第二次世界大戦に関する戦後処理の多くは、サンフランシスコ平和条約で行われました。
 
サンフランシスコ平和条約第1条は、45カ国との間で戦争の終了をうたっています。
 
第2条では、日本の領土権の放棄が規定され、朝鮮半島、台湾、千島列島・南樺太、南太平洋の諸島が分離地域となりました。
 
第14条(a)で、連合国に対する賠償が規定され、また、日本の在外財産に関しては、連合国が処分できることとされました。
 
サンフランシスコ講和会議には52カ国が招待されました。
 
カンボジア・ラオス・ベトナム・中国の4カ国は招待されませんでした。
 
ビルマ・インド・ユーゴスラビアの3カ国は招待されたにもかかわらず、参加しませんでした。
 
また、カンボジア・ラオス・ベトナムの3カ国は、招待されていなかったにもかかわらず、参加しました。
 
その結果、サンフランシスコ講和会議には52カ国が参加しました。
 
その52カ国のうち、チェコスロ