magnaさん のコメント
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田玲司のヤングサンデー 第221号 2019/1/14
「どろろ」と「鬼太郎」
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【「どろろ」はシェークスピアか?】
今回のヤンサンで話したけれど、手塚治虫の「どろろ」はすごい。
手塚治虫作品の中で「どろろ」の初期設定が1番完成度が高く、日本の漫画史の中でも屈指の出来だと思う。
「どろろ」は、手塚先生が水木先生の「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗して描いた漫画だと言われているけれど、その構造や精神性は大きく違う。
番組ではその違いについて深く語れなかったので、今回のメルマガは「その違い」について掘り下げてみたいと思う。
まず「どろろ」の主な要素について書いてみよう。
・戦国時代の妖怪モノ(旅情系)
・親子の確執
・親(先代)の呪いで失われた「自分の身体」(自分自身の可能性)
・敵となる「悪霊」
・世間からの偏見と迫害
・異形なる者の強さと美しさ
などなど・・・
並べてみるとまるでシェークスピアの物語のようだ。
対して「ゲゲゲの鬼太郎」の主な要素を並べてみよう。
・現代の妖怪モノ(日常系)
・親子仲良し
・呪われていない
・敵はその時「世間で流行ってる何か」が妖怪化したもの(など)
・世間と馴染む気はない
・異形なるものの気楽さ
・・・・うーーん・・・
比べてみると、なんだろう。この鬼太郎のダウナーなこと。
絵柄は不気味なんだけど、なんとものんびりしていて実に微笑ましい。
敵となる妖怪も様々で「敵」という存在かどうかも曖昧なのも多くて語りづらい。
そもそも、水木先生は「ヒーローなるもの」が嫌いで、鬼太郎がヒーローぶってるのは、連載を続けるために強引にチューニングさせられたからなのだ。
面白い事に、60年代に描かれたこの2つの妖怪漫画は、どちらも非常に現代的だ。
その上で、西洋的な物語構造を持つ「どろろ」と、東洋的なユートピアを描く「鬼太郎」とに別れている。
「どろろ」は「構築派」で「鬼太郎」は「あるがまま派」でもある。
調子に乗って、この2作品を現代風に言い換えてみよう。
ラブコメ漫画「Bバージン」で「モテるためにはどうしたらいいか?」を描き、対談漫画「絶望に効くクスリ」で400人近くの著名人と対談してきた漫画家山田玲司がその多彩な経験と圧倒的な知識を元に「テレビでは語られない角度」で恋愛、社会問題、漫画、映画、音楽、人生とは何か?など様々な問題を切っていきます。
弟子の三木清は、1945年に手紙で、西田の哲学を見直して、先にいかねばと書いており、この哲学を東洋的現実といいかえ、長所、欠点がある。その正体を見極めないとならない、言ってました。
多分、アップデートはこの言葉を指しています。
西田哲学は、当時入ってきた西洋の哲学に、東洋の論理を持って、戦わせ、融合したことから始まってます。
私は、西田のライバルの田辺元や、先にいった三木清の勉強してます。前者は場所の論理に対し、種の論理を提出し、自己と自己を生み出す共同体との対立を元にした接合により、類という、普遍性や国家の成り立ちについてのべてます。晩年は、戦争への反省からか、死者の哲学を書いてます。代表的で読みやすいのは、メメントモリになります。
後者の、三木清は国家というより、人間、そのあり方に関心を持ち、ヒューマニズムの研究をしてましたが、道半ばでなくなりました。
もし、戦後に生きていれば、昨日なくなった梅原猛の人生を大きく変えたかもわかりません。晩年の作品は、親鸞だと、言われてます。
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