岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/05/02
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2018/04/15配信「【追悼特集】本当は千倍怖い『火垂るの墓』から、高畑勲を読み解く!」の内容をご紹介します。
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2018/04/15の内容一覧
- 本当は10倍怖い『火垂るの墓』
- 視聴者からのお便り
- 『火垂るの墓』「冒頭5秒の謎」
- 見逃しがちな重要なカットが表している「人間性を失った清太」
- 観客が勝手に感情を読み取る「クレショフ効果」
- なぜこんな「トラウマアニメ」を作ったのか?
- なぜ高畑勲の演出意図は観客に伝わらないのか?
- 高畑勲は観客に悩んでほしい
- 『火垂るの墓』の本当のテーマとは?
- 高畑勲の矛盾と宮崎駿の嫉妬
- 高畑勲の一番の理解者は宮崎駿
- 『誰も語らなかったジブリを語ろう』で押井守が指摘したこと
- 死は美しく、生は醜い
- 前半の100倍怖い『火垂るの墓
- 高畑勲の描きたかったもの
- 清太がカメラ目線になった理由
見逃しがちな重要なカットが表している「人間性を失った清太」
『火垂るの墓』って、ぼんやり見てると、こういう重要なシーンを僕らは見逃しちゃうんですね。
なぜかというと、事前に「こんな話なんだろうな」という予断を持って見ちゃうからなんです。
「きっと戦争の悲惨さをテーマにした、かわいそうな話なんだ」とか、「こいつが素直じゃないから」とか、「こいつが意地悪だから」という先入観で見てしまうから、色々と見飛ばしちゃうんです。
今日は、もう一つ、そんな見飛ばしがちだけど、かなり重要なシーンを一緒に見てみましょう。
もう、かなり後半の、ラストに近いところで、栄養失調で死に掛けている節子のために、清太が最後の貯金を下ろして米や卵を買って来て、卵と鶏肉の雑炊を作るシーンがあります。しかし、節子は雑炊を作っている間に死んでしまう。まあ、悲しいシーンですね。
雑炊が土鍋に入っていて、お茶碗がある。横にお箸が置かれていて、お盆代わりの板が敷かれています。
その横には、匙の代わりに、手作りっぽい、貝で出来たスプーンのようなものも置いてあります。このスプーンは、清太たちが叔母さんの家でご飯を食べていた時にも使っていたから、一応、持ち込みのものですね。
結局、この雑炊が出来るのを待たずして節子は死んでしまうんですけども。
しかし、節子が死んだ翌朝、清太が貰ってきた炭で節子の遺体を燃やしている間に、残酷にもカメラは、清太たちが住んでいた洞窟の中をかなりハッキリと映すんです。
2人の寝床があって、入り口の方から光が漏れています。その手前に、さっきの雑炊の入った土鍋が映ってるんですけど。
わかりやすいように、拡大してみました。
この土鍋には、さっきのお箸とスプーンが突っ込んであるんですね。つまり、節子が死んだ後、土鍋に入った雑炊を食べてるんですよ、清太は。
高畑監督は、こういうふうに、ポイントポイントで「清太がどういう人間であって、今、どういう気持ちなのか?」ということをわかるようにしているんですね。
これ、その前に食べずに残してあった卵雑炊というのが映っていたから、普通の人は「絶対にこれを食べていない」って思うんですよ。でも、よくよく見ると、清太はしっかり節子のお葬式の間に雑炊を食べちゃっているということがわかります。
こういう、描かなくてもいい「空になった食器」というのを、わざわざアニメーターに指示して描かせるという辺りが、高畑さんの意地悪なところなんですけども。
あとは、同じく、米と一緒に買ってきたけど、結局、節子は1口しか食べられなかったスイカがありますよね。
これも、節子を火葬している時に映されます。
清太は、このスイカも、やっぱり食べてるんですよね。
前に僕がこれを指摘した時に「いや、そんなことはない! あのスイカはアリが食べたんだ!」と反論する人がいたんですけども。そもそもこのスイカは、清太が節子に分けてあげる時、自分が持っているナイフで一切れだけ切って、後は2つにパカンと割って「ここに置いとくからな」と言って、その場に置かれたものなんですよ。アリがたかって食べたならば、こんなバラバラの形にはなるはずがないんですよね。
つまり、「清太というのは、実は節子が死んだ後でも、案外、意識がハッキリしていて、食欲が湧いたからご飯を食べていた」ということを、ちゃんと描いてるんですよ。
(中略)
こんなふうに、清太はちゃっかりしているようにも見えるんですけども。
そうかと思うと、節子が健気なことを言ったときにはわりと泣くんですよね。
例えば、節子から「うち、おばちゃんに聞いてん。お母さん、もう死にはってお墓の中に居てるねんて」なんて言われると、清太はもう、わんわん号泣するんです。
ところが、いざ節子が死んじゃうと、清太はもう、全然泣かないんですね。
例えば、節子の遺体と添い寝してあげる時も、目が無表情のままなんです。
これは節子の遺体を火葬するシーンなんですけど。
ここでも清太の顔は、わざと無表情に描いているんですね。そんな無表情な瞳の中に、炎が照り返した赤い光だけがチラチラしている。このシーンでは、悲しみの表情ではなく、完全に「無表情」として描いています。
この無表情には、一応、それなりに理由があるんです。
こういった、「演技者が無表情でも、その前に見せられたイメージによって、観客は無表情の中に、勝手に悲しみなどの感情を読み取ってしまう」という映像効果のことを「クレショフ効果」と呼びます。
(中略)
ちなみに、宮崎駿は、このクレショフ効果が大嫌いなんですね。
宮崎駿が好きなのは、こういうやつなんですよ。
これは、『ラピュタ』の「ドーラばあさん」が、「甘ったれるんじゃないよ! そういうことはね、自分の力でやるもんだ!」というふうにパズーを叱ったあとで、「ん? でも、その方が娘が言うことを聞くかもしれないねぇ」と独り言を言うシーンです。
こういう時に、宮崎駿というのは、表情に演技をつけて、ドーラというのがどんなキャラクターか、すごくわかりやすくしてるんですよ。
でも、高畑勲は反対に、こういった「キャラクターに自分が思っていることを言わせて、見てる人間にわからせる」というやり方が嫌なんです。だから、クレショフ効果を使って、無表情な状態の清太を見せつつも悲しみを表現しようとしてるわけですね。
何を言いたかったのかというと。
無表情な清太を見た僕らが思わず泣いてしまうのは、この顔が「悲しみを抑えて一生懸命、毅然に振る舞おうとしている健気な様」に見えるから。だから、このシーンを見て、僕らはすごい感動しちゃうんですけども。
本当は、そうじゃないんですよ。おそらく、この時の清太は「人間性を失ってる」んですね。
人間性を失ってるから、妹が死んでも腹が減るし、雑炊も食べるし、スイカも食べちゃう。「ああ、もう、世話をしなくていいんだ」とホッとしてるから、安心してお腹が減っちゃうんです。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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