年の瀬もぐんぐん迫ってきていますね。

 

前回から軍事のテーマに入ってきていますが、今回もそのテーマで行きます。

 

といっても、ニヤりとできる面白ネタは、次からになります。

 

今回も少し堅めのテーマです。

 

『軍事を知らずして歴史を語れるか?』

 

これが今回のテーマです。

 

歴史という分野は、教養でもあり学問でもあります。

 

かの鉄血宰相ビスマルクの言葉に

『愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ』というものがありますが、先人の営みに触れるというのは、温故知新にうってつけの方法ですよね。

 

しかし、皆さん。学校での歴史の授業(日本史&世界史)を思い出してみてください。

 

軍事のことについて、どれだけ学んだでしょうか?

 

戦争については、当然学びます。

戦争の悲惨さ、これを繰り返してはならないということは、恐らくどの世代でも共通に習ったことでしょう。

 

しかし、それは戦争という歴史の現象の一部のみに過ぎず、軍事という分野に包含されるべき事柄です。

もしも歴史の授業で先生が生徒に対して、『軍事』の説明を多様な視点で詳しく話そうものなら、

体を震わせながら嬉々として批判する方の出現も覚悟しなければなりません。

 

結果として軍事という要素は『戦争賛美反対』という価値観によって制限をかけられ、絶対悪としての核兵器の悲惨さを語ることぐらいしか市民権を得ていないのではないでしょうか。

 

それでも、軍事という要素は人類の歴史を学ぶ上では、本来不可分の領域なのです。

これらを切り離したまま歴史を学ぶと、どうなるでしょうか?

 

マイルドに言えば、人類史にわざわざブラックボックスを作ってしまうことになります。

しかし、歴史は長い目で見ると振り子のように行きつ戻りつを繰り返している存在です。転換点は必ず存在していますし、これからも訪れるでしょう。

その転換点とブラックボックスが同じ位置にあったら、我々はどのようにして歴史を学べばいいのでしょうか?将来への指針をどう立てればよいのでしょうか?

 

先ほどの『愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ』という言葉に倣えば、その歴史にブラックボックスを作ってしまっては、賢者であっても愚かな選択をしてしまう可能性も否定できないでしょう。

 

結論として、歴史を学ぶには軍事も含めたほ方がよいというのが私の個人的な考えです。

 

そして、軍事を学ぶにはもう一つ重要な分野があるとも考えています。

 

それは『軍事技術』です。

これは人類の科学開発史において本来的には重要な要素であり、人類の歴史を勉強するには不可分の領域なのですが、血の匂いがする分野であり重たいテーマでもあります。

 

と、いうわけで堅い話はここまでです。肩が凝りました・・・。

 

『軍事技術』は重要な分野であると同時に、ネタの宝庫でもあります。

 

次回からは、思わず微笑む軍事技術ネタをご紹介してまいる予定です。

 

ご覧頂きありがとうございました!