tomomolotusさん のコメント
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今回はいったんXの過去のストーリーから離れて、11月29日にYOSHIKI CHANNELで行われた「YOSHIKI×ひろゆき対談」を観た僕の感想を書こうと思う。 『YOSHIKIの人生にとって最も重要なあるものを、ひろゆきが持っていない』・・・という重要な真実を軸に、とても豊かで素晴らしかったこの対談から浮かび上がってくる、YOSHIKIとひろゆきの本質を深くわかりやすく書いてみたので、楽しみながら読んでみて欲しい。 それにしても実に面白かった。 対談番組としてある意味、驚異的に面白かったと思う。 観ながら何度も大声を出して笑ってしまった。 個人的に、僕が笑ってしまったポイントは、YOSHIKIが本当にまるで子どものように正直で素直なアクションを起こす、その瞬間瞬間だった。 もはや自然体という言葉すら追いつかない程の無垢さと正直さ。 しかも切れ味の良いひろゆきの質問に対して、YOSHIKIはそのまま答えるのではなく、質問の背景にある別の要素、特にひろゆきが知らない事実などをもとにして、きちんと発展させた内容について答えたりしているのだ。 つまり咄嗟に答えた内容が素直で子どものように無垢なのではなくて、きちんと大人として考えた上での答えが素直で子どものように無垢なのだ。 これは僕がこのブロマガなどで常々書いてきた、YOSHIKIの圧倒的な自然体の姿勢が生む人間性の、究極の表れだ。 ところで僕は、この対談を観終わって2つのことを思った。 その2つとも、気づいた人はいないんじゃないかな、と思っている。 もちろんあくまで僕の解釈と僕の感想なので(ここはひろゆきの懐かしい『それ、あなたの感想ですよね』を反射的に返しつつ読んで欲しいところ)、真実かどうかは神のみぞ知る、だ。 でも、1つ目はこれほど面白くて豊かな対談になった最大の根拠だし、そもそも二人の人間性の良さに繋がることなので、読んで頂いて損はないと思う。 2つ目は、おそらく今回の対談を観てこのことに気づいた人はきっと誰もいないと思うし、そもそも僕の気づいたこのことは、芸術家YOSHIKIの本質はもちろん、何よりひろゆきという人のあり方と本質を鮮やかに表しているので、最近世間を賑わせている彼についてこれほど的を射た見方はないのではないか、と自負している。 ぜひ楽しみながら読んでみて欲しい。 観始めてすぐに、YOSHIKIの会話をする心の状態がとても良いことに気がついた。 ひろゆきの質問は、客観的にはとても失礼なものばかりなのに、だ。 その理由は、YOSHIKIの動物的な直感によるものだと思う。 まず、YOSHIKIはひろゆきの人間性の一番の本質が「嘘をつかない、本音で尋ねる」であることを察知したのだろう。 その点については、YOSHIKIも全く同じだと言える。 だから、YOSHIKIは警戒心を持つ必要がないと察知したのだろう。 それともう一つ。 ひろゆきと同じように「嘘をつかない、本音で尋ねる」という本質を持つYOSHIKIだけど、ひろゆきと違うところがあって、YOSHIKIは常に相手が嫌な気持ちにならないように心がけている。 だから対談などの場では、必ず相手の気持ちを読み取って気遣う。 同じような本質を持っていても、このようなところがひろゆきと違うからこそ、数え切れないほどの人たちに愛されるのだが、それはまあ置いておいて、今回、自分と同じように「嘘をつかない、本音で尋ねる」という本質を持つひろゆきが相手なので、きっとYOSHIKIは気を遣わなくて良いと気がついたのだ。 気を遣わなくて良い分、ずっと気楽に話ができるわけだ。(それでも普段気を遣うことのないひろゆきは途中、気を遣うYOSHIKIに驚いていたが・・・) さらに、ひろゆきが頭の回転が早く、無知や偏見や価値観の固定化などから遠いメンタルの人間であることも、YOSHIKIはすぐに察知したのだろう。 そのことで、たとえ自分やXというバンドあるいは芸術家について理解が浅くても、そこを気にするよりも、ひろゆきの視点や意見の方をきちんと理解することへ関心が向かったのだと思う。 このようなYOSHIKIの直感が招いた結果として、僕には無邪気な子ども2人の会話のように見えて、とても楽しく、幸せな対談が実現したわけだ。 ひろゆきの無邪気だったり容赦のない質問は、たとえ表現が無礼だったり頓珍漢だったとしても、YOSHIKIがそれを気にせず無垢な様子で答える限り、内容によってはファンもこれまで聞きたくて聞けなかったような質問だったりして、YOSHIKIの答えを聞くのが嬉しかったり楽しかったりしたのではないだろうか。 そういう意味でも、今回の対談はとても有意義で豊かなものだったと言える。 今回のYOSHIKIの回答で、これまで話していなかった内容があったとしたら、それは紛れもなくひろゆきの質問による大いなる成果であって、このところ多くのメディアに登場する機会の多いひろゆきの手腕によるところだと納得がいくものだった。 ちなみにもう一つ、僕が気づいた大切なポイントについて書く前に、10年以上前からひろゆきの本質に興味を持って肯定的に見つめてその魅力を理解している僕が、今回のひろゆき対談でYOSHIKIについて強く感じたことを書いておきたい。 それは、自分より年令も若く容赦ない質問を浴びせかける無礼なひろゆきに対して、あそこまで素直で柔軟に、かつ自分の方は礼儀やリスペクトを欠かさず対応したYOSHIKIの姿勢に対する驚きだ。 僕の知る限り、YOSHIKIは人の本質を見抜く鋭い眼を持っているので、先に書いたようにひろゆきという文化人の本質を見抜いて対処したのだと思うけれど、これまで様々な人たちと対談を重ねてきて、常に相手の本質を理解しながらリスペクトして気遣いすらしながら、自分らしい姿や本気で感じている強い想いなどを正直に、そして説得力ある表現で伝え続けてきたYOSHIKIの姿に、今回も深く感動したのだ。 たくさん笑ったけれど、結果として僕は今回もまた、心から感動した。 それは、芸術家という人生を貫き通す凄さであり、音楽に生き、仲間とファンを大切にして、努力を惜しまず夢を実現していくという、YOSHIKIならではの生きかたをどんな時でも見せてくれる貴重な姿であり、自分を大切にしているから常に自分以外の人も大切にできるという深い人間性から生まれる、とても美しい姿だった。 僕は今、この対談で個人的に感じたYOSHIKIについて「美しい姿」という表現をした。 いよいよ、非常に重要なことを書く時が来たようだ。 では、最後に皆さんに伝えよう。 このことはYOSHIKI自身もひろゆきも気づいていないと思うけれど、YOSHIKIを愛している皆さんには、きちんと伝えておきたいと思う。 ひろゆきが無礼で容赦のない質問を重ね、それに対して驚くほどに素直な答えをYOSHIKIが返し続け、最終的にはSNSでのやり取りにおける自分自身の葛藤まで吐露しながら、その辺りに詳しくて強靭な姿勢を保つひろゆきに、YOSHIKIが心得を教えてもらうところまで行った今回の対談で、世界的なアーティスト・芸術家であるYOSHIKIと、メディアで重宝される文化人ひろゆきとの、根本的な違いが一つだけ明確になった。 そして、今回の対談の面白さは、その違いが生んだとも言えるのだ。 またその違いは、ひろゆきがどんな誹謗中傷にも耐えうる強靭な姿勢を保つことのできる理由そのものも浮かび上がらせてくれるし、一方で、今回「何をそこまで背負うのか?」とひろゆきに問われたYOSHIKIが、その背負うものを決して捨てることのできない本当の理由も明確にしてくれる。 違いとはいったい何だろうか。 実は、YOSHIKIの人生にとって最も重要なあるものを、ひろゆきは持っていないのだ。 YOSHIKIの人生にとって最も重要なあるものについて、ひろゆきは関心がないのだ。 YOSHIKIはそのことのために人生を懸けて生きているけれど、ひろゆきはそのことがないから自由に論説をして論破を愉しめるのだ。 そのあるものとは・・・。
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。
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