Satoshi Otakeさん のコメント
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今回から、分析哲学研究者の小山虎さんによる新連載「 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ 」がスタートします。インターネットや人工知能など、現代の情報テクノロジーを築いた知の根幹には、アメリカに流れ着いた意外な哲学的潮流の開花があった…? 二度の大戦をまたぐ20世紀社会の激動を背景に、その知られざるルーツに迫る壮大な思想史絵巻が、いま紐解かれます。
1946年、プリンストン
一枚の写真がある。1946年9月にアメリカのプリンストン大学創立200周年を記念して開催された「The Problems of Mathematics(数学の諸問題)」という数学の会議での、参加者たちの記念撮影だ。
写真出典:https://albert.ias.edu/handle/20.500.12111/4685
当時の代表的な数学者が多数参加している。なかには読者が名前に記憶がある参加者もいることだろう。例えば、右端から5人目、中段にいるジョン・フォン・ノイマン。ノイマン型のコンピューター・アーキテクチャにその名を残すだけでなく、ENIACを元にしたコンピューターをアメリカ各地に建造することを推進したことでも知られている彼は、第二次世界大戦で日本に投下された原子爆弾の開発計画であるマンハッタン・プロジェクトにも参加していた「応用」数学者だった。現在のコンピューター・サイエンスの全貌は「応用数学」の名前が与えるイメージよりはるかに巨大なものになっているのに対し、当時のそれはまだ数学との繋がりがかなり大きかったのである。フォン・ノイマンはこの会議で「新分野」と題されたセッションの座長を担当していた。 あるいは、フォン・ノイマンとは逆の左端から5人目、前から2列目にいるクルト・ゲーデル。不完全性定理という、あまりにも知られすぎたために多くの誤解を生み出したあの定理を証明した20世紀、あるいは史上最大の数学者・論理学者である彼もまた、この会議に参加していた。
他にも著名な数学者、論理学者、物理学者、そして哲学者の顔が見られる。例えば、ポール・ディラック、ヘルマン・ワイル、W. V. O. クワイン、アロンゾ・チャーチ、スティーブン・クリーネ、J. C. C. マッキンゼー、A. W. タッカー、……本連載のどこかでまた彼らに触れることになるかもしれないが、まずはフォン・ノイマンとゲーデルの間、フォン・ノイマンから左に5人目、ゲーデルから右に10人目に当たる、ある人物に焦点を当てたい。彼の名はアルフレッド・タルスキ。ゲーデルと並ぶ20世紀最大の論理学者とも呼ばれ、タルスキ型真理定義(意味論)やバナッハ・タルスキのパラドックスにその名を残し、幾何学の完全性証明やモデル論の基礎を築いたことで知られる彼のことは、哲学(とりわけ分析哲学)を学んだことのある人であれば聞いたことがあるはずだ。タルスキもまた、この会議に主要な参加者として招待されていたのである。 当時、1903年生まれのフォン・ノイマンは42歳、1906年生まれのゲーデルは40歳、1901年生まれのタルスキは45歳。この20世紀を代表する数学者・論理学者である3名は同年代でもあった。さらに、3人とも第一次世界大戦前、民族自決の激動に翻弄されていた中欧の生まれであり、母国で学位を取得した後、安定したポストに就く前の30代の時に、ナチス台頭によるユダヤ人迫害の影響でアメリカへ移民したという点でも共通している。
彼らのうち一人でも違う世代に生まれていたならば、あるいは、アメリカに移民してこなかったならば、20世紀の数学の歴史だけでなく、コンピューターの発展にも大きな影響が出ていたに違いない。フォン・ノイマンだけでなく、ゲーデルもタルスキも初期のコンピューターの発展と無関係ではない。コンピューターは20世紀前半に大きく発展した数理論理学なしに生まれることはなく、ゲーデルとタルスキはフォン・ノイマン以上にそれに貢献したと言っても差し支えないからである。
本連載では、この3人の邂逅に象徴されるアメリカのコンピューター・サイエンスの原点をめぐって、まだあまり知られていない思想史的背景を紐解いていく。 現在のコンピューターやインターネット、あるいは人工知能といった情報技術の発展のルーツには、先述したマンハッタン・プロジェクトに代表される第二次大戦期の巨大軍事科学開発があることは、言うまでもないだろう。また、それが戦後にハッカー文化やヒッピーイズムといったカウンター・カルチャーの機運と結びつき、アラン・ケイやスティーブ・ジョブズなどによって体現されるような西海岸的なIT思想を生み落としていったという「物語」も、今ではよく知られるようになってきている。 しかし、分析哲学を専門とする筆者の視点では、それはあくまで一面に過ぎない。分析哲学とコンピューター・サイエンスは、その名を知っている人の多くにとってはまったく無縁なものだろうし、両者の共通点が指摘されることなどめったにないが、じつはどちらも19世紀ヨーロッパで生まれた数理論理学を源泉とし、戦後アメリカで本格的に発展した分野である。じっさい、戦後しばらく、まさにこの写真が撮影された1946年ごろまでは、分析哲学とコンピューター・サイエンスは互いに影響しあいながら発展してきた。例えば、「コンピューターの父」と称されるアラン・チューリングはウィトゲンシュタインの講義に出席しており、二人の間で熱心な議論がなされていたことがわかっている。第二次大戦期の巨大科学と西海岸のカウンター・カルチャーの結びつきにしても、その背景に分析哲学の発展と通底する契機が見られるのである。 加えて、本連載が進むにつれて明らかになっていくだろうが、その背景に、20世紀初頭の近代科学にキリスト教的世界観との衝突など様々な「危機」が生じていたことを受け、そのありかたを問い直す営みとして当時生まれつつあった新たな分野である科学哲学の存在があったことも無視できない。そして彼ら3人の結びつきもまた、数理論理学と科学哲学を介してのものだったのだ。
ところで、当然ながら、著名な数学者であるこの3人はこのプリンストンの会議で初めて出会ったわけではない。ただ、この3人が揃ったのはこの会議が最初かもしれない。少なくともアメリカでの公式な場としては、おそらく間違いない。3人のうち最後に移民したゲーデルがアメリカにたどり着いたのはすでに第二次世界大戦が始まっている1940年であり、この1946年のプリンストンでの会議は、アメリカでの戦後初の大規模な数学の会議として企画されたものだからである。
1930年、ケーニヒスベルクとウィーン
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