「ありのままの自分」なんてみっともない?
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ミッツ・マングローブさんが昔ラジオで言ってたんですけどね。
ミッツさんのお母さんは「ありのままの自分なんて冗談じゃないわよ、みっともない」みたいな事を言っていたらしいです。
僕はこの話が好きで、その理由は、最終的には「私は私」なんだけど、誰かといる時は、その場にふさわしい人になって振る舞わないと「品がない」って事をミッツさんのお母さんは言っているのだと思うからです。
~「ありのまま」が許されない国~
とはいえ、この国の人達の多くは「そういう高貴なステージ」にはいません。
なぜなら、自分の子供に「自分の理想」を押し付ける親が多いので、「品のある振る舞い」をする以前に「心の問題」が解決していない、という、まあいつものやつですね。
「本当の自分」なんてものは、大抵は「どうしようもない部分」を含んでいるものです。
そんな「どうしようもない自分」でも、生きていく価値はあるんだ、なんていう、根本的な「自己肯定感」さえあれば「誰かのための演技」なんてものもできると思うんですが、これが難しい。
「そんなの自分らしくない!」とか「そんなふうに男に媚びたくない!」みたいな、まあ言ってみれば、「他人に合わせるという心の余裕がない」って事でしょう。
「100万回生きたネコ」という絵本では、「誰かのための自分」であるネコが、「そんな生き方を何度しても自分は不幸だ」と言っています。
そんな人たちの気持ちを拾ったのが「アナと雪の女王」の「ありのままで~」だったのでしょう。
「誰か(親や世間)のために我慢しなさい」と言われて育った人達の「反動」が、「ありのままの自分で生きる!」とか「そんな自分をわかってくれる人じゃなければ無理!」なんていう気分を作っているんだと思います。
アナ雪は「誰か」のために理不尽な我慢を強いられていた人達の「私はもう誰かのために我慢なんかしない!」という宣言だったわけで、それは支持されるものわかります。
ところが、この「ありのままの自分でいい」っていう生き方は、こと「恋愛」とは相性が悪いのです。