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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「衝撃のアメリカ史特集:毎年1万3000人が毒殺された禁酒法、鉱山の町キャリコの貧困ほか」
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岡田斗司夫プレミアムブロマガ「衝撃のアメリカ史特集:毎年1万3000人が毒殺された禁酒法、鉱山の町キャリコの貧困ほか」

2019-01-26 07:00

    岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/01/26

    おはよう! 岡田斗司夫です。

    今回は、過去記事から「衝撃のアメリカ史」の特集をお届けします
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    禁酒法のために毎年1万3000人が毒殺された

     禁酒法という法律があります。
     1920年に、禁酒法というのがアメリカで制定されました。
     これは、アメリカ人が法律を守らなくなった年というふうに言われます。
     なんでかって言うと、1920年から33年までの14年間、禁酒法っていうのがアメリカで施行されたんですけども。人類で最も愚かな法律って言われたんですね。
     なんせ、誰も守らない。
     逆にアメリカ中の酒の消費量は増えて、アル中の患者は3倍に増えました。
     で、誰も得しない。
     じつは当時、酒税、お酒にかかる税金っていうのはアメリカの連邦予算の10%を負担してたんですけど、それの収入が一斉になくなっちゃった。それぞれの州ごとの財政では、たとえばニューヨーク州の財政では、酒税による収入が州の税の半分を占めてるんですね。それが一斉になくなっちゃうんですよね。なんせ禁酒法ですからお酒売っちゃいけないんですね。
     連邦予算は1割なくなって、各州ごとの財源は半分なくなっちゃったんですよ。本当にダメな法律でしょ。おまけに誰も守らない、誰も得しない以外に命に危険がある。
     これ何かって言うと、さっきも言ったように、政府の予算は逆に減るんですよ。酒税が減るか、減るんですよ。
     ところが、それでも政府としては作った法律だから守らせたいわけですね。
     で、熱心な人がいて、ひとりが思いついたんですよ。
     「そうだ、酒は飲んじゃいけない。でも、アルコールは売らなきゃいけない。工場に必要だったり、あとは化学反応とかに必要だったりするし。あとガソリンとかの添加物にも使うからアルコールは必要だと。じゃあ、簡単だ、人間が飲めないように毒を入れてしまえ」っていうふうに考えて、ストリキニーネとか水銀などの毒を入れることになったと。
     これのおかげで、毎年毎年アメリカ国民はこの禁酒法の期間のあいだ、1万3000人が毒死した。毒で死んじゃったんですね。

    「失敗だった第二次世界大戦」アメリカの心の拠り所「原子爆弾」

     ここに、1冊の本があります。
     ピュリツァー賞を受賞した、デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』っていう本です。すっごい面白い本です。

     前回の『1927 アメリカを変えた夏』っていうのも、すごく面白かったんですけども。それに匹敵する面白さというふうに言っていいんでしょう。
     で、このフィフティーズでは、1940年代後半から1950年代にアメリカに何が起こったかっていうのを事細かに書いてます。
     そこで、意外なのが、アメリカにとって第二次世界大戦っていうのはわりと失敗の戦争だったっていうことなんですね。

    貧困と貧乏は違う、キャリコの街で見た貧困と『火垂るの墓』

     ユニバーサルスタジオに行った次の次の日、ラスベガスに移動しました。ラスベガスに移動するときに、4時間とか5時間のドライブを1度にムーミンさんにさせるには限界があるので、45分とか1時間ごとに休憩したんですね。休憩して行ったら途中にキャリコっていう街がありました。キャリコっていうのは1907年に放棄されたゴーストタウンなんですね。検索したら出てくると思います。「キャリコ ゴーストタウン」で検索してみてください。
     銀が出たんですよね、カリフォルニアってもともと金が出るということでゴールドラッシュで開発された土地なんですけど、銀が出たそうです。銀山の鉱山にできた街なんですけど、1907年に誰も住む人がいなくなってゴーストタウンになって、そこから70年くらい放ってらかしになっていたのが20世紀の終わりくらいに再開発ということかな、これを保存しておいて観光資源にしようよ、ということで。
     現在は入場料5ドルかなんかをとって、観光地になっています。そこに僕等、行ってきました。西部劇そのままの生活の家とかが、ホントにまんま、残ってるんですよ。あらゆるものが、ゴーストタウンで、その場で捨てていったもんですから、幌馬車から何からいろんなものが残っちゃってるんですけど。そこでカフェとかがあったんで、もうアメリカ行ったら、めちゃくちゃ喉乾くんですね。コーラとか美味しいし、ビールとかもっと美味しい、ムーミンさん以外誰も運転しないんで、僕は酒飲まないですけど、僕とムーミンさん以外、みんなアメリカ人の貧乏人がみんな飲むというバドライドをぐいぐい飲んでいい調子になってるんですよ。

    (中略)

     当時こんな風呂に入っていたのか、当時こんな店で酒飲んでたのか、飯食ってたのかっていう博物館みたいになってて、一番上のほうに行くと、当時の人が住んでた家が残ってるんですね。
     家といっても木で作った家は麓のほうにあるキャリコの街でも金持ちが住んでる街だけで、上のほうに行くと本当に、鉱山の街だから岩穴掘るのはみんなできるんで、だからそこに住んでいる人たちっていうのは木でわざわざ家を建てないんですよ。そうじゃなくて、岩穴に穴を掘って、そこにドアとかをつけて住むという、横穴式住居みたいなことをやってる人が多いんです。
     上のほうへいくと、そういうふうな家の1軒があったんです。ドアがあって、なかをのぞけるようになってるんですね。僕は暑いし、しんどいし、でもういいやと思っていたら、ムーミンさんがなかを覗いていて、なんか面白いのかなと思ったら、ムーミンさんが覗いていたらくるっと振返って、座りだしちゃったんですよ。
     「ムーミンさん、どうですか、面白いですか」って言ったら、あの瞬間のムーミンさんの顔、オレ一生忘れないと思うんですけども、なんか顔色が真っ青ということもないんですけど、この世の物とは思えないような顔をしているんですね。

    (続きはアーカイブサイトでご覧ください)

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