【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
俺の棒銀と女王の穴熊【1】 Vol.15
☆
「それじゃあ今日からは、守りの大切さを勉強していきましょうか」
「よろしくお願いします!」
放課後、生き生きとして部室に向かった来是は、紗津姫を目の前にしてますますテンションが上がった。依恋は不気味なほど静かにしているが、いちいち気にかけない。
「これまでは攻める楽しさを実感してもらうために、おふたりには好きなように指してくださいと言ってきましたが、やっぱり守りを大切にしないとなかなか勝つことはできませんからね」
「この前の道場でも、負けた将棋は守りの差が大きかった気がします」
どんな競技でも共通することだが、上手い人は攻撃はもちろん守備が上手い。攻撃は最大の防御などという言葉は、話半分に聞いておかなければならないのだ。
「まずもっとも大事なのは、王様をそのままの位置に放置しないことです。初期位置のままでいることを居玉と言いますが、『居玉は避けよ』という格言があって」
「格言? そういやこの前買った本にずらーっと書いてあったなあ。多すぎてほとんど覚えていないんですけど」
「そう、将棋にはいくつもの格言があって、その通りにしていればそれだけで初心者レベルを脱却できるくらいですよ」
紗津姫は居飛車と振り飛車をひとりで交互に指していく。
「王様を端に寄せていき、金と銀で周囲を固めます。これも『王の守りは金銀三枚』という格言があって、守りの基本です」
「居飛車側は矢倉囲い、振り飛車側は美濃囲いっていうんだ。このネーミングがまたいいだろ」
関根が指で指し示す。先手の居飛車は8八に、後手の振り飛車は8二の位置に王様が移動して、それぞれ銀が一枚、金が二枚で囲っている。
【矢倉囲いと美濃囲い】
「矢倉って建物の? ……言われてみればそう見えるわね」
「じゃあ美濃囲いってなんです」
「諸説あるらしいけどな。美濃国の城に見立てただとか」
「へえ! 将棋の歴史の深さを感じますね」
「このふたつが囲いの基本で、細かく派生したものがいろいろありますけど、とりあえずはこれだけ覚えていれば大丈夫です」
ニッコリと解説を終える紗津姫。
ふと、来是は記憶の中にあった単語を口に出していた。
「先輩、穴熊ってのもあるでしょう?」
「ああ、あれは指しこなすのが結構難しいのですが……」
――この子の穴熊を攻略したい。
紗津姫を取り上げたまとめブログに載っていた、妙に味のある一文。囲いのひとつで、最強の防御力があるということだけはその後の調べで知っていた。
そうだ、俺が棒銀ならこの女王は穴熊だ。
難攻不落の城壁を崩していき、ついには本丸に突入する! いつか叶うその日まで、前進をやめてはならない! 気合いがあればなんとかなる! 来是は本気でそう思った。
「居飛車にも振り飛車にも穴熊があります。このとおり手数がかかりますが防御力は抜群です。この形を保っていれば王手がかからないので、終盤に近づくほど威力を発揮します」
パチパチと駒組みを見せる紗津姫。互いの王様が隅っこに潜り、金銀三枚ががっちり密着して堅牢な守りを敷いた。
【穴熊囲い】
「こんなの、どうやって攻めるのよ。ずるくない?」
「勝負にずるいも何もないだろ」
「穴熊攻略法は、おいおい教えていきますよ。実は私が一番好きな囲い、穴熊なんです。やっぱり一番固いですから」
「……固いのが好きなんですか?」
「はい」
「なるほど」
俺はほどよく弾力があってほどよく柔らかいのが好きです。さすがにそんなことは口には出さなかった。
「ちんまり膨らみかけが好きだぞ、俺は!」
関根の力説はゆるやかに聞き流す。
「それでは春張くんと碧山さん、好きな囲いを使って戦ってみてください」
紗津姫のスルー力もたいしたものだった。
ともかく一度対局してみる。居飛車の来是は矢倉囲いを目指す。
先ほど紗津姫が示した手順どおりに、来是は王様の周りを金銀三枚で固めようとする。ところが依恋は中央の5五に歩を前進させ、その後方に飛車を控えさせる。
振り飛車の一種「中飛車」と呼ばれる戦法だ。角道も開けて銀も繰り出して、もはや攻め込む一歩手前まできている。
【図は△4五銀まで】
「……ちょ、ちょっと待てよ。お前、全然囲ってないじゃないか」
「なーに言ってんの。のんびり構えているあんたが悪いわ」
「碧山さん、いいセンスしてますね。相手が囲いを作ることだけに専念していたら、その隙にどんどん攻めちゃえばいいんです」
「はあ……そのへんのさじ加減が難しいんですね」
機先を制された来是は、遅ればせながら攻め込もうとした。
ところが依恋はすでに万全の攻撃布陣を敷いており、どうにも駒の動きが縛られる。逆に依恋の駒は伸び伸びとして、来是の弱いところを的確に突いていく……。
「おおー、これは碧山さんの完勝だな。お見事」
序盤の出遅れは最後まで響き、あえなく負かされてしまった。依恋を相手にここまで為す術なく敗北したのは初めてだった。
「驚きました。中飛車は特に教えてなかったですが、自分で考えたのですか?」
「道場でやってきた人がいたのよ。来是もこれに対応できないと思ったんだけど、ビンゴだったわ」
「ぬあああ! もう一回だ!」
「いいわよ、うっふふふ」
将棋は序盤から油断ができない。カーレースに例えれば、序盤の駒組みは加速力に例えられる。スタートで出遅れてしまうと、中盤以降に相手によほどの失速がない限り、そのまま振り切られてしまう。……そんなことを紗津姫が説明するのを聞きながら、来是は盤を睨み続けた。
「……おかしい。お前も実は家で猛練習してたんじゃないのか?」
「してないわよ。やっぱりセンスはあたしのほうが上なんじゃない?」
ふたりは続けて数局戦ったが、来是はもうあっさり勝つことはできなくなっていた。勝ったケースにしても、依恋のうっかりミスが主な原因だ。
「ていうか、あんた棒銀でしか来ないじゃないの。何度も同じ方法で来られたら、いくらでも受けられるってものよ」
「俺は棒銀一筋なんだよ! 別にいいでしょう、先輩」
「ええ、それが春張くんの道ならば。アマチュアなんですから、好きなように指すのが一番です」
「ほれ見ろ」
全肯定してくれる紗津姫に、来是は誇らしく鼻を膨らました。
「ま、別にいいけど? そのうち全戦全勝してみせるんだから」
依恋はすでに自分が上だと確信しているような笑みを浮かべた。
ここで部活の終了時刻になった。空はすっかりオレンジ色だが、景色の変化にはまるで気づかなかった。それだけ集中していたんだなと来是はしみじみ思った。
関根が最後のチェックをして鍵を閉め、四人はのんびりと部室棟を抜けた。
部活が終われば、紗津姫との接点がなくなってしまう。何か話題はないかなと来是は必死に頭を巡らして……。
「そうだ、交流戦ってハンデはあるんですか?」
「いえ、みんな平手で戦います。だから春張くんと碧山さん、どちらがメンバーになったとしても、ちょっと辛い戦いになると思います」
「はあ……あちらさんはどれくらい強いんですかね。この前に会った城崎って人は別格みたいですけど」
「去年は城崎以外の面子も、三段以上って聞いたな。今年もその可能性大だ」
「それ、無理ゲーじゃないですか? 俺まだ10級ですよ。さすがにハンデなしじゃ」
「なんであんたがメンバーに決定したような話になってるのよ」
「もちろん俺がメンバーになるからに決まってる」
「あたしが棒銀バカに負けるわけないじゃない」
不毛な言い争いに、紗津姫が割り込んでくる。
「おふたりは勝つことが目標ではありません」
「どういうことよ」
依恋が反発した。負けても別に構わない、そういう意味にも取れた言葉は、負けず嫌いの彼女には受け入れがたいものだった。
「春張くんも碧山さんも、今は将棋の勝負とはどういうものかを、たくさん体で覚えることですよ。勝ち負けはその先にあります」
来是には紗津姫の言いたいことが何となくわかった。
所詮は初心者の自分たちが格上を相手にして、がむしゃらに勝ちを目指すのもおかしな話だ。それよりも勝負を通じて将棋の真髄を学び、楽しむことが大切なのだと。
……しかし、勝てないまでも善戦したい。そのための努力ならいくらでもしたい。来是はそう思っていた。何よりこの憧れの女性を喜ばせるために。
「とにかく交流戦のメンバー決めは一週間後だ。それまで腕を磨いてくれよ」
関根の言葉に、ふたりは頷いた。
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