人類
【人間は地球の癌細胞だ】
「人間は地球の癌細胞だ」というセリフが
映画「マトリックス」の中で出てきた。
今となっては定番中の定番のセリフだ。
なんだかもう恥ずかしい感じもする「よくあるヤツ」だ。
でも現実に起きている事を見れば見るほど「その通りでございます」と言わざるを得ない。
気候変動の深刻さもいよいよヤバい段階に入っているというのに、先日の国際会議(COP)では「効果が見込める決定」はなされなかったように見える。
「科学者の警告よりも経済競争優先」という定番のヤツがまだ続いてるのか。
噂では「石油産業からの人員」が例のごとく現場に乗り込んで全てを骨抜きにしたとか聞くけど、嘘であって欲しい。
「マトリックス」には王道のセリフが連打される。
元々が漫画家なので、実に漫画的な手法で「決め台詞」が入る。
「俺たちは奴隷にされている」
「俺たちは夢を見させられている」
「無知は幸福だ」
言い尽くされたセリフだ。
もしも今の時代の新人作家が脚本の中にこのようなセリフを入れて来たら「ベタすぎますね」とか言われそうなセリフでもある。
でもこれらのセリフが「嘘なのか?」と言えばそうとも言えない。
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マトリックス懐かしいですね。映画館に観に行ったし、パンフまで買ってすごくワクワクし世界観が好きだった記憶があります。色々と細かいギミックも凝っていますが、私が作品から受けとったメッセージはまさに「目醒めよ」の一点でした。
ブロマガの内容に少し長文での私見を失礼します。
今の混沌とした世情にも希望はあります。それは、20〜30代の若い人達の存在です。
私は昭和末期の生まれですが、自分より年下の世代、特に平成生まれ以降の人達は、我々世代とはちょっと違うまったく新しい感覚をもって生まれてきているな、と感じることがよくあります。(グローバル視点、地球規模思考というか、ヘタしたら宇宙規模でものごとを考えているのでは…と感じることも多々あります)
もののけ姫で言うところの「曇りなきまなこ」で物事の本質を見抜いている人達、といいますか。
そういう人達はあまり声高に自分を誇示したりアピールしたりせず、淡々と自分のやるべき事を行い実力を磨いているという印象です。(大谷翔平選手しかり、藤井聡太棋士しかり)
また3・11を10代以下で経験していたり、過酷な家庭環境でサバイブしてきた人達も多く、そういう方達は本当に社会福祉活動に関心が高かったり他者への共感力も高いし、地球の環境問題やゴミの問題にも意識が高いことも多く「モノや服は最低限でいい。使い捨てせずに大切にして、繰り返し使うことに価値がある」と心からそう思い実行しています。実に慎ましやかな生活ぶりに驚くとともにこちらが目を開かされる思いになることも度々です。
また今の10代や20代の人のほうが、案外と政治家の本質を見抜いている発言をするところがあります。(与党にも野党にも変なバイアスを掛けずに「この人は(この政党は)果たして何を実行してくれているのか」という冷静な視点で人物を見つめている)ふと街中の街頭インタビューなどを聞いて、こちらがドキリとさせられる事が度々あります。
または、今の小学生くらいの年代で、自然生物だったり病理学だったり、食の問題や科学的な解決方法などなどを、先入観のある大人では到底見つけられなかったようなもの凄い発想や観察眼で発見をしている子達の存在もちらほら見受けられます。(さかなクンみたいなタイプの子達です)
ただ一方で、若者の価値観が二極化しているのでは…?と感じる部分はあって、心が荒んでいたりエンタメに溺れてしまっていたり、SNSやバズりに精神が(若芽のような心が)絡めとられているのでは…と、危うく感じる子たちも多くいます。そういう人達は平気で人を傷つけてしまったり、ひとの気持ちや痛みが分からないような部分があってとても心配になります。(あるいは本質的な自己肯定感を持てないでいるがゆえにその空虚さで心が渇いてしまっているのか…と、危惧しています。)
でもどんな子達でも、自ら変わっていける柔軟さを持っているのは若者の素晴らしい特権であるなぁと感じているし信じています。
願わくはそういった人達がもっと輝いていきやすいような環境を整えたり、苦しんでいる子に手を差し伸べていくことへ大人がもっと関心を寄せ、心をくだき、明るく支援を続けられる社会であれば……そこにこそ年長者の真価が問われるのだろうし、同時にそれは大人の義務であり年上の役割でもあるのでは、と最近つくづく感じています。おっくんではないですが、学童保育の現場に携わっていると子どもから元気をもらったり逆に学ばされることが沢山あります。
レイジ先生の憂鬱が少しでも晴れますように。