wolfさん のコメント
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またやってしまった。 最近、この手の失敗が多い。 「18時受付開始」のはずなのに、脳内で反芻している間に 「18時開始ってことは、17時受付開始だな」と勝手に考えてしまうクセ。 そのお陰でどうも、1時間ほど次の現場周辺で暇をつぶすハメになることが多々。 「めっちゃ楽しみにしてた人」みたいに見えるのもアレなので 40分ほど近所の喫茶店(そういえばこの店も先日みきとさんと来たな…などと思いつつ)で アイスティーを飲みながら時間を潰し、会場に来てみた。 「まさか18時受付開始で時間早々に来るのは自分だけだろう」と思っていたら 受付スタッフが「みんな来るの早すぎ」と焦っている。 中を覗くとすでに懐かしい面々が談笑している。 「なんだ、みんな来るの早かったのか」とほっとする。 === 昨日は「ボカロP同創会」と銘打たれた飲み会に参加してきた。 buzzG、みきとPが幹事となり「ボカロPを集めて飲む」という 至極シンプルな内容の飲み会である。 実のことを言うと”この手の飲み会”に関しては 一昔前までは良く僕自身が企画していたのだが、ある時を境にしなくなった。 なんというか、その当時のボカロPは「ちょっとした共闘組」とでも言うべきか スクラムを組んで「ボカロ?なんですか?」的な勢力に立ち向かっている様な 時代だった(と少なくとも僕は思っていた)のだが、 そんな時代も変わってきたと感じたのが理由なのかもしれない。 以前から個人的にみきとPとbuzzGと飲んでいると、たしかに 「飲み会多かったよな〜」という話になりやすい。 さて。 そういうのを企画しなくなって早5年。 「久しぶりに飲もう」的な話が湧き上がったと、ある日電話が来た。 幹事はbuzzGとみきとPなのだが、その周りにいわゆる関係者が複数名いて 僕の動画やイベントでも主に音周りを担当してくれている人や、 その他、ボカロ文化を一つの文化にしよう大作戦的な時代に獅子奮迅の 立ち回りをした人物数名が実行委員にまわって下さった。 彼らはいわゆる「レコード会社さん」と言われる人なのだが 世代も近い事もあり、ボカロPと並走して時代を作ってくださったと言っても 過言ではない。対仕事の関係値とは別のものがある、いわば、仲間である。 「さすがに、この10年で連絡が取れなくなった人も居るので…」と言うので あらゆる人にあらゆる方法を使って連絡を取る そんな役回りでほんの少しだけお手伝いさせて頂いた。 古い携帯電話を発掘して電話番号を調べたり、LINEでウン年ぶりに連絡をしてみたら 最後の履歴が5年前だったり…と、こういう連絡作業をしている間にも 「なんだかすごいものになりそうだ」と思っていた。 そもそも、僕はボカロPではないのですが この貴重な機会に思い出してくださったことに感謝しています。 (文体的にちょっと偉そうなのでここだけ変えました笑↑) 物理的な距離で参加できなかった方、 どうしても用事があって参加できなかった方、 ”真性のひきこもり”なので辞退された方など諸々の理由で 名前を連ねられなかった方もおられるが それにしても100人を超える参加者が集まったのはすごい。 「当日参加はしていたが『諸般の事由』で名前を明記できない方」もおられる。 これに関しては「旗(各自がサインを入れて思い出にする用)に名前があった方」の 話しかしないが、刑事訴追の恐れがあるので事情はお察しいただきたい。 (念のため言っておきますが冗談です…笑) <覚書も兼ねて、自分のことばかり話してしまうがお許しの程を。> 都内某所のバル。 フロアはL字型になっており、大きく分けて2つのスペースに分かれていた。 一番奥は荷物置き場。 入店早速「10年選手の集まり」を見つける。 そこからの話しは「◯◯年ぶり、□□□(イベント名など)以来ですね」ばかり。 よくまぁ覚えているものだ。 キャプミラさんの「鰻屋さんで串の鰻を食べた以来」とか tokuさんの「羽田空港でばったり会った以来」、 花束Pさんの「6年前、お花見の帰りに電車で話した以来」、 流星P(みなとP)は「新宿のしゃぶしゃぶ屋以来」、 悪丿Pさんに至っては「多分ボマスの時に挨拶した以来」などと 記憶をたどる作業ばかりだったので頭がクラクラしてきた。 ナノウさんは「ウチに遊びに来てくださった以来」 halyosyさんは「某D社のロビーでばったり会った以来」 ナナホシさんは「大阪のライブでご一緒した以来」、 西沢さん、10日P、はりーさんは おそらくコミケでの挨拶が最後だろう。 大柴広己さんとは初めてお会いしたが 「先日ワケあって『さよならミッドナイト』の楽譜を書いたんですよ」 とお話する。(その後はなにやら40mPと話し込んでいた) ひとしずくPさんとも「soundless voice」の採譜に苦労した話をした。 そんな中、「丸10年ぶり」の人が居た。 ryoさんである。 supercellのryoさんは、2008年5月に作った 初の主催ライブ「事務員Gの音楽寅さん」にゲストとして 出演してくださって以来お会いしていなかった。 時は流れて2018年の4月。ついに丸10年ぶりに挨拶できたのである。 「こういう飲み会2回目なんですよ。 1回目が事務員さんの。2回目がこれです。」と仰る。その間、10年。 IKKOさんなら迷わず「まぼろし〜」と言うだろう。 40mPが現れるが、自分の中でレアキャラではないのでほっておく。 会場のすぐ横にある居酒屋が個室で使い勝手がよく たびたび打ち合わせに使っていたので「40サンの席はそっち(隣の店)です」と 冗談を言う。 電ポルPに「唯一歌ってUPした動画が『独りんぼエンヴィー』である」旨の 話をしてご挨拶。「桑田さんの!笑」と言ってくださった。 モゲラッタさん、ヤマコさんら、絵師の方とも ハニワ関連の話しなどでご挨拶。 はるまきごはん君が現れたので、例の話をして茶化す。 途中疲れたので、kemu君の席で一定時間休む。 横を見ると鬱P、アゴアニキ、梨本ういさんなどが集まっていた。 まふまふ君は最初は居場所を見つけようとウロウロしていたが kemu君やneruさんのあたりで落ち着いたようだ。 (途中Neruさんに「Neruです!」と声をかけて頂いた時、 周りが騒がしくて「……何飲んでるんです?」と聞こえてしまい 一瞬戸惑ってしまったことをお詫び申し上げたい…) 会も終わりごろになると、 [検閲されました] 君はワインボトルを片手に [検閲されました] さんに「飲め〜!」と煽られつつ [検閲されました] しており 挙句の果てには [検閲されました] で [検閲されました] てしまったので 週刊なんちゃらの地下鉄の中吊り広告を飾ってしまう前に 新型の東京無線に押し込んだ。 良い笑い話である。(この二人は初対面だそうだ…笑) 押し込む際 [検閲されました] 君は「あいつにやられた〜!」等と 相当悔しがっており、相手の [検閲されました] さんは タクシーに向かって大笑いしながら中指を立てていた。 別席ではミックスエンジニア軍団が集まっていたので 「もうもはやtomさんやyasuさんはラーメンの話しのイメージ」 …と新しいラーメン屋情報を引き出す約束をする。 同時に、この会にどうしても参加できなかった 椎名もたさんと、samfreeさんの事を思い出すなど。 うん、書ききれない…! 途中からは「◯◯さんってどこに居ます?」と聞かれて連れていく係みたいに なっていたが新旧織り交ざったこの店内のカオスっぷりは何なのか。 総じて思ったことは 「この10年が、陸続きだった」と再認識した、ということ。 ボカロが登場して、広まって、いろんな事があったが その思い出一つ一つは単品でも、ずらーっと並べたら 今目の前にある「この会場」の様になるのかな。と思う。 ボカロ暗中模索の時代から、CD化の時代へ。 一つのジャンルとして確立、認識されていった。 商業作家になっていった人も 趣味で楽しんでいる人もいるが ここにいる人はみんな空想世界の中の人では無く。 「あなたの作品を聴いてボカロを始めました」の連鎖が 所々で沸き起こっている。 作品の向こうに多分居るはずの”曲を作った人”が集まっている事が なんだかすごく面白くて、不思議な気分になりながら眺めていた。 ====== 幹事・実行委員の皆さま。 改めて、この会を企画してくださってありがとうございます。 そしてまた是非、いつかどこかで企画していただきたいです。 僕にとってのまさに「同窓会」。 ずっと続きますように。 <おまけ> 二次会が終わって「三々五々!」という声が聞こえたので 解散するためにエレベーターで1Fへ。 (しかし残った人たちでそこで三次会をしてたらしい…笑) その後、まふまふ君とkemu君と他数名が 「込み入った話をしたいので事務員さんちに行きたい」と言い出したので タクシー2台でウチに来て、結局5時くらいまで飲んで帰っていった。 眠さで死ぬかと思った。…のだが、建設的な話ができたとおもう。 普段は多忙でなかなか話す機会のない数名が 襟元を開いて音楽論を展開する様子を見て 「同創会の副産物」だなぁと思う。 僕は、そのうしろで貝のお味噌汁を作っていた。 僕は何年経ってもこの立ち位置が一番好きだ。
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