ゲストさん のコメント
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どうも鬱です 風が強いですね もうなんかすごい音してません? ロボロが吹き飛ばされていないか心配です そんなことはどうでもよくって 最近本当に麺類が食べられなくなってしまいました 私、麺がどうも苦手、というか相性が悪くて 食べるのも遅いし、すぐにお腹も膨れてしまいます どのくらい遅いのかというと トントンとラーメンを食いに行ったときは 彼が汁まで完食している横で私はまだ半分以上残っていたし エーミールとうどん食いに行ったときは 彼がお替りしている横ではやり半分以上残っていたし なんなら食い切れなくて食べてもらいました シャオロンとラーメン行ったときは 互角でした それでもやや彼の方が早かったくらいです ロボロとは怖くていけません これが米なら負けないんですけどねえ 本当に不思議だなあと思います、はい 皆さんは何ラーメンが好きですか 私はこう、なんか魚のラーメンが好きです、にぼしとかの ああ、どう終わらせたらいいか分からない 以下会員限定
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我々だ!メンバーの戯言、生放送の議事録、クッソややこやしい時事解説、グルッペン氏の脳内予定表(仮)まで網羅的に掲載していきます。
要望があったら、順次新しいコンテンツを掲載しまする。
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これは……物語の主人公のように、頭の中で違うことを同時並行で考えるようなお話ですね。右脳さんと左脳さんが全然違うことを主張して、まとめられないのも話とよく似ています。脳内で情報のバランスをとるのがちょっと難しいのですが、気がつけば一気に読み終えていて、とても楽しかったです。
タイトルの「死ぬほどいい女」ですが、鬱先生の仰るとおり、「死ぬほどいい女」は文中に一度たりとも出てきた気がしませんね。
英題が「a hell of a woman」、内容も加味して考えるなら、地獄、のようにいい女、傾城、傾国といった風に解釈すればよろしいのでしょうか。what the hellなんかと同じと思っていいのかな、この女に出会ったばかりに人生真っ逆さま、みたいな?などと、英語音痴的には考えていますが、全然違うかも知れません。違っていたら笑ってやって下さい。
自己憐憫と自己欺瞞、幼児的な万能感に溢れ、その一方で自己肯定感の死ぬほど欠如した主人公からすれば、例えどんな種類の女であろうとも、出会った時には全ての女が「俺だけの可愛い天使」でしかなくて、最終的にはどれもこれもが「俺の人生をダメにしたクソ女」にならざるを得なかったのでしょうが、まあ、小説ですからね。残念さを楽しむ小説で、ここを掘り下げるのは無粋ですね。ファムファタルは探すもんじゃなくて作るもんだと思います。
どんまい。
作中でお金を強請ってくる上司が「そんな考え方じゃ幸せになれない」というようなことを言っていましたが、書き手のせいで現実が霞んで見える文章の中で、あれが数少ない真実の内の一つのような気がします。
ただ、上司のような小狡い感じのキャラクターがそんないいこと言うことに、若干の違和感を感じざるを得ないのですが、それは私が日本人だからかも知れませんね。
あちらではよくある嫌味やからかいの言葉なのかも知れない、もしかしたら、主人公が思うほどには上司は悪い人じゃなかったのかも知れない……いやいや、いくら何でもそれはなしにして欲しいなあ。そこまでが虚構なんだとしたら、これまで読んできた内容のほとんどが主人公の妄想で終わってしまいそうです。それがノワールなんだと言われれば、反論のしようもないのですが。
これっぽっちも感情移入できない主人公のせいで、ただの一つも現実が見えない小説。これまで読んでこなかったタイプの小説で、とても面白かったです。ご紹介ありがとうございました。
それと、物語からは少し逸脱してしまうのですが、最後のシーン、主人公たちがクスリで楽しくハイになっている場面ですが、うん、人生捨てるの早すぎじゃね?と思わずにはいられませんでした。
ああいう人間の姿って、毎度ゴヤの我が子を食らうサトゥルヌスを連想するのですが、食べなきゃ死ぬから食べなきゃいけないんだ!(死んだらいいじゃん)って、その道を進むことしか考えられなくなっている人間の姿はただただ怖いだけですね。なにもそんな、人の祖先はみんな人殺しだっていうのに、死ぬしかない、クスリでもやるかって主人公の判断が早すぎる。
これが実験用の動物なら、哀れだとか惨めだとか、可哀想だとか色々考える余地もあるのですが、やはり同じ生物種だという認識のせいか、人間に対して同情だのなんだのが来るのは後になってからのことですね。人を食べているサトゥルヌスが怖いんじゃなくて、あれの頭の中がただただ怖い。脳の壊れた人の姿は、いつか来るかも知れない未来の自分を予知させるような気がするからでしょうか。
すごく端折りますが、人の測れる知的な能力などというものは、膨大な量の脳の機能や働きのほんの一部の基礎的な部分でしかありませんから、多少人と比べて算数や国語ができないからって、そんな簡単に「俺の脳なんか、ちょっとくらい壊れてもいいんだ!」って自分で自分を見捨てちゃうの、どうかなあと思います。
自分で潰してしまいさえしなければ、大抵の人には単なる記憶や理解を超えた、もはやこれ美しいよねっていう能力が備わっている、はずなんだけどなあ。そうでなければその系統が、ここまで生き残ってきた理由も意味も分からないですし。見つからないって言うんなら探したい。……うん、ものすごく色々と割愛してしまいました。意味不明でしたらごめんなさい。
「満足な豚であるよりも不満足な人間である方がいい」、その通りなんですが、現実は厳しいですね。満足なトントンさんは大好きです。
などなど、右脳さんは右脳さんでまた別の、愛()だの恋だのについて考えているのですが、もうこのコメントも長くなってしまいましたし、人の読書感想文なんか読んで何が楽しいのって自分で自分のやってることにツッコまずにはいられないので自重します。
昔、ノワールというジャンルに手を出して酷い目に遭ったことがあり、もしかしたらトラウマものになるかも知れない内容の本を、中身も確認しないまま手元に置く気になれなくて、今回紹介して頂いた本を読むに当たって2つ向こうの図書館まで行って借りてきたのですが、本棚が森のように林立している中で、探していた本が見つかった時の感じって中々表現ができないですね。
しばらく行っていなかった所に足を運んで軽い迷子になり、人に助けられながら探していた本を抱えて帰る時にはとても幸せな気持ちでした。ご紹介本当にありがとうございました。
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