腐海と呼ばれる森
シャドーエルフの本拠地である大樹要塞を目指し、森を突っ切ってゆく一行。そう、周囲を覆ううっそうとした影は、確かに“森”のものだった。が、やせ細った樹木を覆うようにはびこっているのは奇怪な形をした巨大なキノコであり、時折不気味に光る虫が群れ飛ぶのともすれ違う。アエングモアの森は、別名を“腐海”とも呼ばれるのだ。そして――
エルカンタール:「静かに。どうやらつけられている」
押し殺した声で、不意にエルカンタールが言った。目くばせだけでこっそりと示した方向を伺うと、確かについてくる人影。何やら見覚えがある。そう、飛空艇を襲った(そしてアーズに斬られて死んだはずの)シャドーエルフの指揮官に瓜二つ。
エルカンタール:「今のところ襲ってくる様子はありません……そのまま、気づかないふりを」
いいざま、エルカンタールは身を翻した。そして次の瞬間、
エルカンタール:「私に何か用事でも?」
その姿は、“追跡者”のちょうど頭上の枝に立っている。ぎょっとしたように声のしたほうを振り仰いだその男――確かに“電撃のテルアリン”と瓜二つだったが、わずかに肌の色が薄いところを見ると別人なのだろう――は、一瞬凍りついた後、肩をすくめて苦笑した「……君たちを攻撃するつもりはない。私の名はテルエレロン、兄を探している」。
メギス:「テルエレロン……そうか。テルアリンの弟か」
知っているのかメギス、と、一同が振り向くとメギスは頷き、
メギス:「今、思い出した。兄弟そろって剣の達人として知られ、そしてシャドーエルフの中では穏健派の指導者的立場……おや、だったらなぜテルアリンは我々を襲った?」
テルエレロン:「兄はあの女に洗脳され、悪の道に沈められてしまったのだ」
歯噛みでもするような声でテルエレロンが答える。「あの、女王を名乗るシンという女魔法使いに。シンという女、一度遠くから姿を見かけたが、1マイルの距離があったとしても、その視線の届く場所には居たくないと思わされた。そして、決して見た通りの存在ではないのだろう、とも」
メギス:「そうだろうな。私の知っている限りでは、シンというのは人間やエルフの女性ではない――赤竜だ。悪魔の力を享けたともいわれる邪悪な竜」
なんだと、と息を飲む一行の前で、静かにメギスが言葉を継ぐ。
メギス:「一度は伝説の勇者ヤマノウによって屠られ、地底深く沈んだはずの邪竜……それが、シンだ。ところで兄上はそのシンの四天王を名乗っておられたが」
テルエレロン:「……やはりそうか。我々兄弟はシャドーエルフが地上の存在と融和するための方法を模索し、活動していたはずだったのだが……しばらく別行動をしているうちに、兄に何があったのか……」
ひとつ息をついたテルエレロンだが、ふと何かに気づいたように眉をひそめ、顔を上げ、そして厳しい目でアーズを見据えた。
テルエレロン:「ところで、君が持っているその剣には見覚えがあるのだが」
兄に何があった、と言いかけるのを遮り、
アーズ:「言い訳はしない。殺した」
テルエレロン:「なんだと!?」
アーズ:「完全に邪悪に染まっていた。そうするしかなかった」
射抜くような視線にも、アーズは全くひるまず言い返した。
テルエレロン:「そうか、殺した……仕方なかった、のかもしれぬな。だが、君が兄の剣を受け継ぐかどうかは別問題だ。自らがその剣の持ち手として相応しいか証明して見せてほしい。できないのならその剣は返してもらいたい」
アーズ:「証明? どうすれば……」
脇でローズマリーが小声で嬉しそうに「一騎打ち♪ 一騎打ち♪」と口ずさんでいるのを聞いてか聞かずか、アーズが問いかけた瞬間、テルエレロンはいきなり剣を抜き放ち、アーズに打ちかかった。あわや真っ二つと思った瞬間、アーズが反射的に抜いた剣の存外の大きさにテルエレロンはたたらを踏み、そして二本の剣はがっきと噛みあっている。
アーズ:「……ハーフリングと戦ったことはないようだな」
具体的にはPL岡田の宣言したセカンド・チャンスが奏功し、本来ならヒットしていたテルエレロンの抜き打ちをぴったり止めたということなのだが。
テルエレロン:「……ふむ、一応、兄の剣の後継者として認めてもよさそうだが……」
言いながらつばぜり合いの引きどころを失くしかけたテルエレロンに、ブラントが声をかける。
ブラント:「大変残念だが、君の兄上はシン女王の四天王を名乗り、我々の飛空艇を撃ち落そうとしてきた。我々は抗戦せざるを得ず、結果的に兄上を斬った。兄上の配下の放った火球により飛空艇は落ちた。我々はそこを後にしてきたが、兄上はそこにいるはずだ。生死の確認はしていない。なんなら艇の落ちた場所を教える」
テルエレロン:「……それは、ありがたい……」
というわけで、飛空艇を探しに行ったテルエレロンを見送り、無事先に進めることになった。さすがブラントだ、やっぱり一度ちゃんと宮廷勤めをしていた男は違うなぁ、などと軽口をたたきながら行くうちに、嗅ぎ慣れた……とはあまり言いたくない臭いが鼻腔を刺す。鱗持つ穴居人、トログロダイトの集団がこの先に居る。
警戒しながら進むと、臭気の原因にたどり着いた。が、目の前の広場に転がるトログロダイトは、一匹残らず無惨で奇怪な死に方をしていた。刀傷らしきものも受けていないのに身体が内側から裂けて血を流しているもの、石と化しているもの、同士討ちをしているもの、身体の半分がないもの、かと思えば全く何の外傷もないまま死んでいるものもある。
メギス:「……まるで、悪辣な魔法使いの集団に襲われたようだ……」
ブラント:「おい、ここに散ってる塵だが、なんだかトログロダイト臭くねェか? ってか、この粉はもとトログロダイトだったんじゃねェか?」
エルカンタール:「これは……このまま進むのはいくらなんでも危険すぎる。別の道はないのか?」
薄気味悪そうに言葉を交わす一行の上に、グレルダンの力強い声がかぶさる。
グレルダン:「別の道などない。神は乗り越えられない試練はお与えにならぬ。ゆくぞ」
神の声の伝道者には逆らえぬ。そういうことになった。
さらに行くと、腐海が途切れ、岩壁がいくつも屹立する広場に出た。アエングモアがアルフヘイムと呼ばれていた頃、おそらくここには神殿があったのだろう。倒れて風化した神像の、巨大な顔らしきものが地面に半ば埋もれている。そして
???:「やぁ、お客さんだ。いらっしゃい、ちょうどよかった」
ひとを馬鹿にしきったような、鼻にかかった高い声が岩壁の上から降ってくる。見上げると、壁の向こうからぬうっと顔を出したのは……巨大な一つ目と、その下でとげとげの歯を並べる口。それだけでも十分奇怪な化け物だというのに、その下にあるべき胴や手足はない。代わりに一つ目に口だけの巨大な球体の上から、何本もの触手状のものが伸び、その先端一つ一つが目玉になっているのだ。
ブラント:「ありゃなんだ。メギス説明しろ」
返事はない。メギスはというと、真っ青な顔をして、石化、とか、即死、とかぶつぶつつぶやいているばかりである。
具体的には知識判定で振ったダイスの出目が2で、それじゃ何もわかりませんと言い渡されている。
ローズマリー:「あたし知ってる! 有名な化け物だから吟遊詩人なら知ってるよ。ビホルダー、見つめる者、目玉の暴君。中央の眼は刃向かうものの力を奪い、上に生えた数多の小眼からは石化や即死、分解など必殺の眼光光線を放ち……って……」
岩壁の上に座り込んだ目玉の化け物をにらみつけながら、戦ったら死ぬかも、と、小さな声でローズマリーは言った。
ブラント:「わかった。じゃあなんでその化け物がここにいるんだ」
ビホルダー:「おや化け物とは。手足や胴体などという余計なものをぶら下げた不完全生命体に言われるとは、まったく心外だねえ。まあいい。仲間になれとか言って僕に声をかけた無礼な連中がいたのさ。で、わざわざ会ってやったのに、とてもとてもお話にならないもんだから殺しちゃった。ああ、もちろん貰うものは貰ったけどね。君たちはちょうどそこに踏み込んだってわけだ。じゃあ逆に聞くけど、君たちはなんでここにいるんだい」
ローズマリー:「……あ、あの、あたしたち、大樹要塞に行かなきゃならないんです。別にあなたの邪魔はしませんから、通してもらえませんか」
ビホルダー:「大樹要塞ったって、その様子じゃあ君たち、どうやら“あの連中”の敵だよねえ。仲間になれって言うだけであれだけの宝物を寄越したんだ。君たちの首を持っていけばもっと宝物をくれるだろうな。うん、だめだ。君たちもここで殺すよ」
グレルダン:「……ほう。言ってくれるじゃないか」
グレルダンがにやりと笑った。グレルダンだけではない。アーズも、ブラントも、エルカンタールも、メギスも、危険極まりない笑いの形に口を歪めていた。ローズマリーだけが純粋に嬉しそうだった。――さあ、伝説の始まりに立ち会える。
グレルダン:「できるかな。無謀の代償は貴様の命だが」
エルカンタール:「我々の命はそう安くないことを、そのすべての眼をかっ開いてよく見ておくんだな」
アーズ:「……うん、わかった。お前を倒せば、僕は“伝説”に近づくんだな」
そうして、一本の矢とともに戦いの火蓋は切られた。
見つめる者あるいは目玉の暴君
最初はエルカンタールの矢だった。矢勢に押されてビホルダーは岩壁の上を滑った。その体の八割方が崖からせり出したが、落ちては来ない。どうやら怪物は岩の上に載っていたのではない。わずかに宙に浮いていたらしい。
厄介なことになった。弓矢や魔法ならともかく、剣や鉄槌の届きようがない岩壁の上や、ましてや空中から怪光線を撃ち放題に撃ちまくられたりしようものなら――こちらは単なる的になるだけだ。
しかし、メギスは動揺するふうもなく低い声で呪文を唱えている。
メギス:「奴の光線の中で一番危険なのは……ああ、死の力を撃ち込んでくるものだな。では全員に死に対する守り(マス・レジスタンス)を。それから……魔法の門(アーケイン・ゲート)を開く……さあ、そこだ、行け!」
仲間達の体を暗紫色のオーラが一瞬取り巻き、薄れる。死の霊気に抗する秘術の守りである。さらに神秘の技は続く。メギスの指差した先の空間に、白く光りながら揺らぐ穴が開いた。そしてその穴の先に見えるのは……確かに岩壁の上に居るはずの、ビホルダーの身体ではないか!
すかさずアーズがその“魔法の門”に突っ込む。次の瞬間、アーズの身体は岩壁の上にあった。恐るべきは空間さえ自在にゆがめる魔道士の技。離れた二つの点を直接つなぎ合わせるメギスの魔法の門の前には、30フィート即ち10メートルの高低差も無に等しい。
そして振り下ろされるアーズの新たな魔剣。風切る音の代わりにくぐもった雷鳴の響きがこだまする。たったの一撃で、目玉の怪物の身体の十分の一以上が削ぎ取られている。
そして
ブラント:「コードの名に於いて貴様を我が神敵と定めるッ」
アーズに続いて次元の穴を抜け、岩壁の上に現れたブラントが大音声で叫ぶ。具体的にはパラディンのクラス特徴、ディヴァイン・チャレンジによって目玉の暴君をマークする。
ブラント:「喰らえ、神が義と定めし鉄槌(サートン・ジャスティス)をッ」
神の正義は確かにその場に顕現した。振り抜かれた鉄槌はビホルダーの口を真正面から捉え、喉の奥まで正確に叩き込まれた。白く光る牙がぼろぼろと毀れ、ビホルダーの一つ目の下は頼りない空洞に変わる。これでは例え目玉の暴君の攻撃が命中しても、その真の力を発揮することなどできようもない。具体的には弱体化状態である。
なんてことするんだ、と叫びながらビホルダーは中央の眼で一行を睨み据えた。――習い覚えた武術の技も秘術の呪文も、日頃すがりついている神への祈りさえも忘れ果てろ。使えなくなってしまえ。
が、ブラントに鉄槌を叩き込まれたときの動揺が災いしてか、何も起きない。それでは、と、文字通り死を振りまこうとするが、死の眼光に対しては、予めメギスの魔法によって“守り”が施されてしまっている。撃っても無駄なことぐらいはわかる。仕方なく撃った恐怖を喚起するはずの眼光光線も不発。
唯一彼にできたのは、最後の眼光光線でアーズを魅了し、支配することだけだった。
そして、それこそが最悪にして最凶の攻撃手段であったのだ。
アーズが正気を失ったのは誰からもたやすく見て取れた。危ない。最悪の事態が発生するまでにあの目玉の化け物を片付けなければ。グレルダンは味方の太刀筋に神の祝福(ブレス)を与える。そして続くのはエルカンタール。
――何とかあの目を閉じさせなければ。
弓を引き絞りながら、狩人は必死に考えていた。中心の眼に矢を射込んだとて、あまりにも巨大な目、射潰せるとも思えぬ。あの巨大な球体の前にはあまりにも細く頼りない1本の矢。愚直に数を射込むしかないのか? ……いや、奴は言っていた。手足などと余計なものを持つ不完全生物、と。つまり“完全生物”である奴の身体を構成するのは、眼球以外は中枢神経のみ。
エルカンタール:「よしッ」
エルカンタールが放った、わざと切っ先を丸めた矢は、眼球の縁を激しく撃った。重い衝撃に、やわな視神経の伝達が狂う。怪物の眼の焦点がぼやけ、そして何の像も結ばなくなる。13レベルに達したハンターのディスラプティヴ・ショットは盲目をももたらすのである。
だが、盲目となったとしても、戦闘本能だけは万全に機能する。アーズが身じろぎした瞬間に、小眼の一つから光線が放たれた。光に撃たれたアーズの心をわけのわからない恐怖が覆い尽くす。アーズは目の前の“穴”に飛び込んだ。それはメギスの開いた“門”で、その先には当然メギスがいる。そして、恐怖から解放されたアーズの耳に、ビホルダーの憎々しげな言葉が届く。しかし、今のアーズにはそれが、己の為すべきことを示す指針のように聞こえるのだ。その声に従い、メギスめがけてアーズは叫びながら斬りかかった。その一撃は確かにメギスの体を真っ二つにした、そう思った瞬間、メギスの身体を光の盾が覆った。
メギス:「……確かに、魔法とは便利なものだな」
腰に巻いたベルトに指を走らせながら、メギスはつぶやいていた。危ういところで盾の腰帯(シールディング・ガードル)の力を発動させ、アーズの狂気の剣を跳ね除けたのだ。
メギス:「とんでもなく厄介なものでもあるが」
その視線の先では、アーズに続いてビホルダーに魅入られたブラントが、その命じる言葉のままに岩壁の上から地上へと身を投げたところ。
――目を見えなくさせてもまだ足りない。
ローズマリーは渾身の力を込め、構えた刃を通じて目眩ましの閃光(フラッシュ・オヴ・ディストラクション)を放つ。見えていない眼の神経の連絡をさらに緩める。無数に生えた眼柄がゆるやかに絡まり始める――これなら、たぶん、狙いを定めるのも難しくなる、はず。そして、
グレルダン:「神の怒りに触れて地に這うがいい!!」
最初のアーズに遅れること数瞬、魔法の門をくぐって崖の上に現れたグレルダンは、現れるなりこう絶叫した。そうして、見よ、高々と掲げたその腕には陽光が結集し、盾の形を成して輝いている。神々の盾(シールド・オヴ・ザ・ゴッズ)――グレルダンは何の迷いもなくその盾でビホルダーを殴りつけた。文字通り太陽神の威光に触れたビホルダーは浮いていた身体の平衡を失い、そのまま地上に落下する。「地面に触れたから、それが何だ。睨みつけさえすれば僕は勝つんだ」落下の衝撃でさらにへしゃげた目玉はわめくが、
エルカンタール:「あなたに光は与えない!!」
再びエルカンタールの矢が、ビホルダーから視力を奪う。さらに“上から”飛来するメギスの魔弾(マジック・ミサイル)。地上に移るであろう混戦の場を避け、メギスは崖の上に移動したのだ。崖の上のビホルダーは地べたに転がり、見事に立場逆転である。起き直ることさえできずにいるうちに、ハーフリングの大剣が突っ込んでくる。もはやビホルダーの眼も口もひしゃげ、削り取られ、とても球体とは言えない姿になった――と思った瞬間。
ビホルダー:「まだだよ、これからだよ!! なんで僕がここに住んでいるかっていうとね……」
転がりながら逃げ出そうとする、削れへしゃげた球体が内側から膨らみ始める。が、
ブラント:「逃がすか。死ねィ!!」
飛び降りさせられた地面から起き上がったブラントが、低く吼える。
叩き込んだ鉄の塊は、過たず潰れかけた目玉の瞳の中心をぶち破り、組織を深く抉る。
巨大な瞳から硝子体がこぼれ、膨らみかけた球体は再び皺んでいびつに歪む。さらに嵐の神コードの力を享けた雷光がほとばしり、内部から直接ビホルダーの視神経を焼灼する。それでもまだ目玉は潰れきらない。
ローズマリーが羽根を畳み、露出した視神経の真上に飛び降りる。妖精の光が再度、眼光光線の焦点を狂わせる。が、ビホルダーの動きを止めるには至らない。
吸い込まれるようにビホルダーは数歩の距離を移動すると、地面から露出した神像の頭に浮かび上がった。
ビホルダー:「ここには、“力”があるからね。さあ、これからだよ……」
かすれた甲高い声で目玉の暴君はうそぶく。その言葉は強がりではないらしい。絡み合っていた眼柄がぐねぐねと自由に動き回り始める。具体的には今まで1ラウンドに2回だった眼光光線が3回撃てるようになるのだ。
ビホルダー:「さっさと殺して片付けたいとこだけど、君たちには厄介な守りがかかっちゃってるからね。せいぜいなぶり殺しにしてあげるよ。早く楽になれないんだから、お仲間の魔法使いを恨むといいよ」
恐るべき盲目光線がエルカンタールを直撃、仕返しとばかりに狩人の眼から光を奪う。そしてメギスには分解光線を。が、
ローズマリー:「あたしもメギスにお守り(エンチャントメント・ウォード)かけといたもんね!」
状態異常が生じた際、それに対して即座にセーヴを行なわせる。具体的にはそういうものだが、これが見事にメギス(と、これまで高低差の不利を消し去っていたアーケイン・ゲート)を守った。
そして得意げにメギスにウィンクしていたローズマリーは、飛来した石化光線をすれすれで避けて無事。しかしこれまで見つめる者の眼を塞いできた矢が失われたとなると――
グレルダン:「神は正しからぬことを捨てては置かぬ! 悪しきものは炎に焼かれ、我が友の眼は浄化の焔によって再び見開くべしっ」
一瞬の不穏な緊張は、聖なる炎(セイクリッド・フレイム)を呼び起こすグレルダンの大音声の祈祷によって雲散霧消した。エルカンタールの眼が開く。さらに、
グレルダン:「神の威光が届かぬとあらば、信徒がそれを持ちゆけばよい。貴様を太陽の神敵(ソーラー・エネミー)と定めるっ」
これまた大音声で呼ばわりながら、グレルダンは崖から飛び降りた。ぐしゃりと嫌な音はしたが、グレルダンの身体からほとばしった激しい光はビホルダーの視神経をさらに焼き潰している。こうしなければ届かなかったのだ。
ビホルダーの見開きかけた目を、再び光を取り戻したエルカンタールの矢が盲いさせた。メギスの魔法はうごめく眼柄を縛る(ホールド・モンスター)。飛来する光線をかいくぐってアーズが突撃する。睡眠光線をまともに喰らい、閉じかける瞼をこじ開けてブラントがハンマーを投げつける。
しかし、ビホルダーも必死だ。身じろぎした途端にローズマリーの身体に分解光線が命中する。鎧の端が塵に変わるのを目の当たりにして、ローズマリーは悲鳴を上げる。このままではいずれ体も塵となる! 攻撃をあきらめ、成功を呼ぶ呪歌(インスパイアリング・サクセス)を歌いながらローズマリーは自分にかかった分解の魔法を振り払う。
ビホルダーは焦っていた。厄介な射手の視力を今度こそ奪おうとしたが、盲目光線は当たらなかった。魔術師を塵に変えようとしたがかわされた。そしてチビの剣士を支配しようとしたが、これもかなわなかった。
――命を削る死霊の力は、あの魔術師の守りを貫けない。だったらやっぱり奴らの仲間を使ってやる。あのばかでかい剣を持ったボウヤはどうやらアタマが弱いようだし。
ビホルダーは生命力のすべてを振り絞った。具体的にはアクション・ポイントを使用した。アーズに魅了光線を撃った。命中した。
ハーフリングは転がって避けた。具体的にはセカンド・チャンスを宣言した。
が、かなわなかった。振り直させた出目でも魅了光線は命中していた。アーズはビホルダーに支配された。そして戦場の端ではエルカンタールが弓を構えたまま石化している。
端的に言って危機であった。だが、
グレルダン:「神は正しからぬことをお許しにならぬと言ったろうがッ」
太陽の信徒グレルダンの祈りは正確だった。ビホルダーの眼光を避けながらグレルダンは神の名を呼ばわった。エルカンタールの石化は瞬く間に解けた。はずだったが
エルカンタール:「しまった、指が……!!」
精緻を極めていた射は、それがゆえに一瞬の石化のために狂った。ついに目玉の暴君の主眼が再び光を取り戻した。もはや球体でない目、いびつな空洞にすぎなくなった口がにやりと笑った。
が、戦場を、戦況を操る力を持つ者はエルカンタールだけではない。ビホルダーの頭上で、メギスが低く呪文を紡いでいた。
ビホルダーの脳内に、闇の宮廷の楽団の奏でる楽の音(シンフォニー・オヴ・ザ・ダーク・コート)が忍び込む。有頂天になった彼の眼には、彼が望む都合のいい光景だけが映っている。無力を恥じ無礼を悔いてひれ伏す冒険者たちの幻。そう、もう戦いは終わりだ。そのはずだ。が。
まだ打ちかかってくるものがいる。
――どっちかが夢だ。悪夢だ。
ビホルダーは混乱しながら、ひとまず悪夢は悪夢として対処しようとした。さっき支配したボウヤを、鉄槌を持ったでかぶつに突っ込ませる。歪んだ視野の端が真っ赤に染まったから、ボウヤはちゃんと仕事をしてくれたらしい。それでもでかぶつは倒れない。ばかでかいハンマーを振り上げて、さぁ俺を飛ばせてくれなどと言っている。だからさっきから不思議なことをしている、きらきらひかる妖精をとりあえず石に変える。それから念のため、あのアタマの弱いボウヤをもう一度支配しておく。それから……
それから、は、なかった。
視界の外から飛んできた1本の矢が、ビホルダーの生命力の最後のひとかけらを射潰し、それきりだった。
大樹の見る悪夢
――どうやら、誰も欠けずに生き延びた。
目の前に転がるいびつな眼球の化け物がもう二度と動かないことを確認して、それからようやく一行はほっと息を吐き、行く手を見上げた。
森の少し先に見える、小山のように盛り上がった地形――いや、よく見ればそれは、あきれるほど巨大な1本の古木なのだ。それこそがおそらく目的地、“大樹要塞”だろう。あと少しか、とつぶやいたとき、その要塞の姿に重なるようにして、ねじくれ悲鳴を上げる大木の幻が重なった。
それは大樹要塞の魂が見ている夢――終わらぬ悪夢が周囲にあふれ出したものだと、全員が瞬時に理解した。いや、ただの夢ではない。これは事実だ。苦痛に絶叫する木は、その根から大地の精気をくみ上げ、脈打ちながら空に送っている。そして、その先には――飛空艇から見た、あの天空の要塞。
大樹の夢が時を遡る。大地が揺らぐ。巨大な城が大音響とともに大地から抜け、空に浮かび上がってゆく。城の地下構造のあった場所はそのまま巨大な穴になっている。覗き込めばそこは元素の混沌に直接つながっており、炎が、氷が、嵐となって轟音と共に渦巻いている。
ふたたび幻影が切り替わる。
城の前に立つ妖艶な女性。肉感的な肢体を蠱惑的な衣装に包んでいる。が、彼女から感じられるのは艶めく女性の魅力などではない。圧倒的で純粋な悪の力。おそらく、あれが女王シンの姿なのだろう。
身体じゅうに虫がたかるような不快感――かつては激痛であったものが、今はそうやってじわじわと身を蝕むだけに変わったのだ――を残し、悪夢の映像は終わった。
急いで先に進まなくては、と、誰からともなく言った。
とはいえ、出発前にビホルダーの死体と巣穴を改める作業は省かなかった。これからの戦いの役に立つものがあるかもしれない。魔法のものらしき指輪、それに真っ黒に煤けて血に汚れた鎚鉾が見つかった。これは本来聖なるものであったはずだとグレルダンが言うので、それも持っていくことにした。
グレルダン:「で、あの要塞へはどう入り込むかだが……だいたいにおいて親玉は高いところにいると決まっとる」
というわけで、神の声に伺いを立てることにした。具体的には視聴者アンケートを取った。
結果は圧倒的に“外から行く”。
“神の声”に従い、次回は大樹要塞を枝づたいに上ることになった一行。風通しがいいのは……たぶん、いいことだ。