このビルを一棟まるごとリノベーションしたのが、デザイン事務所・riddle design bank(リドルデザインバンク)代表の塚本太朗さん。グラフィックデザインやプロダクトデザインなどのデザイン業務を生業とする傍ら、イベントプロデュースや新規店舗の立ち上げなど活動は多岐に渡る。
以前は馬喰町で店を開き街を盛り上げた塚本さん。新たに事務所とカフェを構えた鳥越という街の魅力とともに、店舗リノベーションの過程についてお話をうかがった。
鳥越に移る以前は、どこでどのような仕事をされていたんですか?
塚本太朗さん
僕は23年ほど前にTHE CONRAN SHOP上陸とともに入社し、販売やディスプレイ、時には配送や物流などのサービス面の仕事をしていました。当時は今と違い、日本の“住”にまつわるライフスタイル文化はまだあまり発展していなくて。今はトータルでライフスタイルを提案するショップが増え、ひとり暮らしでも買えるインテリアショップもどんどん増えて、生活用品の選択肢はかなり増えてきていますよね。
ここで8年くらい従事し、東京駅前の丸ビルにTHE CONRAN SHOPができるタイミングで退社し、自分のオフィスとドイツ雑貨のお店「MÄRKTE(マルクト)」を構えました。
このような仕事をしていて、日本のライフスタイル文化の変化を肌で感じ、同時にそういったショップが集まる街の活性も実感しています。
Tにもドイツ雑貨や食器が並ぶ
このビルの前に入居していた、同じ台東区の馬喰町にある築50年の“アガタ・竹澤ビル”の一室で「MÄRKTE」を構えました。2007年、都内の東側に物件を探していた時に、R不動産から紹介されたことがきっかけです。
当時はイースト東京が注目され始めた頃で、お店も少なかったし、それまでほとんど接点がない街だったんですけど、“あえてその街に来てもらう”お店づくりもおもしろいかなと。馬喰町という名前もなんだか気になりました。
そのビルを選んだのは、歴史が詰まった古いものに魅力を感じたことと、好き勝手にいじれることが決め手です。アクセントウォールをグリーンに塗ったり、一年ごとに梁の色を変えたり、思い出を部分的に残すリノベーションを心がけながらいろいろ試しましたね。既存のハニカムの窓にはヒビが入っていたんですが、それはあえて残したり。
なぜ鳥越に移転したんですか?
Tが入る恵比須ビル
MÄRKTEができて以降、ビル内にはギャラリーやインテリアショップができて、おもしろいスポットになっていきました。蔵前エリアがだんだんと注目されるようになって、馬喰町にも人の流れができて。大きなターミナル駅とは異なり、職人気質が息づくこの街はアーティストやクリエイターとの相性がよかったんでしょうね。
ただ、2012年ごろ古い建物が取り壊されるようになると、ホテルやマンションが新しく建ち、静かな下町の風情が工事の音によって失われつつあるように感じたんです。それがきっかけで、馬喰町にMÄRKTEを構えて8年経ったころ、長く腰を据えられる次の物件を探しはじめました。
ところが、いざ探してみると気に入った物件がなくて。清澄白河の方まで範囲を広げても、なかなかこれといったものがない。そんな時、鳥越に住む友人から「ビルの空き物件が出ている」と連絡をもらったんです。それが、もともとは白樺の樹液を扱う商社の社屋兼倉庫だったこの“恵比須ビル”。
特に階段の手すりや屋上を含めて、立地や建物の状態などすぐに気に入ったのですが、ビル一棟を借りるとなると予算的に難しい。そこで思いついたのがシェアオフィスです。大家さんと不動産屋さんに半年ほど待ってほしいとお願いをして、その間に入居者を集めました(笑)。たまたま大家さんと僕が同い年で、僕のやりたいことに共感してくれたので、待っていただけたんですね。
それで、サブリース(転貸)のかたちでビルを借りることができました。せっかく借りるのなら、近隣の方のコミュニティサロンとして利用してもらえるカフェがあるといいんじゃないかと思い、ガレージだったスペースはカフェに、上階はオフィスに。紅茶がテーマのカフェにしたのは、コーヒーはあふれるほど専門店がある中で、紅茶はあまりないし、僕がやってみたかったからです(笑)。
ガレージをカフェにリノベーション、こだわったところ/大変だったところは?
ここはもともと白樺の樹液を輸入する会社で、1階はガレージでした。設計は建築家の馬渕晃さんに依頼して、ラフな雰囲気は残しつつ街との共存を考えて設計してもらい、建具や全体の色は僕が選んでいます。
予算がシビアだったので、塗装のペンキ塗りは自分たちでやったり、お客様から見えないところは調整してコストを下げました。手間や時間はかかるけど、DIYグッズはハンズで買ってもできるし、コスト削減になりますよ。夏はかなり暑くて、作業後は銭湯に行って汗を流してました(笑)。
カフェの名前「T」は、TeaでありTorigoeであり、僕TaroのT。以前長野でのイベントで知り合ったフードユニット・mememealが手がけています。
mememeal手作りのランチやスイーツのほか、僕が好きでセレクトした、大分県湯布院の「ジャズ羊羹」も置いています。ちょうど東京に事務所を探していたので、このビルに入ってもらいました。
もともとガレージだったので、水回りはもとより配線などのインフラがほとんどありませんでした。それらの整備にはお金も時間もかかりましたね……。リノベーションはかければかけるだけ金額はうなぎのぼりに跳ね上がります。こだわりたいところを決めて調整し、お客様の目につくところにお金をかけるよう心がけましたね。
僕の一番のこだわりはトイレ。僕はどのお店に行っても必ずトイレに行くと決めていて、お店のよさはトイレで決まるくらいに思っているので、できるだけ広くとってリラックスできるスペースにしました。
カフェ奥のスペースは、フレキシブルに使えるようあえて華美な装飾はしていません。ゆくゆくはギャラリーやイベントスペースに利用いただけたらと思っています。
ビル丸ごとを管理していくのは大変ですか?
気心知れた人たちと集まれば、やれると思います。ただその際、最低限のルールを作っておくことは重要ですね。例えば金銭周りで、ビル賃貸の契約書などあらかじめきちんと作っておくのがいいと思います。
アドバイスとしては、元から水場が整っているところを借りると楽ですよ。このビルの場合は、インフラ整備から始めなくてはいけなかったですからね(笑)。
IKEAの既製品をリメイクしたイス。ゆくゆくは販売できるように考えているとのこと
このビルでは、2〜4階は1フロアに2部屋あり、2階にはフリーランスや音楽関係の人、3階には革のショップ「トートーニー」や、プロダクトデザイナー、内装デザイナー、そして4階に僕や元ユトレヒトの江口宏志さんのオフィスが入っています。
知り合いに声をかけたということもあるのですが、デザイナーや家具職人、皮職人などクリエイターが多いですね。彼らにはカフェで使用するテーブルやイスもIKEAで購入したものをベースに作ってもらったんです。既製品にはない手作り感が出て、カフェの雰囲気にマッチしていて気に入っています。
鳥越でこれから仕掛けていきたいことは?
黙っていても情報が勝手に入ってくる今の時代。一見便利ではありますが、それって一方通行だと思うんです。ここでは横のつながりがしっかりしているので、顔を合わせてきちんと会話ができる魅力があります。忙しいんだけどゆるい感じ。渋谷や青山とは違った時間が流れを大切にしていきたいですね。
このエリアはあまりカフェがないので、「T」をコミュニケーションサロンとし、鳥越の街の生態系が作られていけば楽しいかな、と。近隣の方はもちろん、遠方の方がわざわざでも訪れたくなる場所にしていきたいと考えています。
蔵前や馬喰町を巻き込みつつこの街がもっとにぎやかになったらいいですね。新しい街に新しい人が集えば、新しいことにつながって街は動く。それが僕にとっての「街の生態系をつくる」ことなんです。
編集部ノートかつては問屋町として多くの商人が行きかった鳥越。蔵前エリアの人気により、人の流れが再びこの東京の下町に生まれた。
馬喰町を切り開いたパイオニアとも言える塚本さんが目指す「街の生態系」とは、町と共存しながら新風を吹き込むこと。紅茶カフェ「T」を中心に、街も人も動き出すのだろう。
リノベーションとは街の歴史、そして未来とともにあることを塚本さんから教えてもらったような気がした。
Photographed by Kenya Chiba