岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/06/03
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2019/05/19配信「『ムーミン』の光と影、そして『ムーミン』 俺語り」の内容をご紹介します。
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2019/05/19の内容一覧
- アニメ3本と『なつぞら』朝焼けシーンの意味
- 『ムーミン』アンケート
- 日本だけの『ムーミン』の特徴
- 封印されたアニメ
- 3種類の異なるムーミン
- 父親としてのムーミンパパ、エロスとニョロニョロ、ムーミンママの孤独
- 告知
- 反体制として作られたアニメとその封印
- ムーミン谷という世界の変化
- ムーミン屋敷と海のオーケストラ号の模型について解説
- 『ムーミン』特集とムーミンマフィアの関係
封印されたアニメ
では、この1969年版、72年版のムーミンは、なぜ、作った側が自粛しなければいけないほど封印されたのか?
原作者のトーベ・ヤンソンが「イメージが違う」と言ったからと言われてるんですけど。実はそのトーベ・ヤンソン、自分自身でムーミンを舞台化しています。
(パネルを見せる)
上は1949年に公演された『ムーミン谷の彗星』の舞台です。ちょっと……というか、かなり着ぐるみが気持ち悪いですけども。下が1974年の『ムーミンオペラ』の舞台ですね。49年版の『ムーミン谷の彗星』の写真の方には、ここにトーベ・ヤンソン自身も、すごくご機嫌で写ってるんですけども、
もう、これを見たら「イメージが違う」どころじゃないんですね、本当に。
これを、自分で製作者側に回った上で作るということは、「アニメでは」とか、「マンガでは」、「舞台では」という媒体によって、ムーミンのイメージ、形が多少変わることは、トーベ・ヤンソン自身も納得してたはずなんですよ。
しかし、「トーベ・ヤンソンは、日本で作るアニメーションに関して、最初から乗り気ではなかった」と言われています。
それはなぜかと言うと、トーベ・ヤンソン自身が「アニメーション」と聞いて想像したのが、当時、ヨーロッパで一般的にテレビ放送されていたスラップスティックという、アメリカ製の子供向けドタバタアニメだったんですね。なので「あんな安物にされてはかなわない」と思ってた。
おまけに、日本側で『ムーミン』の製作を受けた東京ムービーという会社は、『巨人の星』で大儲けした後だったんですよ。
なので、とにかく『ムーミン』という原作の権利を得てアニメを作ろうという時も、いわゆる『巨人の星』のようなスポ根路線に持って行きたがっていた、と。
高畑勲が、さっきの『幻の長くつ下のピッピ』という本の中で証言してるんですけども。「当時の東京ムービーは<『巨人の星』の夢をもう一度>だった」というふうに書いてるんですね。
つまり、ただ単に、フィンランドから来た妖精のムーミンの話を、『巨人の星』のように「何かの障害に対して抵抗して、ムーミンなりスナフキンなり誰なりが頑張って、大人の事情とかをぶち返して跳ね返したから勝ったんだ!」という話にすればいいと、最初から思い込んでたと高畑勲は言ってるんですね。
なので、『ムーミン』を引き受けた東京ムービーとしても、最初から、原作者の意向に沿うというよりは、原作者をなんとか説得して「これでないとアニメーションというのは当たらないんですよ。日本でヒットしないんです」と上手く言いくるめて、『ムーミン』を作るつもりだったんじゃないか、と。それが後々でぶつかったんじゃないかというふうに言われています。
まあ、そういう当時の事情がありつつも、東京ムービーの偉い人達の思惑は外れて、原作者のトーベ・ヤンソンは説得されず、後に東京ムービーから虫プロに担当が変わることになりました。
製作会社が変わってから、虫プロとしては、かなり原作寄りの話にはしたんですよ。『ムーミン』のデザインも、ちょっと鼻を長くしたんですけども。それがまた、日本のファンにはすごく不満で。「なんで東京ムービー時代のかわいい顔じゃないんだ!」というクレームが来たりしたんですけども。
まあ、原作者もファンも、お互い不満を持っているというような状態になってしまいました。
1969年版のアニメ放送が終わった後に、1972年に、もう一度『新ムーミン』というのが虫プロ製作によって作られることになりました。
その前の年の1971年、まあ両者の関係を良くするために、トーベ・ヤンソンは日本のスタッフ側から日本に招待されたんですね。
しかし、その時に、たまたま運悪く、ムーミンの再放送があったそうなんですよ。しかも、東京ムービー版の(笑)。
フジテレビ側のスタッフは「トーベ・ヤンソンがまた怒ったらえらいことになる!」ということで、ムーミンの再放送時間になったら、トーベ・ヤンソンを無理やり熱海の海岸に引っ張り出して、「ヤンソンさん、ちょっと散歩しませんか?」って散歩をさせて、再放送を見せないようにしたという有名な話があります。すごいよね、これ(笑)。
ところが、そうやって作った虫プロの72年版『新ムーミン』にも、トーベ・ヤンソンは満足せず、1992年くらいから以後は日本ですら再放送を自粛するという形になってしまいました。
2010年頃から、YouTubeやニコニコ動画などで『旧ムーミン』『新ムーミン』をアップして、なんとか非合法に保存しようという動きもあったんですけども。
新しく誕生したムーミンキャラクター社という所の要請で、ほぼ『新ムーミン』『旧ムーミン』はですね、世界中で見れなくなってしまいました。
もう日本でも、ほとんど見れないですね。昔は全話揃ってたんですけど、ほとんどが削除されてしまいました。
この辺り、『ムーミン』がなぜオンエア出来なくなったかについては、実はもうちょっと深い事情があります。
僕は、その真犯人というか、一番悪いヤツは宮崎駿だと思ってるんですけども。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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