ゲストさん のコメント
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リリースされたばかりの「Imitation Rain」を聴いて、感じたことを綴ってみたいと思う。 まず僕は、この作品がとても好きだ。 本来、作品というのは好きか嫌いか、だけでよくて、それ以上作品について語るのは、作品を生み出す側としてもナンセンスであるケースが多い、と常に感じているので、僕が「Imitation Rain」を聴いて感じたことの結論は、「深く感動した大好きな作品」となる。 ただ、このブロマガでは、もう少しこの作品について書いた方が連載の趣旨に適うので、「感動した」「大好き」以外についても綴ってみたいと思う。 僕がいつもYOSHIKI作品に期待するのは、サビがどこまで自分の心を動かし、その美しさで心を震わせてくれるのか、という点だ。 これは僕という人間の好みというか、音楽的な趣味が反映されているのである意味偏りがあるかも知れないけれど、「ENDLESS RAIN」から「ART OF LIFE」に至るまで、あの頃、YOSHIKIが作曲後に僕を呼び、二人だけで生まれたばかりの作品を味わいながら、名曲性を確認していた時もまた、二人がまず大切にしていたのがやはり「サビがどこまで心を動かし、心を震わせてくれるのか」という点だったのだから、そのあたりを語ることに意義はあると思う。 タイトルの「Imitation Rain」というワードで始まるこの曲のサビは、「Silent Jealousy」や「Rusty Nail」に共通する、誰もが心を動かされ、そのメロディーの美しさに心を震わされる、強いエネルギーを持った名曲のサビだ。 久しぶりにこのようなYOSHIKIならではの名曲メロディーを聴くことができて、とても嬉しい。 僕は、このように名曲として確実に成立しているメロディーのことをよく「一線を超えたメロディー」と表現しているけれど、まさにこの「Imitation Rain」のサビはそれだ。 作品について文章にする上で、イントロから順に書いていく方が自然なのだけれど、やはり僕の視点は共に作品を創ってた頃の意識を元にした方が、皆さんに楽しんで頂けると思うので、まず「一線を超えたメロディー」を持つサビの話から始めた。 なぜなら、この作品のように「一線を超えたメロディー」を持つサビが存在していると、それ以外のパートを創る上で「幸せ」や「快感」がどんどん溢れていく、という、制作者側の喜びが存在するからだ。 名曲であることが間違いない上で色々なアレンジをしていくことの喜び・・・と思ってもらって差し支えない。 さて、すでにこの「Imitation Rain」が名曲であることの幸せを感じつつ、この作品について僕の感じたことを綴ってみたい。 まず、名曲であることの他に、僕がこの作品に強く感じたのは、 ・何よりも「YOSHIKIのオリジナリティ」が強烈であること。 ・そのオリジナルな音楽性から「日本の美しさ」が感じとれること。 この2つだ。 僕はこの2つから、海外で成功している「世界のYOSHIKI」が SixTONESへ送る、愛のこもったエールを感じ取ったのだ。 どういうことか。 まず「YOSHIKIのオリジナリティ」が強烈であることで、前回のブロマガで僕が伝えたような、「YOSHIKIは海外アーティストである」という事実の圧倒的なリアリティーと、YOSHIKIが海外で成功している理由を感じた。 そもそも「Silent Jealousy」や「Rusty Nail」に共通するサビの名曲性から、今回のSixTONESのデビュー曲に向けたYOSHIKIの想いは、曲を聴いているだけで強く伝わってくる。 ファンを中心にあらゆる日本人を魅了するメロディーと歌詞・・・そんなYOSHIKIならではの名曲を提供して、数多くの人たちの心を動かす、という想いだ。 そして、そのような楽曲を提供する際に、メロディーや歌詞、アレンジのどこをとっても、JPopの人気曲に似たところなどは全くなくて、ひたすらYOSHIKIのオリジナリティに満ち溢れている。 これは「まずはモノマネありきの日本エンターテインメント界」とは違い、「本物しか通用しない本場アメリカのエンターテインメント界」の最前線で成功し高く評価されているYOSHIKIならではの、「本物のプロフェッショナルとして正しい姿勢」だ。 音楽的な細かい解説も後ほど記載するけれど、ダンスが重要な要素であるSixTONESのシングルとして、彼らのために用意されたビートは、ダンスミュージック=ブラックミュージックからの引用というJPopの定番パターンではなく、ロックの持つエネルギーを重視したYOSHIKIならではのXらしいダンスビートとなっている。 定番パターンを瞬時に壊してしまうことでわかる通り、YOSHIKIは「他者の魅力を借りる」ようなことを一切しない。 これはYOSHIKIが芸術家であることの結果であると同時に、オリジナリティに満ちたエネルギーしか通用しない、本場アメリカの厳しさも表している。 ブラックミュージックが主流である今のアメリカで、Xの持つロック・スピリットが、コーチェラという世界の舞台で多くのメディアに絶賛されたという事実が、そのYOSHIKIの姿勢の正しさを裏付けている。 当たり前のことだが、アメリカではモノマネや借用芸など、一切通用しないのだ。 次にそのオリジナルな音楽性から「日本の美しさ」が感じとれることに、どんな状況でも常に「世界の中の自分」を意識する、その志の高さと、日本という自分の生まれた国への深い愛を感じ取った。 YOSHIKIが、単に自分たちXというバンドの海外進出という目的だけではなく、日本のバンド・アーティスト、ひいてはアジアの音楽、といった広い視野で自分たちの文化を世界に伝えようとしていることは、様々な発言からよくわかる。 そして、今回YOSHIKIが責任を持って引き受けたデビュー曲を伝えていくアーティストは、SixTONESというまぎれもなく日本人のアーティストだ。 その大切な作品の音楽性に「日本の美しさ」が込められているのは、YOSHIKIなりの想いの結果なのだろう、と僕は感じるのだ。 それは、SixTONESのような限りない可能性を持ったアーティストに、自分で限界を作ることなく、世界に向かって自分たちを表現していいんだ、という想いだ。 過去このブロマガで、まだ若いアイドルシンガーのお茶をさりげなく注いであげたYOSHIKIの美しい所作の背景に、自分がアーティストとして常に大切にされてきたことの深い意味と、同じように大切にされなければいけない状況でそのアイドルシンガーが大切にされていない、と感じた、人間としてのとても真っ当な感覚がある、と書いたことがあるけれど、今回のSixTONESへの想いも似ている。 それは、自分たちがまだ若くて新人と呼ばれる存在だった頃、自分たちの可能性をとことん信じて、その可能性に決して限界を作らずにあらゆる挑戦を続けた結果、数えきれないほど多くの人たちに愛され、世界の舞台に立つことができた・・・という、実際の経験から生まれた想いなのだ。 そして自分たちが世界の舞台に立った時に感じた、日本という国への想いと、日本人である、というオリジナリティ・・・それらを今回の作品に込めて、SixTONESのメンバーが世界のどこでも自分たちを表現することができるように、という、YOSHIKIの深い想いなのだろう、と僕は感じたのだ。 どうだろうか。 この2つをつなぎ合わせると、今回の「Imitation Rain」という作品自体が、海外で成功している「世界のYOSHIKI」から SixTONESへ送られた、愛のこもったエールなのだ、ということがわかると思う。 そして何よりもまず、「Imitation Rain」は名曲なのだ。 その作品の力で、SixTONESやジャニーズファンのみならず、日本の数多くの人たちの心に届き、心を動かす、という役割をきちんと成し遂げつつ、同時にまだ若く可能性に満ちたSixTONESのメンバーに、世界的なスケールで活動する自分から愛のこもったエールを送る・・・。 まさにこの姿勢は、僕が前回のブロマガで伝えた「今あるべき大人の姿」そのものではないか。 そして、これだけポップなフィールドに作品を提供しながら、結局YOSHIKIは芸術家としての姿勢すら、目に見えない形で、SixTONESあるいは今回のシングル展開に関わるあらゆる音楽関係者に見せてくれているのだ。 それは、人気を得て人の心を動かすために大切なのは何より、多くの人の心に届きその心を動かす、オリジナルな美しい音楽作品なのだ、という光のような真理だ。 ただ消費されるアーティストにならずに、ずっと長く自分たちの可能性を高めながら、自分たちらしい表現を続けていけるアーティストとなって欲しい、というYOSHIKIの温かい気持ちが、その揺るぎない芸術への姿勢によって、SixTONESのメンバー、あるいは今回のシングル展開に関わるあらゆる音楽関係者に届いていくことを、僕はとても楽しみにしている。 【音楽的な解説】 リリースされ、皆さんが楽しみにしていた作品がやっと自由に聴けるようになったので、この曲の音楽面(歌詞以外)について解説をしてみたいと思う。 まず最初のイントロでは、ペンタトニックスケールで降りていくピアノが印象的だ。 僕が先に書いた「日本の美しさ」が、いきなり曲の最初に登場する。 ペンタトニックスケールというのは、移動ドで表現すると、隣の音と半音で繋がる「シ」と「ファ」をとばした音階のことで、日本古来から伝わる音階と一致するため、日本的な香りがする。 ユーミンの「春よ、来い 」のサビなどもこの音階だ。 ピアノのフレーズは 移動ドだと、レミソラ ミソレミ ドレラド ソラミソ 固定ドだと、ファソシ♭ド ソシ♭ファソ ミ♭ファドミ♭ シ♭ド ソシ♭ となる。 僕は次の繰り返しに入る寸前、最後に(移動ドで)「ミソ」の代わりに「ファミ」が入るところが好きだ。 次のレに繋がるきれいな流れなのだけれど、メロディーに対してこんなに微細なトリミングをするYOSHIKIのこだわりが、素晴らしいと感じてしまう。 続いてYOSHIKIらしい、つまりX的ともいえる、ギターをメインとしたリフが登場する。 (移動ドで)基本的にララド〜 の繰り返しで成り立つメロディーの歪みギターと、キックとソリッドなスネアだけ。 ハイハット的な要素すら省かれた、このシンプル極まりない構成だけで、オリジナリティ溢れるワイルドでセクシーなビートが身体に響く。 まさにこのオリジナリティとシンプルさが、世界レベルの音楽性を表しているわけだ。 また、スネアの奇数回にはディレイがかかっているけれど、偶数回にはかかっていないところも、イントロのピアノメロディーと同じように、非常に繊細で心地よいトリミング。 このようなところが、いわゆる最近のグラミー賞受賞作品などに多い、シンプルでありながらその最小限の音は圧倒的な快感に満ちている・・・そんな世界のトップレベルの音作りとなっている。 Aメロが始まると、「Rusty Nail」に似た質感のYOSHIKIらしい美しいメロディーが、ギター中心のワイルドなサウンドに乗せて歌われる。 なぜだかわからないけれど、僕はこの曲をまだクレジットが手許にないまま最初に聴いた時、ギターがYOSHIKIによるものだと感じ取った。 若干「Rusty Nail」のシンセリフを彷彿とさせるクリーンギターのフレーズも、手弾きか音源の再構成なのかはわからないけれど、何となくYOSHIKIらしさを感じてくれる。 それにしても、今回の作品は、ボーカルの声と歌の表情が素晴らしい。 Aメロの「ガラス」という言葉の表情や、薔薇のように〜の後の「Ah」の表現などからも、歌のクオリティーの高さがわかるのだけれど、こういったSixTONESのメンバーの可能性をYOSHIKIが深く理解していることが、先に書いたエールへ繋がっているのではないかと僕は思う。 やがていよいよ、名曲性を決定づけるサビが登場する。 メンバー全員の歌が、ユニゾンやハーモニーで美しく響く。 ボーカリストが複数存在することも、この名曲メロディーがひときわ光る理由となっている。 普遍的なメロディーだからこそ、複数の声が映える・・・きちんとSixTONESのための作品になっているわけだ。 2番のAメロでは、「JADE」の中盤で聴けるようなエッジのきいたアコースティックギターも加わり、歌も複数の声が美しく響くようなボーカルアレンジが施され、1番から変化が見られる。 そして再びサビの名曲性に心を動かされていると、そのまま新たなメロディーに繋がっていく。 サビからとても自然に続くこのパートは、やはり圧倒的な「一線を超えたサビ」が存在するからこそ、光るプロセスだ。 ちょうど「Say Anything」のサビの後、「If I can go back to where I've been」と続くパートのように。 それにしても、このパートで聴こえる「Dancing in the rain」という言葉が、なんと美しく響くことか・・・。 続いて再びイントロと同じアプローチから、ワイルドなサウンドにラップが乗るが、このラップの質感や表現も、決してブラックミュージックのそれとは異なり、ビート、ギター、ラップの立体的なエフェクト処理など、YOSHIKIらしい音作りとなっている。 このように徹底したオリジナリティを浴びていると、僕などは『オレはアフリカンアメリカンじゃない、日本人なんだ! オレは日本に生まれたYOSHIKIだ!!」というYOSHIKIの声が聞こえてくるような気すらしてくる。 そしてその自分の生まれ育った国とその血を大切にする心は、とてもとても尊いと思うのだ。 次に短3度上に転調して再び「Dancing in the rain」と歌われるパートが登場する。 今度は「夢を求めて」というところで、さらに日本的な香りが強くなっている。 サウンドにビートがないことで、ちょうど「Amethyst」のようなメロディーの美しさが際立って聴こえるのだ。 そこからバトンタッチするのは、それまでSixTONESを見守っていたプロデューサーのYOSHIKI本人が突然現れたかのような、名曲メロディーを奏でるリリカルなピアノ。 そのピアノに導かれるようにSixTONESの全員の声が響く。 そして、その直後、サウンドエフェクトから突然全く別のキーへ転調して、非常に美しい声のソロボーカルによってサビが歌い上げられる。 まるで突然異世界へ誘われるような転調だが、それはちゃんと音楽的な根拠がある。 実は音楽的に見ると、この転調は最も遠いキーへの転調となっているのだ。 Cm(E♭)からF♯m(A)への転調、つまり4度の半音上への転調という、調性的には最も遠い反対側のキーへの転調となる。 突然、日本からブラジルへ飛ぶようなもので、無理やりこじつければ短3度上のキーのさらに短3度上・・・とも言えるが、通常のポップスでは滅多なことでは登場しない転調だ。 CとF♯、つまりトライトーンと呼ばれる4度の半音上(=5度の半音下、減五度・♭5)というのは、わかりやすく説明すると、バッハの時代までは最も良くないとされていた音のインターバルで、当時は「悪魔の音程」と呼ばれていた位に好まれない音だった。ヨーロッパの緊急車両や地震速報の音などでこのインターバルが使われるのも、最も違和感があることで耳が敏感に反応するためだ) メロディーとしての繋がりを考えると、かろうじてその直前のドミナントコードの7thの音が、次の「戻れない」の「もど」の音ではあるけれど・・・。 このあまりに突然過ぎる転調を設定した理由は、ハイトーンボーカルを最も美しく響かせる音域に合わせるためなのかも知れないけれど、ひとつ確実に言えることがある。 それは、このように調性を無視している程に離れた転調が、聴いている人に違和感なくむしろ美しく伝わるのは、聴いている人の耳にこの「一線を超えたサビの名曲メロディー」がきちんと届き、心に響いているからなのだ。 つまり、この突然世界が変わるような転調は、「Imitation Rain」が名曲だからこそ初めて成立するのだ。 それにしても、F♯mという本来のサビよりも4度以上も高いキーで、美しい歌声を聴かせてくれるメンバーの歌がまた素晴らしい。 個人的には、「流れる時間を」のあたりなどが、Toshlの声とダブってしまうほどだ。 YOSHIKIもきっと、この素晴らしい声と表現力に期待を込めて、緻密なキーの設定やアレンジを施したのだと思う。 そしてトライトーンの関係であることから、戻る時もまた同じくドミナントの7thの音が「Imitation」の「Imi」であるという追い風のもと、また突然、本来のキーであるCmに戻り、メンバー全員による名曲メロディーが美しく炸裂し、やがてリズムとピアノだけが残り、曲はフィナーレを迎える。 このように細部を見ていくとわかる通り、この作品は、不必要なものが一切ない、研ぎ澄まされたシンプルさと、美しさが圧倒的であるがゆえに成立する豊かさや複雑さが、強い必然性で溶け合っている。 そしてその必然性とは、YOSHIKIの、芸術へと向かう音楽に対する情熱であり、まったく新しい名曲を生み出してしまう才能であり、心に咲く日本の美というオリジナリティを世界に通用させるセンスとエネルギーだ。 ジャニーズの新たなアーティスト、SixTONESがこの作品を表現することで、きっとまた新しい世代の人たちがそのピュアな心で「Imitation Rain」という作品の美しさに気づき、心を震わせてくれるのだろう、と思う。 それはまさに、その大切さを素直に受け入れる若い人たちへYOSHIKIが贈る「目に見えない大切な贈りもの」なのだ。 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(※この記事は2020年1月に書かれたものです)
Innocent Eyes スタッフからお知らせ
この記事などが本になったブロマガ本シリーズや、最新刊「Innocent Eyes -Bright Future-Vol.5」、「BLUE BLOOD」リリース30周年に書き下ろした新刊「美しい記憶」、そして代表作「すべての始まり」など、津田直士の著書はこちらをご覧下さい。
それぞれの本の目次、本によっては立ち読みページも見ることができます。 ※(今回の記事は「Innocent Eyes -Bright Future-Vol.3」に収録されています)
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「YOSHIKIの凄さ」
【津田直士プロフィール】音楽プロデューサー/作曲家
Sony Music在籍時に「BLUE BLOOD」「Jealousy」「ART OF LIFE」
のCo ProducerとしてX JAPAN(当時はX)をプロデュース
インディーズ時代から東京ドーム公演までをメンバーと共に駆け抜けた記憶
の一部は、映画『WE ARE X』や『金スマ YOSHIKIスペシャル』『『Disneyマイ・ミュージック・ストーリー - YOSHIKI』『ヘドバン「BLUE BLOOD」30周年記念号』『ヘドバン「Jealousy」30周年メモリアル』などにて、インタビューという形で語られている。
また、「すべての始まり」を始めとする著書には、その記憶が克明に描かれている。
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。
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