☆ファランクス☆さん のコメント
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音楽は不思議な芸術だ。
文学や絵画、演劇や映画と同じように、あらゆる感情を描き、表現するけれど、音楽の場合、その音自体は必ず美しい。
ノイズミュージックなどごく一部の例外を除いてだが、そもそも音自体が美しくなければ、音楽として成り立たない。
名画「ゲルニカ」は内戦の悲惨さを表現している作品だが、まず画の内容自体が、悲惨な状態を分かりやすく描写している。映画「プライベートライアン」もやはり同じ。
一方、音楽が表現する場合、 悲しみを表す曲でも、和声・メロディ・音色、全てが美しい。 例え不吉な和声にのせて禍々しいメロディを奏でていても、音色は美しい。 もしピアノがあったら、「ファ」と「ラ♭」と「ド」と「ミ」を同時に鳴らしてみて欲しい。ギターなら、Fm△7というコードだ。 どうだろう。 怖い感じや不穏な感じがしないだろうか。 そう、この和音では怖い感じや不穏な感じを表現できるのだけれど、音楽だから、その響きもピアノの音色も、あくまで「不快」ではなく「美しい」のだ。 もちろん、楽器でこの和音を鳴らす代わりに、なにか気味の悪い、不快な音をたてれば、同じように怖い感じや不穏な感じを表現できるけれど、それはもはや音楽ではない。
このように音楽は、他の芸術と違い、いい意味で偏っているのだ。
思うに、音楽はクオリアの塊だ。
メジャーコードとマイナーコードの響きの違いを、世界中の誰もが同じように感じる。
音の高低と長さのつながりぐあいで、「単なる音」が「メロディ」となり、世界中の誰もが同じように心に響くメロディとして受けとめる。
打撃音をある一定のパターンで鳴らすと、そのリズムを世界中の誰もが同じようにビートと感じる。
そして、誰もが心地よく感じる音色や和声をもとに、才能ある人が生んだ音楽作品は、多くの人たちに特別な感動を与え、魅了する。
音楽がクオリアの塊だからだろう、もしある人が、「好きな作品に心打たれる感動」を他の人に言葉で説明しようとしても、なかなか簡単にはできないだろう。
作品に込められた作者の感性の響き、心の輝きや情感のうねりなどが、リズム、和声進行、メロディなどによって、聴いている人に様々な感情を呼び覚ます・・・。 その複雑さは、なかなか言葉で説明できるものではない。
クオリア。 言葉では表せない、あの感じ…
その塊である音楽…。
作者の心にある「言葉では表せない、あの感じ」を作品を通して聴き手が受け取り、同じように感動する。
そう。音楽は共感、共鳴、共振で成り立つものなのだ。
それは当然、Xも同じ。
今までXというバンドの精神面を中心に書いてきたが、そろそろ「Xの音楽」というクオリアについて書いてみたいと思う。
1988年、僕はXの音楽に、どう惹かれていったのか。 クオリアの塊である音楽に一生を懸け始めていた僕が、出会った当時、Xの音楽をどのように感じ、なぜ共に創る立場になっていったのか。
今回からそのあたりを含め、いよいよ Xの音楽面について書いていきたいと思う。
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僕が最初に Xの音楽をきちんと聴いたのは、以前書いた通り、できあがったばかりのインディーズ アルバム「Vanishing Vision」の音源だった。
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。
X も然り!
僕は 日本のバンドでエックス以外には デッドエンドや ディル・アン・グレイ、ガスタンク 、黒夢
ブルーハーツ、ボウイ、平沢進、COLOR、かまいたち、バイセクシャル等が好きなのですが、
今挙げた全てのバンドは 世界のどこのバンドも真似のできない、個性 、世界観、格好よさの塊だと思います!!!
僕は 日本のプロのアーティストを尊敬していて、
ヒデそうでしたが、 ジャケット、 コンサートの構想、衣装 、化粧、などのすべてに妥協を許さず、
こどものようにたのしんでいた
そんな 日本のアーティストは日本が、世界に誇れる方ばかりです(^o^)
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