日々、様々な情報が飛び込んで来る。
 
 僕などは、自分の気分や感覚と関係なく一方的に情報が入ってくるのが苦手なので、もう10年以上テレビのない生活を送っているのだが、それでもやはりネットを通して情報は飛び込んで来る。
 
 たとえどれだけ膨大だとしても、それが単なる情報だけであればさほど問題はないのだが、届いた情報の内容によっては、気持ちが大きく揺らいだりネガティブな気分になったりして、ひどく心が疲れてしまう。
 
 その情報が届いてさえなければ不安になったり悲しくなったりしなかったのに・・・と残念に思う。

 実際、スマホ依存やスマホの見過ぎによる弊害についての研究が最近進んでいて、デジタルデバイスを休みなく使っているうちに膨大な情報が絶え間なく流入することで脳が情報を整理しきれなくなり、情報がただただゴミのように溜まってしまい、「脳過労」の状態に陥ることがわかってきた。

 その結果、物忘れやいらだち、抑うつなど、心身に具体的な症状が起きる恐れがあるのだそうだ。 

 何かにつけて「自然であることが正しい」と考えがちな僕など、ネットやデジタルデバイスとの関わり方に気をつけないと心身のバランスを大きく崩しネガティブな問題が発生する、というリスクが気になってしかたがない。 
 
 これらの問題は基本的に「情報過多」にあるわけだが、情報が多すぎることでネガティブな気分になる・・・ということの「ちょうど逆のこと」について、最近想いを馳せていた。 

 つまり「自然であること」の大いなる意義についてだ。 
 
 
 

 先日、久しぶりに貴志真由子ちゃんのお母さんとゆっくり話す機会があった。
 
 レモカフェ(レモネードカフェ)が和歌山から藤沢に移転したので、お店の様子を見に伺い、同じ建物内にあるいくつもの音楽施設を案内してもらったりした後、お店でゆっくり話をしたのだ。
 
 hideのこと、レモカフェのこと、今回の移転やご家族のこと、そして真由子ちゃんとのお別れの時間の記憶・・・。
 
 話すことはいくらでもあって、気がついたら2時間近く話していた。