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山田玲司のヤングサンデー 第107号 2016/10/24
「やりたいときにはシェイクスピアを読む」は正しいのか?
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「ユーリ」では主人公達は課題にされた「エロス」も「アガペー」も上手く演技で表現できなくて悩む。
なんかね。
先週の放送で話したがどうしても引っかかっていてね。
それは僕のサロン「ゴールドパンサーズ」で湘南オフ会の時の話。
そこに来てくれた人で、20代後半で見た目もカッコ良いのに彼女がいない男性がいて、みんなで「もったいないよねー」なんて言っていた時、彼はこう言ったわけです。
「恋人がいないっていうのには、人それぞれに理由があるわけで、彼女がいないのはおかしいっていうのもおかしいと思うんですよ」ってね。
確かにそりゃそうだ。「彼女がいないのはおかしい」なんて何も知らない人が言うのは大きなお世話だよね。
でも女に絶望した枯れたおっさんならともかく、血気盛んな若者となると「身体がそうもいかない」のが普通だろう。
何しろ殆どの時間にエロい事を考えているのが「若いオス」なんだから。
なので「それはいいけど、やりたくてどうにもならなくなった時はどうするの?」と聞いてみた。
すると彼は「そういう時はシェークスピアを読むんです」と言った。
うーん。実に面白い。本人の意図は違うのかもしれないけど、「リビドー(性欲)は文学で押さえ込むわけだ」と僕は思った。
そして「おいおい、そんなんで誤魔化せるほど本能ってのは甘くないと思うよ」なんて言って笑っていたわけです。
すると彼は「自分は世の中を良くしたいと思っていて、色々準備しているので、今は彼女を作っている時期ではない」というのだ。
なんだろう・・・・20代の頃の僕みたいだ。
でもこんなセリフ下手な場所で言ってしまうと「出ました意識高い系」と嘲笑する嫌なヤツとかいそうで何かハラハラする。
そして、この話がずっとひっかかっているわけです。
エロスとアガペーのエネルギー
そんな中、最近始まったアニメ「ユーリ!!!on ICE」を観てたらこれまた驚いた。
このアニメは僕の友人の「山本沙代監督」が作っているフィギュアスケートをテーマにした作品。
山本沙代さんは僕が大好きなアニメ監督で、僕の漫画「アガペイズ」の読者だった人です。
彼女はとにかくフィギュアに対する愛がすごい。皇帝プルシェンコの魅力も浅田真央ちゃんの魅力もその他数々のスケーターの魅力も教えてもらったし、山本監督のアニメ仲間と一緒にプルシェンコを観に行ったりしたんだよね。
そんな彼女がその愛情と情熱のすべてをぶつけて作ってるフィギュアアニメが「ユーリ」なのだ。
20年間エヴァを観なかった僕でも、これは観るに決まってる。
すると第2話で主人公の1人がこう言ったんですよ。
「今から君たち2人にエロスとアガペーのテーマでそれぞれ演技をしてもらおう」って。
おいおい。これって僕がアガペイズで描いたテーマじゃないか。
おまけに山本監督はこれは僕の「アガペイズ」に対する自分なりのアンサーだって言ってくれたのだ。
うーん・・・なんて幸せな話だろう。自分が漫画に込めた「何か」が、読んでくれた人の作品で生き続けるんだ。
そんな幸せを噛み締めながら、また例の(シェークスピアの)話を考えていた。
アガペーというのはキリスト教でお馴染みの「無償の愛」のこと。
エロスはそれに対する「性愛」の事で、いわば肉欲。
僕は90年代の後期の「援助交際」だの「ヘアーヌード」だので盛り上がっている空気に対して「無償の愛」の価値をぶつけたんだよね。それが「アガペイズ」なのだ。
同時にその漫画では「エロス」の価値についても描いていて、僕はその2つがあって初めて成立する何かについても描いていたわけです。
どっちも「愛」だからね。
でもここの所どうもこの「愛」ってもののエネルギーが弱くなっている気がしてならない。
「寂しい、死にたい」は強くても「愛したい」はどこに行ってしまったんだ。
もちろん「自分から愛したい」っていう人もいるし、「そんなに相手を厳しくジャッジしてるわけじゃない」という人もいるけど、感じるのはその「他者に向かっている愛」が劣化してきてることなんだよね。
愛って何だ?
「ユーリ」では主人公達は課題にされた「エロス」も「アガペー」も上手く演技で表現できなくて悩む。
そして彼らはどうするか?女の子を飲み会に誘う?風俗に行く?身近な女の子とデートする?
いやいや、そんなことは1つもしない。
恋愛要素を排除した女子向けのアニメだから、ともいえるかもしれないれど、とにかく彼らは女なんか見ないで、ただただ「努力」をする。
振り付けに試行錯誤しながら、性愛以外のものに欲望を見出し、自分のとっての無償の愛が祖父に向いていることに気がつく、という流れになっていく。
演技の練習に打ち込んで、それを「演技」で見せるわけね。
ああだこうだ言いながら自分が(素敵な人に)愛されるのを待っているより、「必要な努力」をするだけ。
そんな男を女たちは待っている。
「ユーリ」はそんな事を伝えている。
おいおい、そうなると「今は世の中を良くするために文学に向かう時期なんです」ってのは正しくないか?
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