【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊
男性陣と女性陣はいったん分かれて、それぞれ部屋に入った。
来是は荷物を置くと、色褪せ気味な畳に腰を下ろす。ガラス戸の向こう側に、緑の庭がよく見える。備品はそう大きくはないテレビ。典型的な和風の宿泊部屋だが、心地よく過ごせそうだった。
そして部屋の隅には、長年使い込まれているらしい足つき将棋盤が安置されていた。さすがに最高級品ではないだろうが、古さゆえの風格がある。
「んじゃ、さっそくあっちに行くか」
関根が将棋盤を抱えた。これを女性陣の部屋に運んで、全員肩を並べて将棋の勉強をする、という流れになるのだ。斉藤先生だけが男性陣の部屋に居残りである。
「先生は合宿中、何をやってるんです?」
「持ってきた本を読んだり、ぶらぶらとそのへんを歩いたりしてるよ。お前たちの邪魔にならないようにな」
「そうっすか」
顧問としての働きは、やはりあまり期待できないようだ。来是はさっさと愛しの先輩が待つ隣の部屋へと向かった。
「って、なんであんたがここに?」
出水摩子が平然とした顔で、部屋の一角に陣取っていた。依恋はものすごくうっとうしそうな目だ。金子はもうどうでもいいとばかりに苦笑いしている。
「紗津姫ちゃんがいいって言ったのよ。文句ある?」
「……先輩がいいって言うなら、まあいいですけど」
「せっかくですから、摩子ちゃんにも指導をお願いしようかと思いまして。私以外の人の指導を受けるのも、いい経験になるはずですよ」
見れば、将棋盤は合計三つ。出水が自分の部屋のを持ち込んできたようだ。
「はあ……。でも、弱いやつに興味はなかったんじゃ?」
「紗津姫ちゃんのお願いだもの。我慢して教えてあげるわ。ま、一切手加減してやらないけどね」
刃のような、ぞっとする微笑み。教わりたくねー、と来是は正直に思った。
「神薙ひとりで教えるより、効率よさそうだな。んじゃ、よろしく頼むよ」
関根はどこまでもマイペースだった。
ともあれ将棋盤が三つもあるなら、手持ちぶさたになるメンバーが出ることはなさそうだ。予想外の乱入者はいるが、充実した将棋の練習ができる。来是はさっそく紗津姫に指導してもらおうと――。
「じゃあ春張くんは摩子ちゃんに教えてもらってください」
「え?」
「間もなくプロになろうっていう人の将棋、しっかり味わってみてください。依恋ちゃんは私とやりましょう」
「う、うん……」
依恋が心配そうな眼差しを向けてきた。来是がコテンパンに叩きのめされる光景が見えているのかもしれない。金子も「ご愁傷様です」とその表情が言っていた。
――こうなったら当たって砕けろだ! 負けるにしても、せめていいところを見せて先輩を感心させなければ。来是はやけっぱち気味に盤の前に座った。
来是と出水、紗津姫と依恋、関根と金子の三組は同じタイミングで駒を並べ終えた。
出水はスレンダーな体をまっすぐに伸ばし、丁寧に正座している。紗津姫とは違うタイプの、研ぎ澄まされた美しさがあった。切れ長の瞳が来是を見据える。
「紗津姫ちゃんとは二枚落ちってところ?」
「ええ、まあ」
「じゃ、私もそれで……と言いたいところだけど、普通にやったんじゃ私が勝つだろうから、もうひとつハンデあげるわ」
出水は飛車角を駒入れにしまうと、おもむろに体ごと真後ろを向いた。
来是は呆然と、彼女の背中を見つめていた。
「えーと……なんなんです?」
「目隠し将棋よ。私の駒もあんたが動かしてね」
――目隠し将棋。来是も名前だけは知っている。盤を見ず、頭の中に局面を描き、駒には一切手を触れずに指し進める将棋。まさに超人技だが、プロ棋士ならば誰もができる芸当だという。
この出水もとうにプロレベルであることは知っているが、平手ならともかく駒落ちで目隠し将棋など、できるものなのだろうか?
「い、いくらなんでもバカにしすぎじゃないの? そんなんで勝てるわけ――」
見かねた依恋が抗議するが、出水は無視する。
本気だ。二枚落ちの上に目隠しで勝つ気なのだ。気圧されまいとしていた来是だが、彼女の背中が放つ強烈な圧力に、全身が緊張してきた。
「じゃ、お願いします」
「お、お願いします……」
そっぽを向かれたまま交わす挨拶は、何とも異様だった。
出水は6二金、と指し手を声に出す。来是はそのとおりに進める。出水は盤が見えないのだから、来是も指し手を読み上げなければならない。
「えーと……7六歩」
とにかく無様な将棋にはならないように。来是の心はその一念で占められた。
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