それは昨年三月、震災発生直後の読売新聞の記事を私が「盗用した」という寝耳に水の疑惑であった。
余りにバカらしい。私が盗用?いったい何のために?
私には、大手新聞社の記事を盗用する理由も必要も何一つない。
だいたい、この12年間のジャーナリスト生活で、繰り返し、それこそ担当編集者が嫌がるほどクレジットを明記し、それを実践してきたのはほかならぬ私自身だと自負している。
その私が、いったい何のためにわざわざクレジットを外して、盗用する必要があるというのだろうか?まったく笑止の沙汰だ。
だが、そうは言っても、現在のネット上での「上杉隆」という人物を叩くこと こそが「正義」だいう冷静さを欠いた風潮は、それこそ冷静な判断による議論ができなくなっている。
何を言おうとと、私を否定したい人は否定するし、逆もまたしかりである。私の意見ではない。そうした人々は私自身を否定したいのだ。
そうした半ば狂信的な人々に、どんな言葉も通用しないのが現実である。
この感情的な時代と扇情的なメディア空間、とりわけ私自身を否定したい人々が、このでたらめな噂に飛びつくのは時間の問題だと思われた。
案の定、ネット上では妄想逞しい人々がいくつもの妄想を重ね、勝手に盛り上がりはじめていた。 私は沖縄の地で可能な対応を探った。できることは、当時の関係者に確認の電話を行い、ある程度の証言と証人を集める。そして、本来のゴルフ取材に集中して東京に戻ってから、再度対応することだ。