【 はじめから よむ (第1回へ) 】
「魔王がよみがえったら、ぼくが倒すんだ」
十年前のあの時、僕は自分の言葉で、言った。
「僕の家は勇者の家系だから、父さんが魔王を倒したみたいに、今度は僕が、倒すんだ」
その言葉を聞いて、やさしい誰かは少し戸惑った表情をした。
だけどすぐに、にっこり笑った。にっこり笑って、すごいね、と言ってくれた。
その顔を見て、僕は、とてもうれしかったんだ。
そして、その人は、そんな僕に言ってくれたんだ。
「あなたにならできるよ。きっと、できるよ」
「がんばってね」
そう。こんな言葉をかけてくれた。
でも、ここから先があった。問題はここからだったのだ。
僕がこの記憶を封じ込めていたのは。ここから先の出来事のせいだ。
僕は「がんばってね」と言われて、照れて笑った。
そして、家に帰るために立ち上がった。
その時だった。
まだ大きな木の下で座り込んでいたやさしい誰かが、僕を呼び止めたのだ。
「ねえ……待って」
その人は、思い詰めた表情でうつむいていた。
何かを決意したような。何かに怯えているような。複雑な表情だった。
そして次の瞬間、その人は言ったのだ。
「前々から言おうと思ってたけど……」
僕はのっぴきならない気配を感じた。心臓がどきどきした。
ふわふわした、いい気分だった。何を言われるか楽しみで、緊張した。
そして僕は「なに?」と、できるだけやさしく、聞き返した。
そうしたら。そのやさしい誰かはこう言ったんだ。
「あなたって、よく見るとドブネズミみたいな顔してるわね」
最初は何を言われているのかわからなくて、理解するのに少し時間がかかった。
それはさながら、ゆっくり登って急角度で落ちていくジェットコースターのような気分。
血の気が引いて、背筋が冷たくなり、お腹のあたりがゴロゴロ痛む。
ひどいことだ。ひどいことを言われた。ひどいことを言われた。なんで。どうして。
あんなにやさしくしてくれたのに、なんでそんな事を言うの。
そしてやさしい誰かは、さらに言葉を紡いだ。
「あなたが魔王を倒せるんだから、いじめっ子たちも魔王を倒せるかもしれないね」
なんで。
「だってあなたよりもいじめっ子の方が強いもんね!」
なんで。なんで。なんで。
「あなたって、色白で、ひょろひょろで、エノキダケみたいだもん!」
なんで。なんで。なんでなんでなんでなんで。なんでそんな事言うの?
なんでそんなに笑いながら。楽しそうに。そんなにひどいことを言えるの?
さっきまでやさしく手当をしてくれてたのに。僕の事を認めてくれたのに。
どうして。なんで。いやだ。いやだいやだいやだいやだ。
真っ白くもやがかかっていたやさしい誰かの顔が。少しずつ。少しずつ。
まるで霧が晴れていくように、幼い頃のあどけないマオの顔になる。
僕は。あの時僕は、マオと一緒にいたんだ!
「なあにその顔? へんな顔!」
「さっきはエノキダケって言ったけど、顔だけ薄汚れてて十円玉みたいだね!」
どうしてそんな事言うの。どうして。どうして。
僕の心にいくつもの言葉が刺さり、ズタズタに切り裂かれていく。
僕を認めてくれたたった一人のやさしい人は、やさしい人ではなかったのだ!
もう、誰も、信じられない!
「やっぱりあなたってドブネズミみたいな顔してるわね!」
にこにこ笑う幼い日のマオの顔。
この顔で。この言葉で。僕は人付き合いが苦手になった。
目の前にいる人がいくら聞き心地のいい言葉を言っていても、本当のところは。
本当のところは何を考えているかなんて、わからないんだ!
これが、僕のトラウマだった! 封じ込めておきたかった、僕の過去だった!
心の奥底の重たい扉が一撃で破壊され、その隙間から何かがあふれ出してくる。
亀裂が入り、浸水し、もはや沈没を免れないタイタニック号のような絶望感。
波のように押し寄せるそれは、間違いなく「恐怖」そのものだった。
「上に行けば、きっとオマエは後悔する」
夜景の見えるレストランでヨコリンが言った一言が、恐怖に漂い、浮かび上がる。
夢なら覚めてくれと、何度願ったかわからない。
しかし、残念ながら夢ではないのだ。
世界にとっては取るに足らない普通の女の子だが、僕にとっては諸悪の根源。
止まらない汗。笑う膝。砕ける腰。定まらない目線。僕の悪癖が一気に吹き出す。
そんな僕を見て、今の今まで存在すら忘れていた幼なじみのマオが言う!
「そのうろたえかた、変わってないね。昔からずっとそうだった。ほんと挙動不審だよね!」
「金星でも生きていけそうなおかしな顔だけど、いちおう、勇者様だもんね」
「これから魔王を倒しにいくの? じゃあもうあなたの顔を二度と見なくてもいいんだね!」
「魔王を倒しにいくあなたに、言っておきたいことがあるの」
「小さい頃からずっと、気持ち悪いあなたを見てきた私の最後のアドバイス……」
「しっかり聞いていきなさいよっ!」
瀕死に追い込まれた僕の頭の中に、過去のつらい記憶が駆け巡る。
自分の外見に関する様々な悪口や、胸をえぐられるような一言。
それを身近な女の子、マオに言われた事により、僕は自分に自信がなくなっていた。
僕がこんな人間になった原因はなんだったのかと、今までずっと疑問に思っていた。
責任は僕にあるのだ、僕が責任の一端を担っているのだと思っていた。
それも間違いではない。その通りだ。しかし、もっと大きな原因が存在したのだ。
それが、マオ。マオこそが、僕のトラウマの元凶なのだ。
幼い日にマオから受けた数々の暴言や心ない一言で、僕は勇者でありながら、腐った死体への道を進み出した。望まぬ進路。先の見えない暗闇。時と場合を選ばずに襲ってくる劣等感。僕はそのすべてから、何年もの間逃げ続けた。
でも。
こんなにも弱かった僕が。この酒場に足を踏み入れて、少しずついろいろなことを知っていって。ドレアさんと出会い、ヨコリンから絡まれ、マカロンやポマードやイルーカさんを説得し、苦手だった他人との会話から逃げずに、数々の冒険者を勧誘してきた。ジョンスに勝ち、アダンを打ち負かし、ヒロイックブレイドを携えて、必死にコミュニケーションしてきた。
今まで僕の中を通り抜けてきた人々の顔が、言葉が、閃光のようによみがえる。
彼が、彼女が、あなたが、君が。
みんなが僕を、強くした。
ヨコリンがおふざけで言ってると思ってた、大人の階段は。本当に。
僕が成長するための、大人の階段だったのかもしれない。
変わりたいのに変われなかった僕が、ようやく変われた。変われた気がしたんだ。
もう、今までの僕とは違う。
だってここは、酒場の最上階だ。
こんな僕でも、ここまで来られたんだ。
僕が本当に変われているのかどうかが、これからわかる。
今までと何も変わっていないかもしれない。でも。
もう、逃げない!
ゆうしゃは トラウマと むきあう かくごを てにいれた!
【 第30回を読む 】
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