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f1reさん のコメント

「震災」とアイドル話とが全く繋がっていないように見えるのですが・・・
この記事をCtrl+Fキーで検索しても、「震災」という言葉は冒頭の一行にしかありませんし
No.4
139ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
さしこのくせに生意気だ 「AKB48 32 ndシングル選抜総選挙 夢は一人じゃ見られない」 宇野常寛 THE SHOW MUST GO ON 16 震災を経ても〈世界〉は終わらない。〈非日常〉が混じり込み、常に緊張感に覆われた〈日常〉が続く。そんな中で生きていく私たちにとって、物語は、想像力は、どのような力となりうるのか。気鋭の評論家による、批評連載。 しかし、まさかこんなことになるとは思っていなかった。 順位を上げるとは思っていたけれど、 まさか速報からぶっちぎりの1位を独走するとは、 思ってもみなかったのだ。  たぶん本人は覚えていないだろうけれど、指原莉乃には一度だけ会ったことがある。3年ほど前に僕の主宰する雑誌のグラビアに出てもらったのだ。それも彼女ひとりではなく、彼女を含むAKB48の若手期待株のグループのひとり、として出てもらった。その記事にはグラビアに加え、彼女たちのかんたんな座談会のようなものを加えた。当時の僕はまだAKB48に興味を持ち始めたばかりで、それほど彼女たちについては詳しくなく、インタビュアーは僕のアイドルオタクの友人が務めた。聞き手がプロではないので、もしかしたら話が弾まないこともあるかもなと編集長として心配していたりもしたのだけれどそれは杞憂だった。メンバーの中にひとりやたらと察しがよくて機転の利く娘がいて、彼女がこちらの意図をほどなくつかんでその方向で会話を盛り上げてくれたのだ。その「やたらと察しがよくて機転の利く娘」が指原莉乃だった。(同行したその友人は、取材後すっかり彼女に「推し変」していた。)  あれから二年余り、指原はその才覚を生かしてどんどん人気者になっていった。最初はブログの個性的な投稿で、やがてその「へたれ」でネガティブシンキングでビビりなキャラクターをテレビ番組でいじられることで愛されていった。この間に秋元康以下の運営サイドも彼女の魅力を評価し、強烈にプッシュしていった。僕が取材したころ指原は選抜総選挙で19位の中堅メンバーだったが、その後二年の間に9位、4位と順位を上げていった。気が付けば「へたれ」のいじられキャラだけではなく、かゆいところに手が届く有能なMCとしての側面も広く知られるようになっていた。指原が当時週刊誌のグラビアを飾ったとき、「さしこのくせに生意気だ!」という見出しが躍った。当時の指原の愛されかたを実によく捉えたコピーだと思った。指原の小賢しさは愛される小賢しさだった。絶世の美少女でもなければ、とりわけ歌やダンスが上手いわけでもない。そんな指原の武器は自らがかつて熱心なアイドルオタクとして、現場に通い詰めた経験とそこで得たノウハウだ。(大分県出身の指原は、当時全身に好きなアイドルの写真を貼り付けて九州各地のコンサートや握手会の会場に出没する有名なオタクだったという。)指原は、他のどのメンバーよりもアイドルオタクの心理を理解していた。そしてファンの目線から考えて自分を演出し、そして周囲のメンバーの個性を引き出していった。それが時にはユニークなブログ投稿やテレビでのコメントとして、時には劇場で他のメンバーをいじるMCとして発揮されていった。  そのころ僕はすっかりAKB48にハマって握手会にも通うようになっていて、漫画家の小林よしのり氏や、コラムニストの中森明夫氏と一緒に社会現象としてのAKB48を真剣に語る仕事をはじめていた。指原が総選挙で4位になったとき僕は運営の「ゴリ押し」に少し飽きてきたと苦言を呈するその一方で、指原のようなメンバーが上位に食い込むのがアイドルの既成概念を壊し続けてきたAKB48らしいのではないか、と発言した記憶がある。そして小林さんを中心に本を出そうかという話が盛り上がったころに、あのスキャンダルがあった。  指原が「神7」と呼ばれる初期AKB48を支えた上位メンバーに食い込んで4位になった総選挙の直後、週刊文春は指原の過去の男性ファンとの交際を報じた。その週末、秋元康は指原を連れて深夜ラジオ(AKB48のメンバーが週替わりでパーソナリティを務めるニッポン放送『AKB48のオールナイトニッポン』)に生出演した。涙ながらにファンに謝罪する指原に秋元は福岡の姉妹グループHKT48への移籍を命じた。このとき、自宅でラジオを聴きながら原稿を書いていた僕は、言葉を失った。そしてすぐに、これは「神の一手」だと思った。総選挙で第4位に食い込んだ指原の過去のスキャンダルを、選挙直後のこのタイミングで出す──週刊文春の計算は完璧だった。しかし秋元康はこの完璧な一手を完全に逆手に取った。地元・福岡でこそ盛り上がっていたと言われるものの、いま一つその存在感が全国区になれないでいたHKT48の活性剤として、指原は「左遷」というかたちで送り込まれたのだ。こうなってしまうと、ファンもメディアも指原とHKT48に注目せざるを得ない。災い転じて福となす──まさに「神の一手」だった。  その直後に、僕たち(小林よしのり、中森明夫、濱野智史の各位と僕の4人)はAKB48についての本(『AKB48白熱論争』〈幻冬舎新書〉)を作り上げるために集まった。そこでの話題はほとんど指原についてのものだった。思えばこのときから、僕たちは指原のペースに巻き込まれていたのかもしれない。そこで僕たちは──今読み返すとびっくりするのだが──指原がその能力を駆使してHKTのプロデューサーとして、秋元康に次ぐ第二のプロデューサーとして有効に機能する可能性について言及している。 濱野 ただ、秋元康は別の面でもさっしーを評価してますよね。「おまえ、アイドルには向いてないから放送作家になれよ」とか言うじゃないですか。たしかに、彼女にはそういう能力があるんですよ。 中森 だとしたら、秋元康の後継者なんだ!? すげーな。そう考えると、秋元さんが恋愛禁止のタブーを破って高井麻巳子と結婚したのは象徴的だよね。そもそもAKBという宗教は、少女アイドルに手をつけてしまったプロデューサーが作り、そこに恋愛禁止という戒律を科した。しかもその秋元康が、さしこを後継者として選ぶかもという。 宇野 実際、さっしーはいろんなところでアイドルオタクとして他のメンバーの魅力を語ってますよね。それも実際に一緒に活動しているからこそわかるポイントを、たぶん適度に盛りながらピックアップしている。器用だな、と思います。 中森 プロデューサーの資質があるんだね。 小林 じゃあ、HKTも彼女が仕切っていくのかな。 濱野 派遣プロデューサーみたいな感じになるかもしれませんね。さっしーがブログにHKTメンバーのことを書き、秋元康がそれを見て「なるほど」と作詞の参考にする。そういうことがやりたくて、さっしーを送り込んだような気もします。 宇野 そうだとしたら、ますますあのHKT左遷は「神の一手」だなぁ。  そして、あれから一年、実際に起ったことは「それ以上」だった。  指原は僕たちの予想をはるかに超えるレベルで、HKT48第二のプロデューサーとして機能した。年長メンバーとしてHKT48の精神的支柱の一つとなるだけでなく、劇場で、バラエティ番組で、指原はその高い司会力で未成熟な若いHKT48のメンバーの個性を引き出していった。(とくに冠番組『博多百貨店』のクオリティの高さはHKT48の躍進に大きく貢献したように思える。そして同番組は指原の司会力と、若手メンバーに対する細やかなケア=いじりなくしては成立しなかった。)またHKT48以外でも指原は移籍直後にももいろクローバーZやSUPER☆GiRLSなどの競合関係にある他グループを巻き込んだコンサート(『指原莉乃プロデュース 第一回ゆび祭り?アイドル臨時総会?』)を総合プロデューサーとして企画し、話題を集めた。秋元康のプロデュースが常に(いい意味で)ファンを裏切り続けるスリリングな面白さを追求するタイプのものなら、アイドルファン出身の指原のそれはオタク心を知りつくし、そこを巧妙に突いてくるタイプのものだった。この新しい面白さに、多くのファンが魅了されたのは間違いない。  そして2013年4月、AKB48グループ全体が参加した日本武道館でのコンサート会場で、指原はHKT48のメンバー兼「劇場支配人」に任命された。そう、今の指原は選手兼監督、物書き兼編集者、ポケモン兼ポケモンマスターのようなものなのだ。秋元康の「神の一手」によって博多に向かった指原は、その後は実力で逆境をチャンスに変え、そして成果を残したのだ。 そう、指原のセンター以降、これまでと同じように 恋愛禁止条例が機能するとは考えられないだろう。 ポケモン兼ポケモンマスターであるメタ・プレイヤーは ゲームのルールを、システムを更新し得るのだ。  だから今年の総選挙が近づいてきたとき、僕は指原は去年より順位を上げるだろうと予測した。アイドルとしての指原の限界は4位かもしれないが、そこにプロデューサーとしての評価が加わりベスト3に入るだろう、と僕は語った。テレビの番組に出演して今回の注目メンバーを尋ねられたときも、彼女の名前を挙げた。しかし、まさかこんなことになるとは思っていなかった。順位を上げるとは思っていたけれど、まさか速報からぶっちぎりの1位を独走するとは、思ってもみなかったのだ。  そう、今回の総選挙はご存知の通り指原の圧勝に終わった。誰もがこの結果に驚いていた。(ただひとり、濱野智史だけはこのことを正確に予測していた。)  特にあの日、会場で小林よしのり氏は激怒していた。でも誤解しないでほしい。氏は誰よりも指原の才能を買っている。買っているからこそ、指原がその実力でセンターを勝ち取ったことに不満を覚えたのだ。小林氏がアイドルに必要不可欠だと考える恋愛禁止条例が、指原の勝利によって事実上無効化されてしまった、というのだ。けれど僕は、こうやってファンの民意でアイドルの、芸能の在り方を更新していくのがAKB48だと思う。  もちろん、今回の指原のセンター獲得にまったく不安を覚えないわけではない。たとえば、指原は1位を獲得後のスピーチを、彼女がレギュラーで出演するバラエティ番組『笑っていいとも!』に由来するギャグで〆た。些細なことかもしれないけれど、僕はこの一言を耳にしたとき、AKB48がテレビのものになってしまうのではないかという不安を覚えた。ある時期までマスメディアとは距離を置き、独自のシステムと文化を育んできたのがAKB48ではなかったか。その象徴である総選挙の、それも1位を取った人間のスピーチがテレビネタで〆られるというのは僕には少し寂しく感じることだった。指原が、テレビバラエティの世界に器用に順応する力をもっていることを知っているからこそ、少し不安になったのは間違いない。  あるいは大島優子が2位として名前を呼ばれたとき──つまり指原の1位が確定したときに、今回の選挙は「面白い」「笑える」ものとして受け取っていいのではという旨の発言をしたが、このとき僕はこの結果を「笑おう」という空気が指原の正当な評価を覆い隠してしまうのではないか、と思った。もちろん、優子はむしろある種の気遣いとしてこうした発言をしたことは間違いない。しかし結果としてそれが今回の選挙を「マジ」なものとして受け取るべきではない、という文脈ができるのはよくないと思った。  だから僕は、自分の言葉で指原の1位を分析して、彼女に与えられた正当な評価について触れなければいけないと思った。指原はテレビのゴリ押し「だけ」で1位になったわけでもないし、この選挙結果は単に「面白い」だけじゃない。「マジ」な側面がちゃんとあったのだ、ということを訴える必要があるように思えたのだ。  そう、僕もあの日、あの場所にいた。今年の総選挙の開票イベントは全国でテレビ中継されていて、僕は解説役として現地の日産スタジアムの放送席からその経過を見守っていた。そして、放送終了間際に一瞬だけ、生中継で指原本人と話す機会があった。僕は指原にこの結果を順当なものだと思う、と言った。この一年、もっとも強い物語を生きたメンバーは間違いなく指原だ。躍進とその後の転落があり、そして流された新天地で成果を上げる。それも自分だけではなく、若い博多のメンバーを見出し、引っ張ることで成果を上げたのだ。ファンはそんな彼女の一年を、素直に評価したのだ、と。短い時間だったけれど、ある程度は全国の視聴者に伝わったのではないかと思う。  あれから半月が経って、総選挙の結果についても語り尽くしたような気がしている。今思うと、大島優子のような(あの前田敦子に唯一対抗し得た)超人を倒すには、単にアイドルをやっているだけではダメだったのではないか、とも思う。たしかに渡辺麻友は素晴らしいアイドルだ。限りなく完璧に近い。僕も大好きだ。しかし、今のまゆゆはアイドルというものの定義を更新しない。しかし、指原には(結果的にだが)それができる。あの優子を倒すには、言ってみれば裏道から入ることが、(いみじくも優子自身が述べたように)優子という絶大な壁を突破するには横からすり抜けていくしかなかったようにも思う。  しかし、それが特別なことだとは僕は思わない。そもそも現代の情報社会に生きる僕たちは──なんて書くと大仰だが、すっかりメディアを扱うこと、自ら発信することに慣れてしまった僕たちは──多かれ少なかれ誰もが消費者であるだけでなく発信者としての視点をもっている。観客としてだけではなく作家や演出家としての目をもっている。だから、「キャラ」なんて奇妙な和製英語が定着して、「私って?なキャラだから」とか「〇○さんは?なキャラだよね」といったメタ言説が、まるで作家や演出家が劇中の登場人物を扱うかのような言説が、日常的な会話として成立している。僕たちは多かれ少なかれ、指原と同じ選手兼監督でありアイドル兼プロデューサーのメタ・プレイヤーなのだ。そして、AKB48が「会いに行けるアイドル」として、どこにでもいる、普通の女の子の魅力でファンを引き付ける装置だという原点に戻るのなら、絶世の美少女でもなければ歌や踊りが得意なわけでもない指原莉乃が、そのメタ・プレイヤーとしての資質で評価される(人気者になる)という現象は、まさにAKB48がこれまで目指してきたことそのものだ、という見方もできるはずだ。  そして、ついでに言うとこれまでさんざん、頭の固い大人たちは高度資本主義を楽しく生きる僕たちをシステムの奴隷になっている愚民だと罵ってきた。選手は監督の、物書きは編集者のコマであり、そしてポケモンはポケモンマスターの奴隷であるというのだ。しかし誰もがメタ・プレイヤーである僕たちの代表でもある指原莉乃はアイドル兼プロデューサーとして民意を武器に、(本人の意図とは別に、結果として)恋愛禁止条例が象徴する既存のアイドル観とそれを支えるシステムを変えてしまった。(少なくとも大きな一石を投じたことは間違いない。)そう、指原のセンター以降、これまでと同じように恋愛禁止条例が機能するとは考えられないだろう。(だからこそ、小林さんは指原の1位に激怒したのだ。)ポケモン兼ポケモンマスターであるメタ・プレイヤーはゲームのルールを、システムを更新し得るのだ。  気が付けばまた(特に推しメンでもない)指原について語ってしまった。さしこのくせに生意気な、と思う反面、さすが指原だ、いつのまにかペースに乗せられているな、と痛感する。しかしついでに言うと、僕は指原のようなメタ・プレイヤーが勝ったことが個人的に少し嬉しかったのかもしれないな、とも思う。なぜならば僕自身が物書き兼編集者、選手兼監督、ポケモン兼ポケモンマスターのメタ・プレイヤー(の端くれ)だからだ。そう考えると、僕は指原の100分の1も世界を、システムを変えていない。だからいつか、指原に匹敵する、いや凌駕する選手兼監督、ポケモン兼ポケモンマスターになって世の中を変えてみたいと思う。そしていつかまた指原と話す機会があれば、思いっきりドヤ顔で言ってみたいと思う。「さしこのくせに生意気だ」と、ありったけの敬意をこめて。 (初出:「ダ・ヴィンチ」2013年8月号) ▽この連載が単行本になりました! 宇野常寛『原子爆弾とジョーカーなき世界』、メディアファクトリー、1260円 ☆AKB48、ダークナイト、ヱヴァQ──2012年度分の連載を加筆修整し、木皿泉論を加えた最新批評集。 うの・つねひろ●1978年、青森県生まれ。評論家。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。総合誌『PLANETS』編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『日本文化の論点』、共著に『こんな日本をつくりたい』(石破茂との共著)『希望論』(濱野智史との共著)。 ▽「3年ほど前に僕の主宰する雑誌のグラビアに出てもらったのだ。」 ▽「思えばこのときから、僕たちは指原のペースに巻き込まれていたのかもしれない。」 ▽「THE SHOW MUST GO ON」好評連載中!
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