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もうビックマウスは叩けない ユニクロ サッカー日本代表が一つの会社だったら3
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もうビックマウスは叩けない ユニクロ サッカー日本代表が一つの会社だったら3

2014-05-15 19:53

    もうビックマウスは叩けない ユニクロ

     

    ワールドカップで優勝するなどのビックマウス、海外での活躍でサッカー日本代表の中でもトップクラスの人気を誇るのが本田圭佑だ。星稜高校時代には、スペイン・リーガ・エスパニョーラの名門レアル・マドリードで10番をつけてプレイすることを明言していた。小学生時代から書き続けている練習日誌には、「世界一まで、後○○日」と書いてあったそうだ。

    果てしもなく大きな目標を設定しているが、ただ目標を立てているのではなく、今現在何をしないといけないかを逆算し、全力で練習に励むことで着実に目標に近づいている。日本にも山口県で2店舗の紳士服小売店のころから「世界一のカジュアルチェーンになる」ことを宣言した企業がある。柳井正氏率いるファーストリテイリングだ。

    柳井氏は大学時代は麻雀にあけくれ、まともに就職活動をしていなかったため、縁故入社でスーパーのジャスコ(現イオン)に入った。しかし、雑貨売り場、紳士服売り場に配属されたものの「仕事が面白くない」と勝手な理屈をつけて9カ月で辞めてしまった。友人の家にやっかいになり、フリーターをしていたのだ。

    そうして、時間を費やしているうちに、山口県宇部市で建設業と紳士服店を経営していた父親から「戻ってこい」との連絡が入り地元に戻った。「メンズショップ小郡」と「メンズショップOS」を経営する父親の会社、小郡商事に入社した。父親は建設業に専念し、洋服ビジネスは柳井氏にまかされた。

    店長として仕事をはじめたものの、わずか1、2年で7人いた従業員のうち1人を除いて辞めてしまったのだ。そこから毎日店に立ち、洋服を売り、お客に頭を下げ、自分で包装した商品を手渡し、もう一度頭を下げた。ユニクロ第一号店を出すまでの11年間、毎日繰り返した修行の日々だった。2人しか従業員がいないため、商品の仕入れから経理、販売、人の採用までをすべて一人で行っていたのだ。それだけでなく、業務マニュアルの作成、売れ筋品目リストづくり、商品に関するあらゆる勉強を積んでいった。

    仕事が終わると本を濫読する日々だった。ビジネス書を中心に、文化、歴史などの本も買いあさって読んでいた。洋服とは大きく捉えれば文化であるため、音楽、映画、美術、文学についても知る必要性を感じていたからだ。

    日々の濫読の中で柳井氏の人生を変える言葉に出会う。ITT(国際電話電信会社)の元社長、ハロルド・ジェニーンとアルヴィン・ボスコーの共著「プロフェッショナルマネジャー」(プレジデント社)に掲載されている「本を読むときは、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」だ。

    まだユニクロ第一号店をオープンする前で、カジュアルアパレルを郊外でやればおもしろいと漠然とした構想を持っていた時代だ。会社経営とは今ある現実、構想の延長線上にあることをひとつひとつ形にしていくことだと考えていたのだ。

    しかし、ジェニーン氏は「最終的なゴールを明確にし、その実現のための方法を規定し、会社全体で実行していくことが本当の経営の姿だ」と言っていたのだ。当たり前のことだと思われるかもしれないが、柳井氏は「本当の経営を骨身にしみてわかっている経営者はそれほど多くない。みんな、現実からはなかなか飛翔できないものだ」と語っている。

    ジェニーン氏の言葉に経営に対する自分の甘さを思い知らされた柳井氏は「世界一のカジュアルチェーンになる」ことを宣言した。

    その実現のために「国内100店舗」「株式公開」「日本一のカジュアルチェーン」「世界進出」を中間目標として設定したのだ。1984年にユニクロ一号店を出店、1994年に広島証券取引所に株式を上場、1997年に東京証券取引所第2部に株式を上場した。1998年8月期決算発表では売上高831億円、経常利益63億円にまで発展していった。柳井氏の入社から25年の月日が流れていた。

    山口県のたった2店舗から始まった事業が奇跡的な成長を見せたのだ。しかし、柳井氏の目標は「世界一のカジュアルチェーンになる」である。

    ユニクロを急成長させたのが1980円のフリースだ。1998年11月に首都圏初の都心型店舗、ユニクロ原宿店を出店、そこからフリースブームに火がついた。2001年8月期の売上高が4185億円、経常利益1032億円までになったのだ。わずか3年で経常利益は16倍以上と常識では考えられない成長を遂げたのだ。まさに、現実の延長上で経営を考えていれば実現できなかった業績であろう。2002年11月に代表取締役社長の座を玉塚元一氏に譲り、柳井氏は代表取締役会長に就任した。

    しかし、2005年8月期の売上は3839億円、経常利益586億円となり、経常利益は前年比8.6%の減益となった。決して悪い数字ではないが、世界一を目指すのであれば、じゅうぶんではないと2005年9月に柳井氏は代表取締役社長に復帰した。

    そして、2010―2011年秋冬シーズンにヒートテックを7000万枚売り切るなど躍進を続け、2012月期には売上高9286億円、経常利益1252億円となった。

    フリースやヒートテック、ブラトップなどのユニクロ発のヒット商品が業績躍進を支えている。もともとヒートテックは1999年から「今までにない、あたたかな美的な下着をつくろう」と開発を始めた。最初に発売するまでに4年の歳月をかけている。それまで、保温性をうたった下着がなかったわけではないが、登山用、スキー用でごわごわと着心地がよくなく、3000円以上していたのだ。そこで、着心地が良く、薄く、保温性をより向上させ、肌が乾燥しない、アウターでも使用できるという多くの条件を満たすものを長い時間をかけて開発したのだ。ヒートテックはすぐに女性から支持され、メンズよりだった顧客層の拡大に寄与した。

    成功の連続で急成長したと思われるがそうではない。柳井氏の著書に「一勝九敗」という題名のものがあるように、失敗を積み重ねてきたからこそ、成功があるのだ。海外事業では、2002年9月、中国上海市内にはじめて出店した際は中国の物価に合わせ低廉な商品を展開したが上手くいかなかった。方針を変更し日本で販売している高品質な商品を販売することで成功をおさめた。

    アメリカにも進出し2005年9月から10月にかけて3店舗を順次オープンさせた。しかし、ユニクロ自体がアメリカでは知られておらず売れ行きは芳しくなかった。在庫処分のためにどこかに臨時店舗を借りれないかと探していると、ニューヨークのソーホー地区に80坪の店舗を見つけた。店舗は内装もせずに什器を持っていき商品を並べただけだったが、3店舗で正規に売っていたときよりもよく売れたのだ。

    この経験を活かし、洋服に興味がある高感度な人々が多く集まる場所で商売をすべきだと気付き、2006年11月に1000坪の大型旗艦店をソーホーにオープン。そして、2011年10月には世界トップのブランドが集まるニューヨーク5番街に旗艦店をオープンさせた。2006年のソーホーのグローバル旗艦店出店から、ロンドン、パリ、上海、大阪心斎橋、台北と続くグローバル旗艦店だ。

    海外ユニクロ事業が2013年8月期時点で全体売上の20%を占めるなど順調に世界規模のアパレルチェーンとして急成長している。

    山口県での修業時代に感銘を受けた本が前述のもの以外にもう一冊ある。マクドナルドの創業者レイ・クロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」(レイ・クロック、ロバート・アンダーソン プレジデント社)だ。

    レイ・クロック氏が起業したのは、52歳の時だ。ミルクセーキ用ミキサーのセールスマンをしていたのだが、カリフォルニアでマクドナルド兄弟が経営していたハンバーガーレストランに出会う。その店の効率性、標準化された作業手順に感心し「これならば全米チェーンになる。世界へも進出していける」と考え、マクドナルドをファーストフードチェーンにしていった。レイ・クロック氏は飲食業界の人ではないのにもかかわらず、マクドナルドの可能性を見抜き、チェーン化していったのだ。柳井氏は彼の自伝の中から商売の真髄というべき言葉を見つけたという。

    Be daring(勇気を持って)、Be first(誰よりも先に)、Be different(人と違ったことをする)」柳井氏はこの文句を手帳に書きつけ、何度も読み返した。

    マクドナルドのハンバーガーは「ファーストフード」と呼ばれている。「いつでも、どこでも、誰でも食べられる」食べ物という意味だ。

    ユニクロ1号店をつくった時に社名を小郡商事から「ファーストリテイリング」に変えた。流行にとらわれず、いつでもどこでも着られる服、お客様が望む場面で使える服を売ることを目指して。

     そして今、ファーストリテイリングは2013年8月決算において、日本アパレル史上初の1兆円の売上高を達成した。山口県で2店舗からスタートした事業は、世界中の人から支持されトップの背中が見える世界4位まで登りつめたのだ。

    もう「世界一のカジュアルチェーンになる」などのビックマウスは叩けなくなるだろう。近い将来、本当の世界一になるのだから。




    サッカー日本代表が一つの会社だったら リストラすべきは本田?カズ?ヒデ?

    目次

     

    序章 メンバー落ち

    見せかけだけのエゴイスト 本田圭祐

    もうビックマウスは叩けない ユニクロ

    裸の王様からキングへ 三浦和良

    小売の王様 セブン―イレブン

    度を超えた成り上がり 中田英寿

    すべてはマックのために マクドナルド

    ホンダを超えた長友佑都

    ビリからトップへ スズキ

    ただのイケメン 内田篤人

    心もイケメン 京セラ

    史上初!選手兼監督で優勝 遠藤保仁

    逆境からVへ 無印良品

    終章 リスタート

    ラストパス

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    サッカー日本代表はドラッカーが優勝させる

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    今後の予定作
    ・こんなサッカー日本代表はいやだ編
    ・サッカー日本代表を優勝させる方法 アニメ編
    ・サッカー日本代表が一つの会社だったら パロディ編
    ・サッカー日本代表が一つの会社だったら リストラすべきは本田・カズ・ヒデ ビジネス編
    ・サッカー日本代表をつくった言葉
    ・本田・長友・内田・ヒデ編
    ・見せかけだけのエゴイスト 本田圭佑
    ・裸の王様からキングへ 三浦知良
    ・度を超えた成り上がり 中田英寿
    ・ただのイケメン 内田篤人
    ・ホンダを超えた長友佑都
    ・史上初!選手兼監督で優勝 遠藤保人

    その他時事ネタ

    著者プロフィール
    1976年神戸市生まれ 明治大学農学部卒業後、2009年にチャンスメディア株式会社設立。
    代表取締役社長に就任。

    最新作は
    「サ
    ッカー日本代表はドラッカーが優勝させる サッカー馬鹿よかかってこい」(5月16日発売)

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    著作には
    「サッカー日本代表が一つの会社だったら リストラすべきは本田?カズ?ヒデ?」

    「開業してはいけない 早期退職者を襲う甘い罠」
    「脱サラ・独立を絶対に成功させるたった9つのコト」
    「介護・教育・ニュービジネスのはじめ方」他
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