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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.5
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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.5

2013-07-06 13:00
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         ☆

     駒をそっとつまみ、盤にピシッと打ち付ける。たったそれだけの動作が、体じゅうに心地よさをもたらしてくれる。自分にもすっかり将棋のリズムというものが身についたのだなと、感慨深くなる。
     対する未来は、洗練さはないものの、小学生らしい勢いで力強く駒を進める。この子の癖なのか、考えている最中もひっきりなしに体を揺らしている。
    「ふーん、確かに駒の動きが自然になってきてるね」
    「そうだろそうだろ」
     来是は余裕たっぷりに応えてやるが、さすがの強さだと舌を巻いていた。
     二枚落ちは飛車角がない。だから向こうから積極的に攻められることはないが、的確な受けの体勢を築き、容易に攻略させてはくれない。彼女もまた兄との駒落ち対局を繰り返して、上手はどう指すべきかというのを学んできたのだろう。
     それでも紗津姫の教えを忠実に守り、攻めの要――飛角銀桂を集中させて敵陣突破を狙いにいく。駒落ち戦は戦力が確実に勝っているのだから、とにかく攻めの姿勢を見せることが重要だ。

    【図は▲4四歩まで】
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    「うーん……」
     だんだん、未来の考える時間が長くなっていく。慎重に読みを入れて、来是の攻めを受けきろうとしている。
     相手に大駒がない分、今のところは来是が優勢。しかし油断はしていられない。わずかでもミスをすれば、あっという間につけ込まれて敗勢に陥るに違いないのだ。そんな緊張の中で最善手を見つけなければならない。
    「……よし!」
     来是は奪ったばかりの銀を盤面に投入した。飛車角がいる位置とは反対方向に。
     相手玉を追い詰めるためには、一方向からの攻めだけでは非効率。挟撃体勢を築くのが基本中の基本だ。
    「えーと、むむー」
     未来はますます難しい顔をして、応手を続ける。
     彼女の王様は、するすると中段に引き寄せられていった。
     相手陣に近づいているのだからいかにも危険――来是に有利のように見えるが、「中段玉は寄せにくし」という格言があるのを思い出す。背後に壁がある下段と違って、中段は逃げるスペースが多い。下手をすればつかみどころのないウナギのように、巧みにかわされてしまう。
     今度は来是が悩む番となった。自分の王様が安全である以上、じっくり進めていけばいいはずなのだが、いい方法が思いつかない。
     この局面、ちまちま攻めていたら、おそらく寄せきれない。ならばどうするか。
     自分が悩んでいるのを見て、未来は少し余裕を取り戻しているような顔だ。難しい局面だが、ここをしのげば逆転できると信じているのだろう。
     大きく深呼吸して、あらためて盤面を見つめる。今まで頭に叩き込んできた紗津姫のアドバイスを、ひとつひとつ思い出す。
     そのとき、まばゆい閃きの光が頭脳を駆け巡った。
     ……これならきっといける!
     来是は最強の攻撃力を誇る飛車を手に取った。

    【図は▲7六飛まで】
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    「え? 何それ」
     未来が首をかしげたのも無理はない。▲7六飛――この飛車は完全にタダで取れてしまう。しかし大駒のタダ捨ては、すなわち寄せへの一直線。実力者であれば必ずそう判断する。
     未来は前のめりになって盤面を凝視して……とうとう来是の狙いに気がついたようだった。悔しそうに唇を歪めてから、溜息をついた。
    「……負けました」
    「……ありがとうございました!」
    「ありがとうございました。あーやられたー。これ、初段どころか四段くらいの手筋だよ」
    「いやあ、我ながらすごい手を思いついたもんだ」
     ……この飛車を△同玉と取られても、▲5三角成と銀を取る手がある。これには△同金の一手だが、次の瞬間に▲8四銀と打つのだ。これで相手玉の退路は完全に絶たれてしまう!

    【参考図は▲8四銀まで】
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     かといって飛車を取らずに△8四玉などと逃げようとしても、▲7四金と打てば結局は逃げ場がない。
     ▲7六飛と回られた時点で、決着はついていた。あの交流戦のように、大駒を捨てる妙手が、またしても決め手になったのだ。
     そして、無駄なあがきをせずに投了した未来の姿勢もまた見事だった。
    「ま、次は飛車落ちくらいで相手してあげるから」
     未来はすぐさま気を取り直した。二枚落ちで負かされた程度では、本当に負けたうちにはもちろん入らない。
    「ああ、そんときはお手柔らかに」
     手合いカードを受付に持っていき、白丸を押してもらう。
     心臓がバクバク激しく動き続けている。四段くらいの手筋だと未来は言ってくれた。きっと、大げさに褒めてくれたわけではないだろう。
     いつもあれほどの妙手を見つけられるかと言えばまったく自信はない。だが、瞬間的に有段者並みの力を出すことはできる。
     上達しているのは、俺も同じなのだ。そう実感していた。
    「あら、あの子に勝ったの?」
     依恋がご機嫌な様子でやってきた。
    「お前も勝ったんだな」
    「相手は同じ6級だったんだけど、快勝だったわ」
    「……なんか俺たち、予想以上に強くなってるみたいだな」
    「あの人のおかげ、なのよね」
     ふたりは向こうに座っている女王を見つめた。
     とても優しい表情で、赤ら顔の老人と対局している。孫娘のような相手に老人はすっかり頬を緩ませて「うひゃー」とか「こりゃまいった」とか口にしている。他のお客……特に若い男たちは、紗津姫の聖母のようなたたずまいに熱い視線を向けずにはいられない。
     俺は本当にすごい人に教わっているんだ。来是はまたとない幸せを噛みしめていた。
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