日本各地のユニークな住宅をはじめ、倉庫をリノベーションした複合施設「ONOMICHI U2」、泊まれる本屋として人気を集める「BOOK AND BED TOKYO」といった商業施設など、これまでROOMIEでも紹介してきた。彼らがつくった建築を、さまざまなところで目にしたことがある人も多いのでは?
左:吉田愛さん 右:谷尻誠さん
「社食堂」は階段を降りて半地下にある
この春、東京事務所を代々木上原に移したことをきっかけに、谷尻さんと吉田さんは新たな試みを始めた。その名も「社食堂」。事務所内に飲食店やショップを併設し、スタッフの食堂でありながら、一般の人々にも広く開かれたカフェだ。
厨房奥にはスタッフのデスクが並び、カフェのテーブルでは打ち合わせが。よく見ると、著名なクリエイターが打ち合わせを兼ねて食事を……タイミングがあえばそんな風景を目撃できるかもしれない。
2017年5月には、お笑い芸人、小説家である又吉直樹さんの新刊『劇場』の刊行時に、社食堂をシェアする写真家・若木信吾さんによる又吉さんの写真展を開催。食堂には又吉さん考案のスペシャルカレーがメニューに加えられ、又吉さん自身も社食堂を訪れたそう。
しかしなぜ、設計事務所が食堂を始めることになったのだろうか?
身体が求める食事と、長く働きたい環境づくり
カフェスペース
「以前から食堂をやりたいと思っていたんです。スタッフが現在35〜40名まで増えて、みんなで一緒に食事をするのが難しくなり、コミュニケーションがとれなくなっていたことも気がかりでした」(吉田さん)
「年齢とともに思考が変化してきたのかもしれませんね。建築でも、間口の広い空間よりも軒の深い落ち着く空間に心惹かれるようになりました。コンビニ弁当を食べて設計をする日があるのもいいけれど、それが毎日だと味気ない。いい細胞が健康な身体といいアイデアをつくると思うので、身体が求める食事に応えられるようにしたいし、おせっかいかもしれないけれど、若い時からちゃんとした食事をスタッフに食べて欲しいなと思うようになったんです(笑)」(谷尻さん)
「設計事務所といえば、仕事に終わりがないなんて言われています。不規則な生活リズムで不健康だし、少ない人数で大きな仕事を回してお給料も少ない……(笑)。だからいいチームワークをつくることでそういった問題を解決していきたいんです。
設計事務所の若い人はすぐに独立を目指すのですが、パートナーとしてSUPPOSE DESIGN OFFICEで長く働きたいと思ってもらえる職場づくりをしたい。そのためにはまず、ちゃんとしたご飯をみんなで一緒に食べようというシンプルなことをはじめました」(吉田さん)
名前を取ったら、役割がうつろう空間になる
社食堂は「みんなが帰ってきたくなる場所、ごはんを食べに帰りたくなる場所」だと谷尻さんはいう。社食堂は朝11時に開店。昼になると事務所のスタッフや近隣の人々がやってきて、オフィスは食堂へと大きく雰囲気を変える。「コーヒーを飲みながら打ち合わせをしたりするので、その時は会議室になりますね」と吉田さん。
「空間から名前を取ってしまおうというのが僕らの考え方なんです。目的にあわせて空間はうつろうものですよね。コーヒーショップで仕事の打ち合わせをしていると、そこはオフィスといっていい。社食堂は建築関係の本をたくさん置いていて、自由に読んでいただくことができます。だから本を読む目的で来てくれた人にはライブラリーになるんです」(谷尻さん)
メニューは昼夜問わず、主菜を肉と魚から選べ、野菜を中心にした副菜3種類がつく「日替わり定食」、カレー、親子丼、海鮮丼などが揃う。メニューが豊富だとチョイスに偏りが出るのであえて限られた数に抑えつつ、“お盆のなかの風景が毎日変わるように、いろいろな器や小鉢を並べる”ことで、飽きのこない食事にしたいというのが2人の考えだ。
もちろんドリンクも豊富で、定食に似合う瓶ビールも。水やお茶をいれてくれるコップは、よく見ると昔ながらのビール用の小さなグラス。
「どんな場所が心地よいか」を知る実験場にも
社食堂は、建築家である彼らにとって実験の場所でもある。机と机の距離感を考えたり、いろいろなメーカーのエアコンを入れたり、数タイプのテーブルの脚を試し揺れずに使いやすいよう試作を重ねたり。取材時には、新たに社食堂に加えるハイスツールの試作をしていた。
食堂にとどまらず、SUPPOSE DESIGN OFFICEの新しいオフィスはとてもオープンな空間。エントランスから続く階段や食堂のいたるところに作られた書棚にはブックディレクター・幅允孝さんがセレクトした建築関連の書籍が並ぶ。もちろんこれらはいつでも好きなものを選んで、座席で自由に閲覧することができる。
エントランスにはSUPPOSE DESIGN OFFICEがオリジナルで開発したスチールプロダクト「KT-kata-」をはじめ、広島で焙煎された珈琲豆や季節の果物が並ぶことも。壁面はギャラリーとして活用されており、取材時には若手写真家の写真展が開催されていた。こうした写真作品はもちろん、椅子やテーブルなど、すべて購入することができる。
「設計事務所って、どんなところか多くの人は知らないですよね。僕たちはいつでもオープンに仕事をしているので気軽に見に来て欲しい。そうすると建築の仕事がそう遠いものじゃなくなるんじゃないかなという期待があります」(谷尻さん)
事務所内の天井は、H型鋼と呼ばれる建築部材をそのままグリッド状に組んだ、無骨で力強いもの。
「最小限の材料で最大限の効果を目指すのが僕たちのポリシー。ある種の制約をもってものをつくるのが好きで、社食堂では素材を鉄に絞りました。広島に信頼する金属加工の職人さんがいるので、エントランスにおいてあったKTももっとシリーズを増やしていきたいと思ってます」(谷尻さん)
一般には公開されていないが、事務所奥にはホテルのバスルームのようなスタッフ用シャワールームと、スタッフの宿泊スペースも。これまでの設計における経験を生かし、三栄水栓製作所と製作しているものだ。
設計事務所のスタッフが、カフェの一輪挿しに花を生けていた
「スタッフのみんなに自分の経験で、図面だとわからない感覚をもっと学んでもらいたい思いもあるんです。食堂を自分たちで運営することで、設計スタッフが手伝えることを発見してほしい。気遣いができることは、仕事をするうえでとても大切なこと。たとえば柱にある一輪挿しにどんな植物を挿し、どんなふうに飾るか。感性を養うことのできる場所にしていきたいです」(吉田さん)
「設計事務所であり、食堂という思いがけない状態。人は思いがけないものと出会うことで感動し、そしてアイデアが広がりをもつことがあります。僕たちがものをつくるうえで一番大切にしていることなんです」(谷尻さん)
見向きされない土地を活用する新プロジェクト「絶景不動産」
谷尻さんと吉田さんは社食堂にとどまらず、さらに新しいプロジェクト「絶景不動産」もスタートさせた。これまで一般的に見向きされなかった土地や、建築に向かないと思われていた土地を見直し、その土地がもつ価値を引き出して新しい不動産のあり方を考えるプロジェクトだ。
「土地っていつ土地になるのかな、と考えていたんです」と谷尻さん。
「一般的には不動産業者が、この土地は売り物になると判断して決めていく。でも厳しい環境の土地や傾斜地などの悪条件で見捨てられがちな土地にも、そこだからこそ生まれる魅力があります」(谷尻さん)
「フランク・ロイド・ライトの名作建築・落水荘という住宅は、滝の上に立っています。とても好きな建築で。これもひとつの可能性を感じさせてくれる建物だと思うんです」(吉田さん)
不動産売買に限らず、場を扱う事業を目指し、一棟貸しゲストハウスなども運営していく予定。秋の営業開始を目指し、鎌倉にある民家のリノベーション作業も進めているそうだ。
「社食堂」や「絶景不動産」に先んじ、谷尻さんと吉田さんは地元広島の事務所で「THINK」というトークイベントをこれまで定期的に開催してきた。9月の開催で82回目を迎えたこのイベントは、2人が仕事などで知り合った人々、ミュージシャンやファッションデザイナー、写真家、弁護士、市の職員、アスリート、さらには首相夫人などを招くもの。
職種や知名度を問わず2人がおもしろいと思った人を招き、そのおもしろさをスタッフはもちろん、さまざまな人と分かち合う。「せっかくいろいろな出会いがあるのを、僕たちだけで楽しむのは違う。スタッフのみんなにも新しい刺激に触れて欲しい」と谷尻さんはそのきっかけを振り返る。社食堂もこうしたシェアの思いが発展したものだ。
設計事務所という枠を自由にとらえ、次々とユニークなアイデアで街や人を刺激する谷尻さんと吉田さん。人とアイデアが溢れ出す社食堂に、まずは足を運んで体感してみるのはどうだろう。
谷尻誠さん1974年広島県生まれ。1994年穴吹デザイン専門学校卒業後、本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て2000年建築設計事務所Suppose design officeを設立。2014年SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd.を設立。現在、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、大阪芸術大学准教授。
吉田愛さん
1974年広島県生まれ。1994年穴吹デザイン専門学校卒業後、株式会社井筒、KIKUCHIDESIGNを経て2001年~建築設計事務所Suppose design office所属。2014年SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. 設立。
Text by Yoshinao Yamada, Photographed by Kenya Chiba