八月になりました。夏休みですね。
どうも、ミーティングハウス二号っペンです。

いやはや、暑いですね。
テレビでは戦争に関する特集も多くなり、太平洋戦争を思い出す季節になりましたね。

私の祖父は、太平洋戦争を経験しています。
彼は東京都民でしたが、戦争の激化と共に、北陸へ学童疎開することになりました。彼の父と母、そして兄弟は東京に残ることになりました。そんな中、アメリカ軍による東京大空襲が始まります。彼の家族は炎の海の中逃げまどいますが、そこへ一発の焼夷弾が落下してきます。焼夷弾は地面にではなく彼の父親に命中し、父は即死しました。しかし、焼夷弾は地面に当たって初めて「可燃性物質をばら撒きまくる装置」が作動するもので、人間に当たった焼夷弾は正常に作動せず、不発弾となりました。もし、焼夷弾が彼の父ではなく、近くの地面に当たっていれば、可燃性物質が周囲にばら撒かれて一家全滅だったでしょう。そうなれば祖父は孤児となっていたと思われます。
もし、祖父が戦争孤児として焼野原に放り投げられていたら、おそらく私自体存在しなかったでしょうし、また万が一私が産まれていたとしても、我々だの初期、裏側で馬鹿みたいに大規模な組織を作って、現金不足で死んでいた時、裏で支援してもらってた事、、、とかできなかったやろなあと考えると、世界とはなんとも偶然で成り立ってるんだなあ。。。と強く思います。そして、戦争はその中でも悲惨なものだなと思うのです。一発の焼夷弾で、それだけ大きな人生の物語が変わったというのに、東京大空襲では38万発の焼夷弾が投下されたわけですからね。なんというかね。凄いよね。

さてここから本題です!
太平洋戦争においてわが祖国日本は、焼け野原になりますが、一体、そもそもなぜ国力20倍のアメリカなんかに立ち向かおうと思ったのでしょうか。今回は「大日本帝国はなぜ太平洋戦争をはじめたのか個人的ベスト3!!」を発表し、それをいい加減に解説していきたいと思います。いい加減だぞ。


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