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同じ内容なら誰が書いても同じになる?(SE編集者のコラム)
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同じ内容なら誰が書いても同じになる?(SE編集者のコラム)

2021-08-12 19:00
     
     
    どうもお久しぶりです、ストレートエッジのむぅ©︎です。
     
    突然ですが最近本屋で見た、ある本のキャッチコピーが印象に残りました。
     
    「技巧(クラフト)が芸術(アート)を可能にする」
     
    なんの本かと言えば、この8月に発売されたばかりの新刊『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』(フィルムアート社)です。
     
    「ル=グウィン」というのは、「ゲド戦記」シリーズなどで世界的に有名なアーシュラ・K・ル=グウィン氏のことですね。
    本書は、彼女が一九九六年に物語作家に向けて行ったワークショップがもとになっており、一九九八年に初版が、二〇一五年に改訂版が出ています。本書はその二〇一五年の改訂版が底本となっています。
     
    さてキャッチコピーである「技巧が芸術を可能にする」という言葉ですが、皆さんはどういう風に受け取ったでしょうか?
     
    字義そのまま、芸術作品足りうるにはたしかな技術がなければならない、でしょうか?
    たしかにピカソの絵は、子どもの落書きのようにしか見えない絵に、何億もの値がついたりしますし、落書きのようにしか素人目には見えない絵にも、ものすごく高度な技術が用いられているのだ、なんて話はよく聞きますよね。
    (もっとも、私には皆目わからないのですが……汗)
     
    ですので、上記のような解釈が違うという気はまったくありません。
     
    私がこの話を持ってきたのは否定したいからではなく、むしろ拡張できるのではないか、という提案をしてみようと思ったからです。
    すなわち、次のように言い換えることもできるのではないでしょうか?

    「技巧(クラフト)が芸術(アート)を可能にする」
    「文章(技術)が物語(小説)を可能にする」
     
    ……え?
    当たり前のことじゃないかって?
    たしかに字義通りに見れば、何を当たり前のことを、と思うでしょう。
     
    ですので、ここに別軸の問いを投げかけてみようと思います。
    それこそすなわち、
     
    「同じ内容なら誰が書いても同じになる?」です。
     
    なんでもいいのであなたの好きな「物語」を思い描いてみてください。
    小説でも、漫画でも、アニメでも、(実写)映画でも、ゲームだってかまいません。
     
    その「物語」が例えばメディアミックスをしているとして、もし別の出会い方をしていたら、あなたがその「物語」に持つ印象は果たして今と同じだったでしょうか?
    最初に出会ったのがもし、
     
    小説ではなく漫画だったなら。
    漫画ではなくアニメだったなら。
    アニメではなく実写映画だったなら。
    実写映画ではなくゲームだったなら。
    ゲームではなく小説だったなら。
     
    「アニメから入ったけど小説を見たら印象が違った」
    「小説ではイマイチ印象が薄かったけど実写映画はとてもよかった」
     
    そんな経験を、誰しも一度はしたことがあるのではないでしょうか?
     
    それを「媒体特性による印象の違い」で済ませてしまうこともできるでしょう。
    ですが今回はそれを、ちーっとばかし深掘りしてみます。
    すなわち「同じ内容の物語なら誰が書いても同じ小説になる」のでしょうか?
     
     
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