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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.24
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俺の棒銀と女王の穴熊【2】 Vol.24

2013-08-10 13:00
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         ☆

    「じゃじゃーん。昨日の番組、コピーしておきましたよ」
     週明けの部活、金子は将棋の駒の柄が盤面印刷されたDVDを持ってきた。もちろん来是も自宅で録画はしていたが、DVDにコピーすることまでは頭が回っていなかった。
     だから抜かりがないなと褒めようと思ったのだが……印刷に使われている駒は、彼女の大好きな金と玉だった。
    「もっと駒の組み合わせは考えようぜ……」
    「じゃあ春張くんには別のDVDを焼いてお渡ししましょうか。碧山さんの写真を使ったやつとか」
    「なんで依恋なんだ?」
    「うちのクラスでも、反響がすごかったな。我らが学園クイーンが全国デビューしたんだから。あと碧山さんも」
    「一番目立ってたのは、このあたしよね!」
    「ええ、とても可愛かったですよ」
    「ふふん。この新聞には載ってないのが残念だけれど」
     練習はそっちのけで、みんな昨日の将棋フォーラムの話題で楽しんでいた。浦辺が記事を書いた新聞もこのタイミングで頒布された。スタッフのインタビューに応じる紗津姫の写真が大きく載せられていて、また人気を集めそうだ。
    「テレビに出るというのは恥ずかしかったですが、少しでもこの将棋部の存在が知れ渡ってくれればいいですね」
    「部員が増えてほしいっていうコメントはカットされてましたけど……」
    「勝負する将棋女子、という方針で編集されたのでしょうね。出水摩子さんがかなり長く取り上げられていましたし」
     紗津姫は特に不満はないようだった。
     プロに匹敵する実力を持つアマ女王と女流アマ名人。このふたりを素材として与えられたら、自分がスタッフだったとしても、対決を盛り上げるような番組作りをするかもしれない。
     とにかく、紗津姫のアマ女王防衛戦は近づいている。
     自分にできることは、影ながら応援することだけ……そう思っていたのだが。
    「紗津姫さん、しばらくは自分の練習に専念したほうがいいんじゃないの?」
    「あら、どうしてですか?」
     紗津姫は意外という反応を示した。
     依恋の提案は、実に理にかなうものだ。相手の出水はきっと今も、あの将棋センターで元奨励会員やアマチュア強豪を相手に腕を磨いている。アマ女王の座を奪取するために。
     スポーツ選手が試合前にトレーニングを積み重ねるような、当然の準備。来是もまた、そうすればいいのではと思っていた。
    「どうしてって……あっちはめちゃくちゃ勝つ気で挑んでくるのよ。ちゃんと準備しなきゃ負けちゃうじゃない!」
    「んー、神薙は何の大会に出る場合でも、これといった準備はしないんだよな?」
    「棋譜並べを毎晩していますが、これはただの日課ですからね。準備と言えるようなものは特に」
    「だったら、部活でもそれをやったらいいじゃない。あたしたちは部長に教わればいいんだし、一年同士、自由に対局してればいいし」
    「お気遣いありがとう、依恋ちゃん。でもその必要はないですよ」
    「なんで!」
     だんだん、依恋は苛立ちを隠さなくなっていた。
     勝利にこだわらない紗津姫のスタイルは、依恋も重々承知している。しかし今度のアマ女王防衛戦だけは、負けてもらいたくない。来是もそう強く願っている。
     勝ってほしいのに、どうして聞き入れてくれないのか――。依恋の紗津姫を思う心が、来是には感じ取れた。もう、単に学園クイーンを目指す上でのライバルではない。慕うべき先輩なのだ。
    「私は普段どおりにしていれば力が出せるんです。だから猛練習などはしなくても……」
    「そんなだから、この前だって負けたんじゃないの?」
    「おい、言い過ぎだぞ!」
    「っ……!」
     依恋はばつが悪そうに紗津姫から目を背ける。そして早足で部室を出てしまった。
     ……いつも楽しかった部活に、初めて微妙な空気が流れた。
    「碧山さんって負けず嫌いだよな。だから神薙のやり方は、ちょっと歯がゆく見えているのかもしれん」
     関根の分析は的を射ていた。紗津姫はベストを尽くしていないと依恋に思われている。
     格下が相手ならばそれでもいい。だが、出水は間違いなく紗津姫と互角以上の相手。そうなれば、日々の練習量が最終的にものをいう……。
    「あのう、私も神薙先輩は自分の練習を増やしたほうがいいかと。私たちのことは気にしないでいいですし!」
     金子が努めて明るく口にする。
     紗津姫は肩をすくめて、来是のほうを向いた。
    「……春張くんもそう思うんですか?」
    「いや、それは」
     自分は何のために将棋部にいるのか。
     ……紗津姫の指導を受けたいからだ。そうしてなるべく多くの時間、触れ合っていたいからだ。
     だが、少しくらいは我慢できる。彼女が自分たち後輩の面倒を一切見ないで、話しかけもしないで、棋譜並べだけに没頭していたとしても……。それが彼女の勝利に繋がるのなら。
    「……俺も、先輩には勝ってもらいたいです。そのためのベストを尽くしてほしいと思ってます」
    「ありがとう。その答えに安心しました」
    「え?」
    「さっきも言いましたが、私のベストは普段どおりに過ごすこと、春張くんたちと楽しく部活をすることです。依恋ちゃんにああ言われたから、意地を張っているわけでもありません」
    「よ、よくわからないですけども」
     金子が難しそうな顔をする。紗津姫はもう穏やかな笑みを取り戻していた。
    「こんなエピソードがあります。ある年の名人戦で、随一の研究家で知られる棋士が挑戦者になりました。そこで彼は名人の得意戦法の対策をするために、わざわざ関西まで出かけて、その形に詳しい若手と共同研究をしました。彼の一日の練習時間は、十時間にも及ぶそうです」
    「じゅ、十時間?」
     プロ棋士の勉強はアマとは違うのだろうなとは思っていたが、あまりのすさまじさに愕然とした。
    「はい、何がなくとも毎日十時間。まさに研究の鬼ですね。そうして万全の体制で名人戦に臨んだのですが……結果は四連敗での敗退でした。彼の努力は実らなかった」
    「マジですか……」
    「将棋は厳しいもので、どれだけ努力を積み重ねても、勝てるとは限らないんですね。もちろん努力は大事ですし尊いものです。今挙げた棋士にしても、毎日十時間の練習こそが自分のベストだと思っているはずです」
    「つまり、どういうことなんですか?」
     金子が問う。紗津姫は盤に向かって、駒を並べ直していく。
    「将棋はメンタルの競技です。だから勝利の秘訣があるとすれば、個々のスタイルを決して崩さないことです。私は本当に、みなさんと楽しく部活をしていれば、ベストコンディションでいられるんですよ。もし依恋ちゃんの言うように、たったひとりで自分だけの練習をしていたら……つまらなくて調子を落としちゃいます」
    「先輩……」
    「もちろん、自分の信じるやり方で結果が出ないことだってあります。ですが勝負とは、将棋とはそういうものなんです。……だからこそ私は後悔したくありません。可愛い後輩たちを放ってひとりで練習して、それでも負けてしまったら、余計にダメージが大きいですから」
     紗津姫はこれまでにいろいろなアドバイスを授けてくれたが、今回ほど心の深いところに突き刺さるものはなかった。
     彼女は確固たる信念のもとで、勝利への最善の策として――大きな大会の前でも慣れない猛練習などせず、部員との時間を楽しんでいるのだ。
    「依恋を連れ戻してきます。先輩の考えを伝えてきますんで!」
    「待って。あの子も出て行ったばかりで戻りづらいでしょうから」
    「落ち着くまで待つってことですか?」
    「そうです。だから指しましょう、春張くん」
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