はじめから よむ (第1回へ)


8章 あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね

 

 最上階に登った僕は、ぎょっとした。

 あれだけ恐ろしい気配を発していた最後のフロアは、なんと、草原だった。

 青々と草木が生い茂り、柔らかな日差しまで感じられる。もう夜だというのに日差しが感じられるというのもおかしな話だが、今までに通過してきた雪国や砂漠、灼熱のフロアを思い返せば日差しなど大した問題ではないように思えた。

 僕がぎょっとした理由は他にある。「見たことがある場所」だったからだ。

 この草原は。僕の記憶の中の、あの場所とよく似ている。

 特に探そうとしなくても嫌でも目に入る、あの大きな木まである。

 この木までもが、記憶の中の風景とほぼ同じように重なる。

 僕はここに来た事があるのか? そんなはずはない。たった今増築されたばかりのフロアだ。来られるはずがない。不可能だ。不可能犯罪だ。別に犯罪じゃないですけど。犯罪とか言うとまた僕の頭の中の刑事がしゃべり出しそうだ。待て。お前らは出て来なくていい。

 十年前の記憶だから、僕の頭の中がきっとこんがらがって、間違って覚えてるのかもしれない。記憶はえてして歪曲されるものだから、僕の記憶が誤りである可能性は充分にある。しかし、あの記憶が間違いとはどうしても思えなかった。泥だんごをぶつけられた時の痛みや、真っ白にもやがかかったあの人に魔王を倒しにいくと決意表明をした時のあたたかい気持ちは、今もはっきりと思い出せる。いじめられていたつらい過去ではあるが、まっすぐな心の強さを取り戻すきっかけとなった素晴らしい思い出でもあるのだ。

 でも、それならなぜ、僕は今こんなにも焦っているのだ。言い知れぬ既視感。止まらない汗。体中の細胞がこの場所を拒み、恐れているようにも思えた。あたたかな日差しを感じるのに、体の芯からくる震えが、止まらない。

 そもそも、なぜ僕はあの記憶にカギをかけて、心の奥底に封じ込めていたのだろう?

 いじめられていた事がつらかったから?

 いや、違う。いじめられていた事は確かにつらかったが、あの頃の僕には、いじめに屈しない心の強さがあったし、僕の事を手当してくれた優しい誰かのことまで一緒に封じ込める理由がわからない。封じ込めるなら、集団で泥だんごをぶつけられた思い出だけでいいはずだ。大きな木の下での出来事は、素敵な思い出として覚えていてもいいはずだ。

 それならば、なぜ。

 そこまで考えて、僕はハッと気づいた。

 もしかしたら。

 僕の記憶とぴったり一致するこの草原に足を踏み入れてから体の震えがおさまらないのは。

 他にも、あったからなんじゃないのか。

 僕がまだ思い出す事ができていない、何かつらい、思い出が……

 

「あーーーーーーーっ!」

 急に近くで大声を出されてビクッと大きく体が揺れる。だだだ誰だ! 誰ですか!

 案の定荷物を落とした僕はヒロイックブレイドを拾い上げ、へっぴり腰ながら高速で周囲を警戒する。だ。誰。誰だ今大声出したのは!

「やっぱりそうだ! 久しぶりじゃない!」

 僕が両手を広げてもまだ余るほど太い木の幹の裏側から、女の子が一人飛び出してきた。

 真っ白なワンピースに、青いベスト。とてもじゃないが冒険者には見えない。「久しぶりじゃない」と言われたが、顔に見覚えはない。女の子の知り合いなんて僕には多分いないはずだ。でも、それならばなぜ。この人が出てきてから僕の体の震えは、おさまるどころかどんどん加速していくんだろう?

「私だよ、幼なじみのマオ」

 おさ、な、なじみ?

「小さい頃から一緒だったけど、最近は会ってなかったでしょ?」

 そうだったっけ。誰だ。覚えてない。こんな幼なじみいたっけ。

 僕が記憶の糸をたぐり寄せていた、まさにその時だった。

 マオと名乗ったその人物が次に発した言葉によって、僕は、奈落の底へと叩き落とされた。

「相変わらず、あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね!」

 その言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。

 途端にストッパーが壊れたようにガクガク揺れ始める僕の体。今までに感じたことがないほどの強烈な吐き気をもよおし、のどの奥からすっぱいものがこみ上げてくる。頭を鈍器で殴られたような痛みを感じ、ぐわんぐわんと目の前の景色が歪んでいく。耳鳴りがし、平衡感覚を失い、内臓を手で鷲掴みにされてがむしゃらにシェイクされたような気分。

 あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね。

 あなたってよくみるとドブネズミみたいなカオしてるわね。

 あなたってよくみるとどぶねずみみたいなかおしてるわね。

 目はかすみ、胃液が逆流し、内臓がひっくり返り、呼吸が止まりそうになる。自分の体重を支えることすら危うくなり、僕の体は左右に大きくぐらぐらと揺れ、バランスを崩して倒れそうになった。

 あなたってよく見るとドブネズミみたいな顔してるわね。

 その言葉が閃光のように頭の中で弾け、僕は、すべてを思い出した。

 事の起こりは、十年前。

 すべては、十年前が原因だったのだ。

 あのとき。草原で起きた出来事には「続き」があったのだ。

 

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