kaoruさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
今年も残すところ僅か。最近は、新しい年に向けて期待を膨らませる日々だ。
別にポジティブシンキングの塊だから、というわけではない。 今年、2017年がとても幸せな年だったからだ。 カーネギーホールでの YOSHIKI CLASSICAL SPECIAL 公演大成功の情報から始まり、1年間待ち続けた『WE ARE X』をやっと観ることができ、YOSHIKIとも会えて、しばらくは何度もシアターへ足を運んで『WE ARE X』三昧、運命共同体の皆さんと新たな出会いもあり、交流を重ね、ウェンブリー・アリーナ公演をシアターで観て、さらには館山で『WE ARE X』を観て地元の方々と交流を重ね、ついには横浜アリーナ公演にも御招き頂き、素晴らしいステージに感動した後、再びYOSHIKIと大切な会話をする事ができた。 その間、僕自身も古巣のソニーミュージックからアーティストデビューを果たし、作品のリリースとワンマンライブをスタート、地方公演もスタートすることができた。 そんな一年の向こう側に控えている新年に期待を膨らませるのは、とても自然な事だと思う。 それにしても、2月の終わりに『WE ARE X』を初めて観た時の衝撃は凄かった。
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。
「ガンガラ」という言葉は私も昔本で読みました。
当時は世界で絶対成功するとあのバンドを応援してました。
私も壁を求めてました。
家庭はほぼ崩壊しててイジメにも遭って平凡じゃなくて不幸だったのになぜかつまらない人生と退屈してました。で、不良になるくらい劇的なことおきないかなと思ったらきちゃいました。そしたら家が破産!借金地獄。そして元同級生が誕生日に死ぬ。でも秋の文化祭で主役をやって特別賞もらって3年間努力してよかったと思いました。東京に上京したけどライブいけない辛さ。バンドできない辛さ。ホコ天のliveで我慢してました。で、やっとやめて自由の身になってXにハマりメン募したりバイト探したけどみつからない。で、諦めてまた東京。晴れてXのliveいけるようになった。そっから泰司脱退、退職するけどお金落とす。友達に視擦れられる。もう駄目だと田舎に帰るけど、やっぱり東京への想いが強く今度はウェイトレスに就けました。でも怖かった。ライブいけないんじゃないかとか。で、3か月でやめて館山に行きました。そしてまた田舎に帰り、秦野に就職。20年後に杉ZOの聖地と知り唖然としました。また退職。で、リターンズをみる。就職できずにYOSHIKIの熱愛発覚でショックうける。秦野にいた頃に処女作の小説かいて記者に送ってたので2作目をノートに書く。05年ライブみたさに派遣社員になる。一か月で首に。それでもXファンと文通続けました。解散とヒデの死まで。PCなかった。DIRfanになった。99年に。00年に就職。ルナシー解散。01年、祖母の死。その後初めてヒデミュや墓参りした。WCでバンギャあがった。サッカーにのめりこむも、スナックで暴れて精神科に通院。その後、PCが手に入り、試合もみれるようになる。ヒデの墓参りした年にX再結成。復活ライブみる。一年間幸せで男もできた。しかし、罪をおかしてしまい一年間入院する。その後田舎で初の1人暮らし。自由で最初は解放されたけど、なぜかひきこもりになってしまった。そして震災と泰司の死。哀しかった。3年後また入院。そして引っ越して今に至ります。今は母が癌で闘病生活してる。最近は自費出版のチャンスがあります。もう15歳の私にいうなら「平凡が一番」これですねw
Post