セピアさん のコメント
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おはようございます。セピアです。 日刊系セピア、0日坊主回避に続き 1日坊主も回避 できました。 このまま順調に10000日坊主くらいになれば理想ですが、 たぶん現実として10日坊主で1日空くような そんな気がします(-ω-) さて、今日のトピックは 学校での「学年」が 4月2日生まれの人で始まり 4月1日生まれの人で終わるのはなぜか? です。 特に小さい頃、自分が誕生日を迎えるのはとても嬉しいもので、 周囲からの祝福や「今年もまた1つ大きくなった」という感覚によって 何とも言えない独特の昂揚感が味わえるものです。 しかし、小学校に入ると 同じクラス・同じ学年にはいろいろな誕生日の人がいることを知ります。 3月生まれの方は、 自分よりも1年近く早く生まれた人たちと どうして同じ基準で比べられなきゃならないんだ! と、ものすごい不公平感を感じたかもしれません。 私は7月生まれですが、 実際、運動・学業・習い事などあらゆる面で、 特に小学校低学年くらいの頃は 早生まれの人たちには全く負ける気がしませんでした。 好戦的な少年セピアが ライバルとして火花を散らし合っていた奴らも、 4月生まれや5月生まれがかなり多かったです。 初恋相手のYさんも5月生まれでした。 子供ながら、早生まれの人たちにちょっぴり同情していました。 そんな不公平感を感じつつ、 そもそも1月~3月生まれの人たちは なんで「早生まれ」って言うの? 「遅生まれ」じゃないの? などいろいろなことを考えながら、 たいていの人がさらに不可解な事実を発見したことと思います。 なぜか、4月2日生まれの人から学年が始まり 一番の「早生まれ」は4月1日の人である ―――――――――― 改めて、これはなぜでしょうか? その理由をご存知でしょうか? おそらく、幼少時にこれを疑問に思ったことがある方々は ① 疑問に思った直後にその理由を知った ② だいぶ経って大人になってからその理由を知った ③ 実は未だにその理由を知らない のどれかに当てはまるはずです。 今回、③の方々のためにこっそりとお話ししましょう。 実は、学年が4月2日から始まるのには ある 日本の怖ろしい歴史 が絡んでいるのです。 本当にけっこう怖ろしいので、 覚悟ができた方のみ以下をご覧ください。 よろしいですか? ↓↓ ここからは会員限定 ↓↓ などと言って引っ張るような内容でもありませんので(笑) お話ししますと、 実は 日本の法律 では、 誕生日の前日に歳を取るようになっています。 【民法143条:暦の計算】 一.週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。 二.週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。 そして 「年齢計算ニ関スル法律」 は、 この民法143条の規定を準用することと定めています。 すごいのは、この「年齢計算ニ関スル法律」というのが 明治35年(1902年) に施行された法律で 100年以上経った今でも現行法であるということです。 日英同盟の年、日露戦争の2年前です。 いやぁ歴史を感じますねー。 明治時代の豪傑(?)たちによって、 閏年の 閏日をものともしない凄い仕組み が生み出されました。 つまり前日に歳を取るというルールにすることによって、 ■2月29日生まれの人は 平年でも閏年でも2月28日に歳を取ります。 ■3月1日生まれの人は 平年は2月28日に、閏年は2月29日に歳を取ります。 これで歳の取りっぱぐれはありません。 「みんなもう11歳なのに私まだ2歳なの??」 そんな心配も不要だということです! というわけで、法律上年度末の3月31日に歳を取る 4月1日生まれの人が最後の「早生まれ」となり、 年度初日の4月1日に歳を取る 4月2日生まれの人から次の学年が始まるのです。 ※正確には、今の私たち流の年齢カウントが行われるようになったのは 1950年に 「年齢のとなえ方に関する法律」 が施行されてからです。 これにより、それまでの「数え歳」から 「満年齢」 になりました。 戦後に施行された法律なので、 年輩の方に歳を尋ねると、 「数えで81、満で80」というような感じで 仰ることもかなり多いかと思います。 ↓↓ ここからはシェイクセピア会員限定 ↓↓
ありがとうございます。
このボリュームでやっていると毎日続くかなーという心配はありますねw
掘り下げる時は掘り下げ、サラッといくときはサラッと、
凸凹型のブロマガシリーズになるかもしれません。
ひとまず2日坊主にはならずに済みそうです!
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