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赤い鳥さん のコメント

しばらく買ってないうちに大分特殊パーツ増えたな
No.1
126ヶ月前
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【特別対談】 根津孝太(znug design)×宇野常寛 「レゴとは、現実よりも リアルなブロックである」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆ 2014.6.11 vol.090 http://wakusei2nd.com 言わずと知れたブロック玩具の代表格、レゴ。先日公開された映画「レゴ・ムービー」も記憶に新しいですが、しかし身近だからこそ、その魅力の本質について語られることはあまりありません。そこで小さいときから熱心なレゴファンだという、カーデザイナーの根津孝太さんに、その魅力についてお聞きしました。おもちゃとしてのレゴだけに留まらず、その歴史から批評性、現実と虚構の繋ぎ方、そしてものづくりの未来まで、日本の未来を考える上で重要な想像力に迫ります。 ▼プロフィール 根津 孝太(ねづ・こうた) 1969年東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。トヨタ自動車入社、愛・地球博 『i-unit』コンセプト開発リーダーなどを務める。2005年(有)znug design設立、多くの工業製品のコンセプト企画とデザインを手がけ、企業創造活動の活性化にも貢献。賛同した仲間とともに「町工場から世界へ」を掲げ、電動バイク『zecOO (ゼクウ)』の開発に取組む一方、トヨタ自動車とコンセプトカー『Camatte (カマッテ)』などの共同開発 も行う。パリ Maison et Objet 経済産業省ブース『JAPAN DESIGN +』など、国内外のデザインイベントで作品を発表。グッドデザイン賞、ドイツ iFデザイン賞、他多数受賞。   ◎構成:池田明季哉   ■小さいときからレゴ大好き!――根津孝太とレゴ   宇野  僕がレゴを買いはじめたのって、実はここ1年くらいなんですよ。ずっと買おうと思っていたんですが、手を出したら泥沼にハマることがわかっていてなかなか買えなかった(笑)。でもとうとう我慢できなくなって「レゴ・アーキテクチャー」シリーズに手を出してしまい、それから「レゴ・クリエイター」の大型商品を買ったりとか、あとは「レゴ・テクニック」の3つのモデルに組み替えられる小型商品とか、あとはヒーローものが好きなので、バットマン・シリーズを買ったりとかしています。  根津さんは昔からのレゴファンという風に聞いています。今日はレゴについて、いろいろなお話を伺えればと思います。 根津  僕はレゴが小さいときから好きなんです。ただ最初に買ってもらったのがレゴってだけだったんですけど、子供ながらに発色の良さとかカチッと組み合わさる感じとかにクオリティを感じていて。レゴ新聞に載ったこともあるんですよ!   ▲楽しそうに話してくれる根津さん。「CAST YOUR IDEAS INTO SHAPE」と書かれたレゴのTシャツが素敵。   宇野  レゴ新聞! そんなものが……。やはり後に根津孝太になる人間は、小さい頃から根津孝太だったということですね(笑)。 根津  街づくりのコンテストに妹と一緒に出したら入賞しちゃって。そしたら依頼が来て、小学校6年生くらいのときにF1を作ったんです。同じF1の、ひとつすごい大きいのを作って、もうひとつすごい小さいのを作って、ブロックの差こんだけです! みたいなことをやったんですね。  例えば、これは僕のデザインしたリバーストライク「ウロボロス」をレゴにしたやつなんです。アメリカに自分がデザインしたモデルをパッケージに入れて届けてくれるサービスがあって、それで作ったんです。これも大きいものと小さいもの、両方作っています。 ▲異なる解釈のふたつのウロボロス。資料の右上が大きいもの、左下が小さいもの。レゴファン諸氏は、ウィンドシールド部分の大きさから全体のサイズを推し量っていただきたい。  ウロボロスのレゴも実物の写真を見ながら作るわけですけど、小さく作るとよりディフォルメしないといけない。だったらやっぱりこのフェンダーの丸いところと、タイヤの表情がウロボロスらしさだよね、それ以外は大胆に省略しよう、ということで、自分の解釈を出してるんです。     ■解像度と見立ての美学ーーディフォルメだけが持つ批評性 宇野  根津さんはずっと小さいときからレゴをほとんど途切れなく作ってきてるわけですよね。それなりに長いレゴの歴史をずっと追ってきたと思うんですけど、レゴの歴史のターニングポイントみたいなものってありますか? 根津  一時期、解像度を上げるために、専用パーツが一気に増えたことがあったんですよ。絶対にそのモデルでしか使えないような。  でもレゴがさすがだなと思うのは、必ずそうじゃない使い方も用意して提案してくるんですよ! 「これ他に何に使えるんだよ……」みたいなパーツでも、後で必ずなるほどと思うような使い方をしてくる。それは最初からそれがあってパーツを作っているのか、それとも後からレゴの優れたビルダーが使い方を考えているのかはわからないんですけど。  例えば僕が作ったこの装甲消防車も、このコックピットの横の板の部分は、チッパー貨車っていう列車のすごく特徴的な部品を使ってるんですが、パッと見わからないと思うんですよね。あとは有名なビルダーさんには、ミニフィグだけで何かを作ってしまう人とかもいますし、このオウムが人間の鼻に見えるんですとか、いろんな見立てができるんです。 宇野  レゴってある時期から、どんどん模型化しているじゃないですか。組み替えを楽しむ玩具というよりは、独特のディフォルメと解像度を持つ模型の方向に舵を切っていて、この転向に批判的なファンもすごく多い。でもここ10年くらいのレゴの変化って、もっとポジティブに捉えていいんじゃないか。レゴの美学がもたらす快楽に世界中が気付き始めている、そう考えていいんじゃないかと思っているんですね。   ▲ 根津 さんが持ち上げているのが、開閉式のコックピット。   ▲同じパーツを使った別モデルのコックピット内部。このアングルになって初めて、バケット状のパーツを使っていることに気付かされた。   根津  レゴのブロックひとつとっても、そこに感情移入できるかどうかが重要だと思うんです。リアルじゃないと感情移入できないというなら、レゴは成り立たない。それだったら塗装したプラモデルの方がスケールモデルとしては絶対にリアルなんです。だからレゴの魅力っていうのは、人の解釈がそこに出るところだと思うんですよね。 宇野  レゴを成立させているのは、見立ての美学だということですよね。  僕、一番の趣味が模型なんですよ。スケールモデルもキャラクターモデルも好きなんです。でもあるときふと考えたんです。スケールモデルはリアルさを追求しているって言われるけど、リアルってなんだろう、って。結局どれだけ精巧に作っても、それは現実そのものではないわけなんですよね。縮小した模型である時点で必ずどこかに解釈が入る。タミヤがやってきたスケールモデルですらも、実は限りなく実機を再現しているから魅力的なんじゃなくて、あのサイズでできるだけ実機に近づけることで独特の美学を構築しているんだと思う。アニメでいうと高畑勲や押井守の作品がわざわざ絵で実写「風」の絵柄と演出を選択していることで独特のリアリティを獲得しているのに近いかもしれない。  そして僕は近年の「模型化」したレゴは、こうした見立ての快楽を極限まで追求したものになっていると思うんです。  例えばレゴ・アーキテクチャに、マリーナベイ・サンズがあるんです。これってすごく特徴的な建物ですよね。これを作ったビルダーは、どこを省略してどこをピックアップするか、どんなカラーリングにするか考えることで、マリーナベイ・サンズの本質とは何かについて考えた、むしろ考えざるを得なかったはずなんです。それによってむしろ「らしい」マリーナベイ・サンズが表れてくる。  レゴは極端なディフォルメだから、より極端な解釈が必要になるんだけど、だからこそそこに圧倒的な批評性がある。   ▲レゴ・アーキテクチャのマリーナベイ・サンズ。   根津  スタイル、ということですよね。例えば浮世絵もひとつのスタイルじゃないですか。写実じゃない部分もたくさんあるんだけど、平面に構成したときの絵としてのかっこよさが美学としてある。あるスタイルに落し込む、スタイライズのかっこよさってのはありますよ。  当たり前ですけど、現実には絶対追いつかないんです。だからスタイルを実現するためのその人なりの工夫が必要になってくる。  レゴって基本的にポッチがあるから、フォルムがギザギザになっちゃう。でもポッチが一個も見えないようにするっていうことを自分のスタイルにして、美学にしている人もいる。あるいは、この曲面は再現できないけど、このエッジのラインだけ一本走らせればそう見える、とかね。  知恵を使っている感じ、その人なりの工夫が見えるところがいいんです。僕はこう思いますっていうことでいいんですよ。個人の理解の幅が出ることそのものが面白い。 宇野  単なる見た目だけには収まらない、その人の対象に対しての理解や距離感が出てしまいますよね。 根津  そうなんですよ。例えば構造をすごく大事にしてる人もいるんです。ウニモグってベンツの働く車があるんですけど、それ作ってるものすごい人がいて、その人はもう見えない部分の構造まで全部3DCADで設計してるんですよ。よくやるなー! って思うんですけど(笑)。  だからその人のフェティシズムというか、どこにこだわってるかが見えやすいおもちゃなんですね、レゴは。 宇野  レゴってブロックとしては、1ピース1ピースがでかいって言われているんですよね。解像度を上げるとサイズが大きくなってしまう。でもサイズが小さいと表現力が下がるかというと、そうではない。 根津  サイズが小さくなると、より想像力が発揮されますよね。本人のパーツへの思い入れみたいな。このモデルなんか、同じパーツをこっちではアンテナに使っていて、こっちではビーム砲に使っている。それがダメかっていうと、むしろすごくいい。サイズが小さくなるのって、解像度は確かに下がるんですけど、じゃ表現力は下がるのっていうと、下がらないんですよ。   ▲レゴ・スターウォーズより、AT-ST。頂部のアンテナと側部のビーム砲に、同じパーツが使われている。   宇野  まさにそうですよね。我々は目で見たものをそのままのかたちでは脳に収めて解釈してないんですよ。  実際に撮影した写真を後で見て、あれ、これってこうなってたんだって気付くことはよくありますよね。目で見たものと脳に印象付けられたものとの間には明確な認識のズレがある。顔のような主観的に受け取りやすいものなんか、像がコミュニケーションで簡単に歪んでしまうんです。  そう考えたときに、実物よりレゴで作られたものの方が、より魅力的に見えることってあると思うんですよ。それがなぜかというと、主観に訴えかけてくるからなんですよね。解像度が低い故により対象の本質を効率よく掴み出している。  だからビルダーが行っている、このパーツは残してこっちは省略しよう、という作業というのは、その対象物の本質を抽出する作業なんです。この行為は圧倒的な批評性を孕んでいる。僕の仕事で言えば、誰か作家について本を書くときに、その作家が書いた小説の象徴的な一文を抜き出す……そういった作業にかなり近い。 根津  ここに重機がありますけど、これ見たときに、男の子はすぐに「おっ」て思うと思うんです。でも女の子は多分、あんまり思わない。情報としてフラットだと、取りつく島もない。でもレゴだと女の子でもなんとなく入っていける。これはここをこう見ると面白いんだよ、ということを伝えられるんです。   ▲レゴ・テクニックの、ミニバックホーローダー。バックホーとローダーバケットが両方ついた、男の子心を鷲掴みにする一品。なんと前後の両方が空気圧で可動!   宇野  解像度の低さゆえに萌えポイントを抽出せざるを得ないのがレゴのモデルなんですよね。我々は実際に目で見たままのものを脳で受け入れていないので、レゴでつくられたものの方がむしろ、我々が対象物に抱いている印象に近い、なんてことがままあるわけです。 根津  似顔絵に近いですよね。似顔絵って、標準顔からの差分を強調して描くんです。いちばん平均的な顔が美女・美男子って言われてるらしいんですけど、それより目が離れていたら、ビョインと思いっきり離して描いちゃう。その人なりの理解が出てくるわけですよね。レゴはどんなものを作っても、それが出てくる。 宇野  そう、優れたポートレイトと優れた似顔絵の、どちらが本質を表しているかと言えば、僕は後者だと思うんですよ。 根津  僕、社会科って苦手だったんですけど、教科書とかに載っていた風刺画だけはすごい反応してて、こればっかり集めた本が欲しいって思ってました(笑)。そういうのと似通った楽しさがありますよね。     ■エブリワン・イズ・スペシャル――ミニフィグになって生活すること   宇野  近年のレゴの「模型化」については語れたと思うんですけど、同じレゴの中でも、本来レゴがもっていた、たとえば「レゴ・シティ」シリーズが代表する箱庭遊び用のシリーズに僕らが抱いてしまうフェティッシュや親近感は、少し違う所にあるのかもしれないとも思うんですよ。「シティ」シリーズの車や建物って、実際にはないものじゃないですか。 根津  僕がレゴシティに感じるのは、街としての美学ですね。あれってレゴルールで統一されているんですよ。  例えば僕は本業が車のデザイナーなので、ミニフィグに対しての正しい車のサイズについてよく考えるんです。そうすると、明らかに車が小さすぎるんですよ。車はだいたい4ポチ幅で、大きくても6ポチ幅。真ん中にひとりしか座れない。でもレゴの車は基本的に全てそうで、ちゃんと同じルールで作られているんです。街が全てあるユニットから出来ていて、そこに入り込めるようになっている。だから見たときにも統一感があるし、自分がミニフィグになりきって、そこに住めそうだなって思える。  その究極が、あの映画ですよね。   ▲ 根津 さんオリジナルの、装甲消防車1号機。6ポチ幅。カタマリ感ある美しいフォルムと、後部の放水ユニット部分が素晴らしい。   ▲同じく装甲消防車2号機。こちらは車体は4ポチ幅。パーツの選び方に1号機との統一感があり、チームで救助活動をするストーリーを感じさせる。二重になったキャノピーが独創的!   宇野  一時期までのレゴは、レゴシティが象徴するような、もうひとつの現実を作り込む方向に行っていた。でもある時期から、キャラクターものであるとか、半分スケールモデルのような、模型的なものが増えていった。こうした模型的なアプローチって本来、レゴ社の製品では補助的なもので、むしろビルダーの側の、二次創作的な文化だったわけじゃないですか。このふたつの路線の違いについて考えてみたいんですよね。たとえば、先日公開された「レゴ・ムービー」は明らかに近年の模型化に対するアンチテーゼとしてつくられている。 根津  まあ大人の事情もあるとは思うんですけどね。「スターウォーズ、版権高っけーなーおい!」みたいな(笑)。でもレゴそのものがコンテンツとしての力を持っているということに、レゴ自身が気付きはじめたのかも知れません。 宇野  レゴ・ムービーって、本来名前のない、シティの一般市民のミニフィグであるエメットと、タイアップのミニフィグ商品の代名詞であるバットマンがヒロインを取り合うわけじゃないですか。あれは明らかに、伝統あるブロック的なレゴと近年の模型的なレゴの対立です。そして結局は、ブロックが勝つ。 根津  ごっこ遊びっていう原点に戻ってますよね。バットマンになりきるってことももちろんするけれど、ある誰かになりきって、レゴの街で遊ぶっていうのがいい。 宇野  僕自身は模型化したレゴのファンなんだけれど、あの映画見ると「シティもいいな!」って思うんですよね(笑)。 根津  そうそう、だからミニフィグの発明っていうのは大きいですよね。ミニフィグだけ集めている人もたくさんいるし……僕もなんだかんだ増えていって、ミニフィグ欲しくてキット買っちゃったりとかしますからね。  あれって最初はもう少し大きかったり、もう少し無表情だったりしたんです。でもあのミニフィグになった瞬間に、すごいかわいいなって思って一気に感情移入できるようになったのを今でも覚えてますよ。宇宙飛行士とかね、ヘルメット被ってて、それを外すと頭に黄色いポッチがあって。あの形が出来上がったのが、ひとつの転換期ではありますよね。   ▲1974年、ミニフィグの前身。確かにちょっと怖い。   ▲1978年、見慣れたミニフィグに。圧倒的愛らしさ。     ■プロトタイプとしてのレゴーーエンジニアリング入門   根津  河森正治さんって変形モノで有名なメカデザイナーの方がいらっしゃいますよね。河森さんって、レゴで試作を作るらしいんですよ。バルキリーとかも、ロボットから飛行機になるプロセスや構造を、レゴ・テクニックを使って作るんだそうです。  バルキリーは、明らかに現実ではない。言わば妄想です。でもそれをおもちゃやプラモデルにしようとすると、それなりに変形してロボットから飛行機になってもらわないといけないというリアリティが必要なんです。 宇野  80年代前半から半ばはマクロスやトランスフォーマーの影響で、変形ロボットばかりが幅を利かせていて、挙句の果てにガンダムまで変形してしまったわけですが、玩具やプラモデルで変形とプロポーションを両立することは不可能だったんですよね。変形モデルはまずプロポーションがガタガタで、そしてプロポーション重視のモデルは変形しなかった。 根津  最近のトランスフォーマーの映画になると、CGでバンパーの裏からニョキニョキとパーツが生えてくるという(笑)。あれはあれでああいう金属なんだっていう設定もちゃんと用意されているし、映像としてはいいんですけどね。  おもちゃにするっていうのは、実は圧倒的なリアリティのひとつなわけなんですよ。例えばミニ四駆なんかも、実車じゃないけど、実車より厳しいデザインの要件もあるんです。インジェクション成形で一発で抜けないといけないとか。河森さんは、そういうことをレゴを使って検証しつつ、しかもかっこよくしているんです。妄想と現実に、きちんと片足ずつ足をつけている。 宇野  妄想から現実に踏み出すために、蝶番的な存在としてレゴが機能しているということですよね。それは最初からパッケージに入っているプラモデルでは得られない機能のはずです。自分でブロックを組み立てないといけない。 根津  実体っていうのがすごく大事だと思うんです。要は完成形は影も形もないけれど、ブロックとしてはすごくがっちりしたものがあって、その優れた資材を使って妄想を形に落し込める。  レゴっていうのはソリッドなブロックがモノとしてあるので、手で考えて、手で作れる。粘土にもちょっと近いんだけれど、マス感を感じながら作れるんです。  さっきのレゴのウロボロスなんですけど、これはソフトをダウンロードして、デジタルでコンピュータ内でブロックを組み合わせて作って、そのデータを送るんですよ。すごく面白いんですけど、デジタルの限界も同時に感じましたね。作ったデータ通りに実際にブロックを組み立ててみると、パーツがボロボロ落ちちゃう(笑)。ソフトで作るとパチッとパーツがくっついちゃうから、多少無茶な組み方でもできちゃうんだけど、手で作ると丈夫にしないといけない。手で作ることの大事さを感じましたよ。  僕はレゴのカタログのギアとかのセットを見て、すごいわくわくしてたんですよね。電池スイッチボックスとか、ゴムで回すとプロペラが回るとか、工学とか力学の基本が詰まってるんです。もちろん妄想もあるんだけど、完全に妄想だと動かないですからね。レゴで動くものを作ろうと思ったら、ある程度エンジニアリングをちゃんとしないといけないんです。  そうそうこの歯車とかね、たまらなかった! ベベルギアっていうのがあって、横の回転を縦の回転に変換できるんですけど、それ見て「マジかよ! すげー!」っていう(笑)。そういうのにすごい感動して今がある。   ▲ 根津 さん所蔵のカタログより、モーターとギアを組み合わせるセット。モーターの回転からギアを使ってさまざまな動きを取り出すことが学べるようになっている。     ■妄想から現実へーー世界を書き換える想像力   宇野  妄想を現実にするためには、例えおもちゃであっても構造がしっかりしていないといけない。ちょっと動かしたらバコって壊れるようなものじゃ成立しないんです。実際にどうすればゼータガンダムをウェーブライダーからモビルスーツにするかとか、それでいてプロポーションを崩さずにいられるかとか、モデラーやおもちゃ好きは、そういうことを真剣に考えないといけない。妄想と現実の間にひとつクッションを置かないといけないんです。  僕はそれって、すごく大事な発想だと思うんですよね。これは思想的に大事な問いを含んでいると思います。 根津  ガンダムで言うと、最初のデザインがあって、アニメの中でぐりぐり動くのがあって、バンダイさんからプラモデルが出ていくと。あれって、プラモデルがだんだん良くなっていきますよね。妄想と現実と、上手い具合に何回か行ったり来たりしていると思うんですよ。 宇野  85年に出た、最初の1/144のゼータガンダムは変形しないんですよ。1/100は変形するけどプロポーションはガタガタで、だんだん1/100のマスターグレードになって、1/60のパーフェクトグレードが出て、今では1/144のリアルグレードが完全変形する。  やっぱりレゴとかブロック玩具のいいところというのは、そういうプロセスを最初から折り込んでいるところだと思うんですよね。まさにバンダイとかおもちゃ会社のスタッフが試行錯誤していることを、手触りで小さい頃から学んでいけて、その楽しさを身につけていける。  二次元だけが好きな人と、三次元が好きな人、特にブロック玩具が好きな人って、虚構観が全然違うんですよ。模型を間に挟んでいないと、虚構と現実を二項対立で考えてしまって、現実にないものを表現することだけがフィクションの価値であると考えてしまう。  でも今はまだフィクションの中にしか存在しないものを、現実に実現する快楽は間違いなく存在していて、はっきりいってこの快楽が人類を技術面でも社会面でも発展させてきたといっても過言ではない。そしてこのときには、単に現実から切断された虚構を思い描くときとは全く別の脳を使わないといけない。二次元を作り出すのと同じくらい強力な妄想力を、現実に対して発揮しないといけない。     ■最初からパーツがあるということ――レゴとものづくりの未来   根津  僕は3D CADをよく使うんですが、あれが未だに専門性が高いと思われているのは、そのあたりだと思っているんですね。踏み出しにくいんですよ。  いきなりバーチャルな空間で、まず線を描きまして、それをグッと押し出すと筒になりまして、みたいなまどろっこしいことをやっていかないといけない(笑)。そんなことしなくても、ここに最初から筒あるじゃん! っていうのがレゴなんですよ。  まさにこのウロボロスを作ったレゴのデジタルデザイナーっていうソフトがそうで、これはこれですごくアリだなって思ったんですよね。バーチャル世界でレゴを組んでいく。これはひょっとしたら、今後の3Dモデリングソフトの新しい形なんじゃないかと。すでにこうした流れは、多くの3D CADソフトではじまっています。   ▲レゴのデジタルデザイナー。写真はウロボロスのレゴモデルの設計図。 宇野  これからものを作るということが個人単位になっていったときに、行き着く先っていうのは割とレゴ的な発想だと思うんですよ。無限にいろんなパーツがあって、それを組み合わせていくことによってサンプルを作っていく。 根津  ある構成単位を組み合わせて作るのは、エディット=編集だと思うんです。でも誰もレゴを見てエディットだとは思わないですよね。ちゃんとクリエーション=創造になっている。  頭の中にもやもやっとあるものを生み出そう、と考えたときに、線一本からはじめられる人は、プロです。僕はもちろんプロとしてそれができないといけない。だけどレゴっていうのは頭の中にあるものを表現するときに、とってもいいメディアなんです。頭の中にあるものって、もやもやしていて、ドットが荒いんですよ。それをレゴで作ってみることによって、改善していける。手で考えることができるんです。パーツが最初からそこにあることの価値というのは絶大ですよ。 宇野  自分が考えたものが三次元の、手触りのあるものになって得られるという感覚が重要ですよね。妄想を実体化する快楽は、人間にとっての根源的な欲望に繋がっていると思うんです。 根津  まさにクリエーションの喜びの、一番根本にあるものですよね。  だいたい子供って、レゴで剣とか作ったりするんです。持っているものをとにかく縦に繋げていって長くする、みたいな。そうするとより長い方がかっこいいから、だんだん限られたブロック数の中で、どれだけ長くするかっていうことをやっていく。僕の友達とかは、絶対にやってはいけない禁断の技で、接着剤で固定するという…… 宇野  レゴムービーの最終兵器、スパボンですね(笑)。 根津  そうそう(笑)。でもそれも、ブロックがあるから接着できるんですよ。これが完全にバーチャルなものだったらそんな発想を持てないし、そもそもバーチャルな剣ってあんまり意味ないですよね。剣が欲しいから実際に剣を作る。そしてそこで直面した物理的な問題点を、工夫して改善していけるんです。 宇野  一般的には世界には存在しないものを考えるのが想像力だと思われているんだけれど、同じくらい実際に現実の空間に作用して、現実を変えていくのも想像力なんです。レゴは本質的に、後者の想像力を孕んでいる。  僕は現実と虚構っていうのは切断されていて、それ故に価値があるという考え方が支配的になりすぎていると思うんです。しかし、我々が夢見たものを形にしていくということは可能だし、それを実際に実現していくことによって世の中っていうのは面白くなっていく。三次元の玩具のもつ想像力はそういったものと、根底的に結びついている。  そしてそれを実現するには、構造を理解しないといけないわけですよね。解釈して大事なところを残さないといけないし、強度も重要だし。そういったことを経て、妄想というのは現実になっていく。そういったエンジニアリングの発想は、人間にとって最も根源的で大事な想像力だと思うんだけれど、少なくとも現代の日本の文化の中から後退してしまっている気がするんです。 根津  レゴを使って映画を撮れるセットがあるんですよ。友達の子供が、それを使って映画を作ったんです。プロの映像クリエイターのお父さんを顎で使って、本人が監督でね、「うーん、ちょっと違うんだよねぇ」みたいな感じで……お前それギャラ高いぞっていう(笑)。そういう再び二次元に戻していく作業も、三次元を経由するからこそのリアリティがありますよね。     ■正しくも限られた色彩――カラーパレットがよりよく世界を近似する   宇野  あと、僕はレゴの重要なポイントって、実は色、特に発色だと思うんですよ。これは相当練り込まれている。 根津  そう! 褪色も全然しないんです。びっくりですよ。 宇野  模型ファンって、いつも褪色との戦いなんですよ。いかに日当りの悪い保管庫を確保するかということが、実生活の設計にとって最重要課題になる生き物ですからね(笑)。 根津  僕は最終的に可動棚に辿り着きましたよ(笑)。いつも見ていたいものほどしまっておきたいみたいな、変な矛盾が起きちゃう。 宇野  だから開封用と保存用二個買いしてしまうというね。 根津  そうすると人生だんだん終わりに近づいていくという……(笑)。  僕はデンマークのレゴランドは行ったことがないんですが、サンディエゴにあるレゴランドには行ったことがあるんです。そこがとんでもなく日差しが強いんですよ。樹脂にとっては最悪の環境ですよ、紫外線が燦々ですからね。そんなところにレゴだけで国を作って、しかもそれが保ってるんです。  それでも本当にトップのところはうっすら褪色しているかなと思って、気になってレゴランドの人に聞いてみたんです。そうしたら「え? そう?」みたいに言われて、アメリカ人だなーと思ったんですけど(笑)。でも認識してないってことは、あれは絶対、ブロック交換してないですよ。たまに作り変えとかはあるかもしれないですけど……本当に見事ですよね。僕が小さいときから持っているブロックも、全部きれいですから。 宇野  最近、僕は色についてすごく考えるんですよ。模型にはいろんな要素があるんですが、ディティールの細かさとか、可動性は比較的言語化しやすいんです。でも色はあらゆる視覚情報の中でも、おそらく最も言語化しにくいもののひとつだと思います。さらに組み合わせになると尚更ですよね。 根津  レゴはカラースキームがすごく計算されていますよね。このカラーパレットからどの色を持ってきてもかっこよくなるよ、という。だからどう組んでもかっこいい。子供に与えるおもちゃとしてこれはすごく大事なことです。色のセンスという意味で。  レゴって最初は色数が少なかったんです。発色のいい赤・青・黄、あとは白・黒くらいしかなかった。そこにはじめてグレーが登場したとき、僕はすごく感動したんですよ。  グレーって実は一番難しい色だと思っているんです。同じグレーでも青っぽいものもあるし、赤っぽいものもある。彩度が低い分繊細なんです。でもレゴのグレーはかっこいいんですよ! どこに混ぜてもかっこいい。だからグレーのパーツはすごい大事にしてました。  まあ半分くらいは思い入れと思い込みなのかもしれないけど、でもこの辺のカラーパレットの正しさは、レゴは絶対確信犯だと僕は思ってるんです。 宇野  レゴの解釈の一番大きいところって、色だと思うんですよね。色が一番自由度が低いからこそ、最も強烈な批評性がある。 根津  そう、色も解像度が低いんですよね。この白とこの青を混ぜて、水色を作ることはできない。だから何の色を使うかに、その人なりの考えが出しやすくなる。  例えばこのレゴの家だって、使っている色は3色しかないんですけど、それ以上の豊かな色彩を感じますよね。これにモデルがあるとしたら、絶対にこんな赤ではないはずですよ。でも敢えてこの赤で作ることによって、すごく鮮明度が上がる。  デジカメとかで、最近「記憶色」っていうじゃないですか。同じ青でもより青く撮れる、記憶にある色に近づける。ああいうのにも似ていると思うんですよね。   ▲カタログより、独特の色彩感による家。   宇野  写真はいま修正技術のプログラム化で「いい写真」の定義がかなり変わっていると思うんです。実のところ人間が気持ちのいいと感じるパターンの色合いとや質感が存在することが、インスタグラムの爆発的な普及のあたりで判明してしまったところがある。これは、ある意味芸術写真家の危機である……という話を、以前写真雑誌に書いたことがあるんですよね。  そして今日話してきたレゴに惹かれるということと、テクノロジーによる「いい写真」の解体という問題は実はパラレルなんです。要するに我々はレゴブロックのように現実を捉えていた、ということが、情報技術の発展によって、明らかになってしまっている。 根津  レゴはそれを予測はしていなかったかもしれないけれど、正しいカラーパレットを持つことによって、世界をよりよく近似できるのだ、という意識は絶対にあったはずですよ。 宇野  結局、ブロックでは総天然色はできない。だからレゴは、逆方向に行くしかなかった。人間には見たい色があるのだ、人の印象を決定できる色があるのだ、という確信です。人間が見たい色、見たがっている色を先取りしていくことによって、ある意味現実よりもリアルで魅力的なおもちゃの立体を作っているんですね。 根津  結局、解像度が低いと言えば低いんだけれど、物事に対して自分なりの解釈を考えるのがレゴなんですよね。色もそうだし、形もそう。リアルに作るというのは、あくまでも考え方としては写実です。当然ドットが細かければ細かい方がいい。でもそうじゃなくて、僕はこれをこう見ているんだ! という作り手の解釈が出てくるところが面白い。僕はそう思います。     ■未開封ウロボロス、開封の儀   根津  いやー語りましたね! ……実はここに、僕が作ったウロボロスの未開封のモデルがひとつだけあるんですが……今日はこの開封の儀を執り行います! 宇野  おおー! いいんですか!? 根津  もう開けちゃいます!   ▲設計者自ら、その場でウロボロスのレゴを組み立てる。「あれ……このパーツどこだったかな?」   ▲そして出来上がったウロボロス! リバーストライクならではのフォルムがかわいく再現されている。ミニフィグが握れるように設計されたハンドルもチャームポイント。   ▲最後は出来上がったウロボロスと、オリジナル装甲消防車を手に、ツーショット。    根津孝太と宇野常寛、ふたりのレゴ好きが語り合った内容は、人間のリアリティそのものに迫るものであるように思います。我々が見ている現実を、実はレゴこそが最もリアルに抉り出すことができる。レゴは現実と虚構を結ぶブロックであり、それ故に未来をビルドできる可能性を持っているのではないでしょうか。   (了)  
PLANETS Mail Magazine
評論家の宇野常寛が主宰する、批評誌〈PLANETS〉のメールマガジンです。

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