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椙元さん のコメント

申し訳なくも、初めて事務員さんの記事を見ましたが、とても面白かったです。
文章が上手でとてもするする読めるし意味もわかりやすい、ニュアンスも伝わりやすい。
ニコニコ同窓会というライブがあったこと自体、この記事で知ったのですが、10年前の当時中学生だった頃からニコ動、歌ってみたを聴き続けてきた自分は出てくる名前が懐かしく、そしてビッグな名前で驚きました。行きたかった!(笑)
そうそう、昔は“お金を払ったプロのライブ”じゃなくて、同じニコ動が好きなオタク同士が「やってみようぜ!」って集まるイベントだったなぁと思いました。
同時に、今は商業として見なくては、というのもすごく納得しました。
あまり書くと止まらなくなるのでこの辺りにしますが、つまりは「(事務員さんという発信力のある方が)思ってること代弁してくれてありがとう!」と言った感じです。
No.2
88ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「この10年のお話」というエッセイを書いている僕ですが ちょっと間に挟ませていただきますね。 昨日、吉祥寺のクラブシータにて行われていた 「ニコニコ同窓会」(略してニコ同)を見に行ってきました。 いろんな方がこのブログを見てくださると思っているので 単なる思い出話にはせずに、思ったことを書いていこうと思います。 僕の今の活動は、ちょうどその10年前から始まっていました。 チャンネル会員さん向けのエッセイでものすごく詳しく書いていますが はしょってお話すると「一人のホテルで働いている男が、ある日ニコ動を 見つけた事で投稿欲が湧いてきて、投稿した所不思議な世界に投げ込まれた」 という話です。まぁ、僕なんですけどね。 あの時の僕達、みーんな「ライブをやりたい」って気持ちがあって でもそれはなかなか出来なかった。誰も作ったこともないし、 ましてやお金が絡むことをネット上でやりとりするわけにもいかないし あとは、さんざん叩かれる。だからやれなかったんだけど でも、それでもやろう、って「もうどうにでもなれ!」っていう 気持ちの人がいっぱい居たような気がしてた。 「ニコニコ同窓会」というイベント名を最初に見た時に 「これは誰かがやらなきゃいけない、 誰かがやるべきなイベントなんだよな」って思った。 この名前付け(ニコニコ同窓会というタイトル)にも感慨深いものがあった。 あの時のもっぱらの話題は「自分たちの作るイベントに"ニコ"って付けて 後から潰されたりしないか??」という内容だったから。 結局、「ニコサマ(08'夏)」や「ニコニコ年忘れ(08'冬、09'冬)」で ”ニコ”という言葉を使っても大丈夫だった。(ちゃんとドワンゴに確認しに行ったよ笑) ライブのタイトル決めっていうのはすごく重要で そのタイトルだけで、ある程度の雰囲気が分かるものにしなきゃいけない。 「Stars on Planet」って聞けば、なんだか宇宙的な感じがするしね。 (手前味噌で申し訳ない) 昨今のライブはタイトルに「ニコ」と付ける事は、もう少なくなってきた。 簡単に言えば”ダサい”んだよね。 でも、今回のイベントを見て「ニコニコ同窓会」って <こんなピッタリな名前あるかな笑>って思った。 略して「ニコ同」。完璧じゃないですか。 一瞬でこれは”ダサい”ライブなんだってわかる。 この”ダサい”感じは、10年やってるあの方々(当然、客を含む)じゃないと作れないし ”ダサい”お客さんと出演者さんのあの究極の混じり合いは、なかなか作れない。 いや、もう作れないはずだった。 そう、アレに近い。『ディスコ』。 ジュリアナ東京が復活したみたいなもんだ。 「ダサい」はつまり、かっこいい。 この後、チャンネルさんへのエッセイでも書くところなんですが 簡単にこの世界のイベントの移り変わりを説明すると ライブを興そうという流れが起きる ↓ ライブを実際に作る人が出てくる ↓ 東京でポツポツと”ニコ動系”のライブが作られるようになる ↓ 最初大阪に派生し、一気に日本各地でライブが作られるようになる ↓ ライブが”コンセプト”を持ち始める(「10代ライブ」とか) ↓ オムニバスライブ(色んな歌い手さんが出る形式)を企業が主催し始める ↓ 歌い手がソロでライブをするようになる ↓ 〜〜〜 この時期長い 〜〜〜 ↓ ほぼ「企業主催のオムニバス」か「歌い手ソロ(orユニット)」になる。 ↓ フェス形式で作られるようになる ↓ いまここ という、感じですかね。多分。 で、いまこの「ニコ同」で見てるのって この中で言えば「最初大阪に派生し、一気に日本各地でライブが作られるようになる」 の前くらいまでの世界観なんです。 だから、コンセプトなんて、無い。 「コンセプトなんて、無いよ」っていう。そういうコンセプト。 その当時にみんなが聞いてた曲は、この場所にいる全員が聞いてたもの。 分からない曲なんて、なかった。 (というより、だいたいあの時伴奏で弾いてたわ…) だから本当に「7年ぶりに聞く」とかいう曲もちらほらあって だけど無意識に掛け合いが出てたし、お客さんもそれを自然と口から出す。 リズムも不思議と全部覚えてる物で、いやぁ…覚えてるもんっすねぇ… 隣りにいる人も、多分同じことを思ってた。 体が覚えていた掛け合いが口から出たことで その瞬間その瞬間に、不思議な笑い声が出る。 「そうでしたね、こういう掛け合いがありましたね。 みんな覚えているんですね。僕もやってしまいましたよ。」という 意味を含有する笑いが、知らない人同士で沸き起こる。 「あー、そうだ。(※あえて敬称つけずに言えば)<歌い手>と<客>っていう くくりが無い時代だったんだ」 客は客ではなく、仲間だった時代というのか。 僕は↑この感覚を、ある時期に捨てようとした。 これが本当に大変だった。すごく寂しかったんだけど そうせざるを得ないときがあったんだよね。 つまり「客は仲間だ!」っていう感覚を、お客さんもそうだし 僕もそうだし、何より世界が変わっていく中で 「客は客だ!」っていう感じに変えなくちゃいけなかった。 良くも悪くも取れると思うけど 「この活動を長く続けよう」と決めた僕は ある程度 "商売気質" に転換しないと続かないって思ったんだ。 (これは「儲けなきゃ」ともちょっと違って 「設営に当たっての関係企業とか出演者さんに対して 決算に明確な説明をつけなきゃいけない」って感じかな…) ごめん、なんか変な話になったけどつまり 「僕にはもうこんなすごいライブ作れないんよ」 って見てて、正直に思いました。 愛と仲間と思い出で作られるライブなんて もうもはや、見れないと思ってた。 だからこそ、すんごい気持ちよかったし すごい感慨深いものがありました。 なんだか「これ今ぼく見てて良いのかな」って思いました。 もしこの文章を読んでくれてるあなたが、最近の歌い手さんを ご存知の方だったら。 そうだなぁ。 まふ君と、そらる君と、天月君と、歌詞太郎君と、りぶ君と 96ちゃんがいきなり最初にズラッと出てきて 浦島坂田船(ユニット)が出てきて、特別ゲストでSou君(当時若かった系)が 出てきて「いやーもうアラサーですわー」とか言いつつ 米津玄師君が出てきて、最後全員で恋ダンスしてるみたいな衝撃。(※10年後にです) 「これ、今ぼく見てて良いのかな」って思う気しませんか…笑 出演者のみなさん。 のど飴さん Re:さん Jさん 社長 やまだん 湯毛ぽ ASKっち ピコ ゴムさん  かにぱんさん  nayutaさん 転少女さん うささん  いさじさん  yonjiくん みなさん本当に全然お変わり無くて 変わらぬ美声(辛そうになってるのもまたご愛嬌www)! 「そうそうそうそうこれだ〜〜〜〜〜!」と言ってばかり。 おとなになって食べなくなった駄菓子をふと久しぶりに食べた時に感じる 「ここまで細かく覚えてるものなんだ、味を」という感覚。 あの場所に居られてよかったあ。 そして終演後、周りを見ると「あの時見てた顔」ばかり。 僕の1番初めてのアルバムのデザインをしてくれた (そして僕にTwitterを教えてくれた)れい君が居たり 僕の初代「事務員Gスタッフアカウント」を運用してくれたmoriさんが居たりと もうなんかもう、もう。 もう! ってかんじですよ。 「ここはどこ?いま平成何年?」って聞く映画の主役の気持ちがよくわかりますわ。 カメラのKSK君はあの当時も確かカメラやってたし スタッフさんも、あの当時のイベントを支えてくれてた方ばかりで そこまでさえも”同窓会”なのか!?という気持ちでした。 10年続く「歌い手」というお店の、オープニングメンバーが OB/OGとしてお店に戻ってきた昨日の「ニコ同」。 あのマインドは、姿や形を変えていまでも継承されてます。 その源流の水の味を飲めたこと。 「あの空気」を、お客さんとも一緒に(※重要) もう一度作り出したこと。 そしてこれが、まがいものの味じゃなかったこと。 海原雄山だったら「むぅ、この味は!」と涙を流すことでしょう。 様々なご苦労をされたであろう制作スタッフさんと歌い手さん 本当にお疲れ様でした。 常に新しくしていないと、とこの10年、緊張の糸が張っていた僕だったけど 昨日だけでもかまわないからとりっぱな懐古厨になれた。 素敵な夢を見させてくれてありがとうございました。 昨日は、10年前そのものでした。
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