramにのせたいような本棚っていうのを作っちゃうと、どうしても自分が読みたい本とかではなくて、いつか自分が読みこなしたいとか人にこんな本を読んでると思われたい本棚ができちゃうんですよね。
 人に「こんなランチを食べてます」っていう、見せたいランチみたいなFacebookってよくあるじゃないですか。
 そういうのを見たら、僕らは「はいはいはい」って思うんですけども、あれは何かっていうと、お前、そんなふうに人に見られたいんだなっていうのが透けて見えるわけですよね。
 本棚も、やっぱり透けて見えるんで、あんまり見られることを前提で、この場合の見られるというのは人に見られるじゃないんですよ、自分の中の第三者というのかな、自分自身でこういうふうに自分を思いたいみたいな欲望に対して、もう少し正直になったほうがじつは頭は良くなると思うので、あんまり頭をよく見せるのではなくて、頭を良くするにはどれくらい頭が悪くなれるのかなんですよね。
 どれくらいあがけるのかっていうのを、ノートとか本棚とかでじたばたじたばたしてればしてるほど思考が深まるんですね。
 結果的にいつの間にか人から頭がいいですねって言われるものであって、先回りして頭がいいですっていうプレゼンをしていると、それはFacebookでリア充ランチを出している人みたいに「はいはい」と言われるだけで、頭がいいというよりはあいつ気取ってるよねっていうふうに思われちゃう。

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