「どろろ」と「鬼太郎」
【「どろろ」はシェークスピアか?】
今回のヤンサンで話したけれど、手塚治虫の「どろろ」はすごい。
手塚治虫作品の中で「どろろ」の初期設定が1番完成度が高く、日本の漫画史の中でも屈指の出来だと思う。
「どろろ」は、手塚先生が水木先生の「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗して描いた漫画だと言われているけれど、その構造や精神性は大きく違う。
番組ではその違いについて深く語れなかったので、今回のメルマガは「その違い」について掘り下げてみたいと思う。
まず「どろろ」の主な要素について書いてみよう。
・戦国時代の妖怪モノ(旅情系)
・親子の確執
・親(先代)の呪いで失われた「自分の身体」(自分自身の可能性)
・敵となる「悪霊」
・世間からの偏見と迫害
・異形なる者の強さと美しさ
などなど・・・
並べてみるとまるでシェークスピアの物語のようだ。
対して「ゲゲゲの鬼太郎」の主な要素を並べてみよう。
・現代の妖怪モノ(日常系)
・親子仲良し
・呪われていない
・敵はその時「世間で流行ってる何か」が妖怪化したもの(など)
・世間と馴染む気はない
・異形なるものの気楽さ
・・・・うーーん・・・
比べてみると、なんだろう。この鬼太郎のダウナーなこと。
絵柄は不気味なんだけど、なんとものんびりしていて実に微笑ましい。
敵となる妖怪も様々で「敵」という存在かどうかも曖昧なのも多くて語りづらい。
そもそも、水木先生は「ヒーローなるもの」が嫌いで、鬼太郎がヒーローぶってるのは、連載を続けるために強引にチューニングさせられたからなのだ。
面白い事に、60年代に描かれたこの2つの妖怪漫画は、どちらも非常に現代的だ。
その上で、西洋的な物語構造を持つ「どろろ」と、東洋的なユートピアを描く「鬼太郎」とに別れている。
「どろろ」は「構築派」で「鬼太郎」は「あるがまま派」でもある。
調子に乗って、この2作品を現代風に言い換えてみよう。
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もう少し話を深くして欲しかった。どろろは、マダラにも影響与えているから、その漫画の歴史も、解説したら尚良かった。
あと、この番組で、東洋思想のアップデートを、おしゃってましたが、戦前までにアップデートされたのはあります。京都学派の西田幾太郎の西田哲学、主に場所の論理を代表されます。私は少ししかしてませんが、
弟子の三木清は、1945年に手紙で、西田の哲学を見直して、先にいかねばと書いており、この哲学を東洋的現実といいかえ、長所、欠点がある。その正体を見極めないとならない、言ってました。
多分、アップデートはこの言葉を指しています。
西田哲学は、当時入ってきた西洋の哲学に、東洋の論理を持って、戦わせ、融合したことから始まってます。
私は、西田のライバルの田辺元や、先にいった三木清の勉強してます。前者は場所の論理に対し、種の論理を提出し、自己と自己を生み出す共同体との対立を元にした接合により、類という、普遍性や国家の成り立ちについてのべてます。晩年は、戦争への反省からか、死者の哲学を書いてます。代表的で読みやすいのは、メメントモリになります。
後者の、三木清は国家というより、人間、そのあり方に関心を持ち、ヒューマニズムの研究をしてましたが、道半ばでなくなりました。
もし、戦後に生きていれば、昨日なくなった梅原猛の人生を大きく変えたかもわかりません。晩年の作品は、親鸞だと、言われてます。
ヤンサンの面白さは人それぞれですが、私は3つあると思います。
一つはイレギュラーな回。例えばONE先生とか東村先生とかが出てる回。夜手塚も神回でした。
もう一つはおっくんが悩みながらも(悶えながらも)言葉を紡ぎだしている回。最新の放送もラストらへんで「だめだな今日は」とか言っちゃって、とっても興味深いお話に移行しました。
そしてもちろんレイジ先生におかれましては、漫画の話や未来の話をしてくれているときが個人的には、とっても興味深いです。映画とかドラマとかを「レイジ案件」として取り上げることよりも、漫画の話や未来の話(なんでもいいです)を毎回とりあげてほしいです。
おっくんが悶えていて、なおかつ東村先生も出ていて、レイジ先生が漫画の話をしている、「少年漫画vs少女マンガ」は史上最大のロボ・・・もとい神回です!
つまり何が言いたいかというと、中二ナイト最高っていう。哲学してる二人が見たいんですよ。こっちも考えさせられるから。ファミリーがそれぞれに答えを出すんだと思うんです。二人の問いに。それが楽しい。
「どろろ」と「鬼太郎」の対比、大変面白い考察でした!twitterではどろろ派の方々がバッチバチにやりあってる状況で、鬼太郎派の私にはヤンサンが憩いの場のようになっています。玲司先生とおっくんの対立はお互いの信頼関係がある上でのプロレスなので割と安心してみれるんですが、やってるほうは消耗するでしょうね。お疲れ様です。アサーティブなコミュニケーションは日本人の多くがへたくそなので、ヤンサンではそれが可能な場として継続して欲しいです。
>>3
こんにちは。興味深く読みました。三木清は名前だけ聞いたことありました。私の理解が足りないのですが三木清はどういう新しさがあったのでしょうか?
>>4
中二ナイト面白いですよね。私は二人が楽しく喋っている姿がとても好きです。少年漫画vs少女漫画はすごく面白かったので第二回やってほしいと思ってます。
>>6
私もです。見ている方は楽しいけどやっている方はすごく消耗してるんだろうなと思っていました。というのも毎回数時間喋っていて、なのに同じ話をしていないと感じているかです。ふつうなら「これ何度も聞いたよ」と思うと思うですが、意外にない。あるんだけどとはいえ、あんまりない。聞いている方がそう感じるなら、喋っている当人たちが非常に気を使っているんだなと思っています。
>>7
まだ勉強中ですが、人間学などの、ヒューマニズムを展開された人物です。最近、有名なのは、人生論ノート。数年前にNHKで取り上げられてました。
新しさというと、これといって新しさはありません。あえて学んだ身からすると、世界や人間関係の中での、存在のしかたでしょうか。存在のしかたは、人間関係の中で作る仮面であり、自己を表現する方法とのべてましす。
おそらく、その根底に、構想力があり、欲望や創造性により、自己の要素がある。それを出すために、存在のしかたを作る。時に、使い分けたり、変化させたりしていくと私は考えてます。それが新しさかと。
彼の哲学は、道半ばでなくなり、未完成な所がありますが、私は学んでて、凄さを実感します。
彼は人間のあり方に重点をおいてるので、ヒューマニズムの哲学的基礎は、面白いです。三木清の全集5巻にあり、図書館にいけば見つかると思います。質問ありがとうございます。