かおりん。さん のコメント
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不思議なことに今年も8/22が誕生日です。ぼくを好いてくれている人はめっきり減りましたが、数人居ることは承知しています。未だに好きでいてくれてありがとう。誕生日と聞いて祝ってくれる人もありがとう。欲しいものはこちらです。 https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1JNYV97GT609T?ref_=wl_share
誕生日というのは不思議なもので、本人が意識してその日に生まれたわけではないと思うんですよね。でもお祝いされる。生まれたその日に頑張ったのは主にお母さんですから、どちらかといえばお母さんにありがとうの日なのではないでしょうか。ある意味母の日。ぼくは気恥ずかしくて言えませんし、もし言えば何事かと余計な心配をさせかねないので、やはり言えないのです。
誕生日になぜ祝われるのかを少し考えてみます。どんなときに人を祝いますか? 試験に合格したとき、結婚したとき、新記録を出したとき、優勝したとき……。総じて、難しい何かを突破したときに祝います。これには異論はないと思います。では誕生日とは、どんな難しいものを突破するのでしょうか。 誕生日に乗り越えるものといえば年齢です。誕生日前日を以てそれまでの年齢を満了し、新たな年齢になります。つまり0歳児は0歳の1年を無事乗り越えて1歳になるのです。何を当たり前のことを、と仰るかもしれませんが、生きるということは多くの危険に対応していくということです。立ち向かうこともあれば、逃げることもあるでしょう。その積み重ねの一つの区切りが誕生日であり、誕生日にはその人が今日まで色んな危険を乗り越え、生きてきたことをお祝いしている、というのはどうでしょう。もし過去に別のことを言っていたら、今はこう思っています。だから誕生日を誰にも祝われないというのは寂しいものですし、不特定の誰かを祝うというのも本来の目的からは逸れていると思います。
最近喜怒哀楽なできごとが立て続けに来ており、ついにはツイートが減るほどにリソースが足りません。主な原因は仕事ですが、ここで書いてもね。しかたないね。どうにかして乗り越えていきます。
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