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山田玲司のヤングサンデー【第16号】「甘えるんじゃない」と言ってくる人の対処法
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山田玲司のヤングサンデー【第16号】「甘えるんじゃない」と言ってくる人の対処法

2015-01-19 07:00
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    山田玲司のヤングサンデー 第16号 2015/1/19
    「甘えるんじゃない」と言ってくる人の対処法
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    手塚治虫の漫画には「甘ったれるな!」と言われて殴られるシーンが何度も出てくる。

    主人公の子供や女の子が殴られるシーンも多いのだけど、普段は「良い人」のキャラクターもしばしば「甘ったれるな」と言って殴っている。
    あの人情家のブラックジャックですら何度も人を「甘ったれるない!」と言って殴っているのだ。
    手塚先生は戦前の経済的、文化的に恵まれた家で愛情豊かに育っているのに、どういうわけだろう?

    これは戦争経験のある世代が体験した厳しさから来ているのだと思われる。
    多くの戦争体験者が「甘えは許されなかった」「よく殴られていた」と言っている。
    水木しげる先生の漫画でも、理不尽に殴られるシーンは大量に出てくる。
    確かに「甘えの許されない時代」だったのだ。

    ところが、甘えの許されない時代が終わっても、世の中には人が甘えているのを許せない人が多い。
    特に「ゆとり教育」を受けてきた世代に対しての「甘えるな」という批判は未だに続いている。
    ゆとり世代から言わせれば、激しい同調圧力と陰湿なイジメ、逃げ場のない悲惨な家庭環境で、甘えたくても甘えられない人も多いのに。
    単に授業時間が少なくなって休日が増えただけで「恵まれた世代」と言われるのは心外だろう。


    しかし、それ以前の世代がうらやましがるほど「ゆとり世代」に「ゆとり」があるとは思えない。

    自由な時間を増やして、子供自身に考える時間や試験に出る勉強以外のことを学べる機会を増やすのが目的だったゆとり教育だが、「何を教えてもいい」と言われた教師や親が「国に指示をされずに自由に考える教育」ができなかったように見えた。
    子供の頃から「こうしなさい」と言われて育った人間が教育の現場に行っていきなり「自由にやりなさい」と言われて、困惑したのだろう。

    自由を奪われて、良い子をやって、先生になったのに、自由を与えられたとたんに、どうしたらいいかわからなかった、というのは悲劇だ。


    「こうしなさい」という指示に対する回答は常に「正確」でなければいけない。
    そのための訓練を子供の頃からひたすら続けなければ「落ちこぼれ」てしまう。
    そうなると職には就けない、ホームレスになると脅されるのが、子供時代だ。

    人生が半ばになってようやく世の中の構造が見えくると、答えは「正確」であるよりも「面白い」ほうが得だったり、指示に正確に答えても「幸せ」になれるわけではないことや、落ちこぼれても簡単には「ホームレス」にならないこともわかってくる。
    自由に発想して「独創的」な仕事ができる人が大成功していくのを目撃する。

    だけど、そんなこんなで「これはまずい」と思って、あわてて「独創的な発想」や「自由な生き方」なんかを志向しても、この手の方向転換はかなり難しい。
    慣れ親しんだ「正しいやり方」以外の方法はいきなりは出来ないからだ。
    「こうしろ」という問題と回答のある世界から、「なんでもいい」という真っ白な紙の前に放り出された時、対応できない人が多いのは当然のことだろう。

    そんな人にとって、子供の頃から自由にやりたい事をすることを許されてきた人間は「気に入らない存在」かもしれない。
    たとえそれが本人が選んだことではなく、たまたま生まれた場所がそういう場所だったからだとわかっていたとしてもだ。


    この社会には「間違いを探す」という仕事がある。
    疑似脱字の処理や、計算ミスを探したりする仕事の類も多い。
    そういう仕事には「独創性」より「正確さ」が求められる。
    日本の教育はそういう類の仕事をするための人間を育てるものだったし、そういう人材が国際競争力のある製品を生み出すのに貢献してきたのも事実だ。

    しかし、その種の産業が中国やインドに移行した後には、独創性のない人間でなければ通用しない時代が始まってしまった。
    特にコンテンツビジネスや斬新なビジネスモデルの構築は「真っ白な紙の上で自由に遊べる人」が圧倒的に有利なのだ。

    「甘えるな」と言われて、正確に答えを出せるように頑張っても、その先にかつての「安定」「満足感」「豊かさ」はないのだ。


    そもそも人間にとって「甘える」ということは、そんなに悪い事なのだろうか?
     
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