風が吹いている。おれは、その風を肌でしっかりと感じながら、レンジローバーの後部座席で揺られている。黒々とした車体に鼻先の長いボンネット、長方形のヘッドライトに挟まれるようにしてあるマスクのかかった吸気口は、どこか動物の顔に見えないこともない。屋根にはヤキマ製のルーフキャリアが備え付けられており、リュックやRVボックスといったものが乱雑にしばりつけられてあった。
道は申し訳程度に舗装が施されているものの、ひどく傷んでいて、その凹凸をしっかりとタイヤが拾うものだから揺れがひどい。後部座席は特殊な造りになっていて、背もたれが運転席と助手席のそれと背中合わせでくっついている。車体自体は、一見すると世界中のどこにでもあるようなSUVであるが、これは特注車だった。戦うための車である。当然、重量も民用車のそれとはけた違いである。快適性を上げるものは一切合切そぎ落とされている。シートもサスペンションも硬く、小石を踏んだだけでも、車輪とシャーシを通して臀部のあたりからそいつを踏んだとまざまざと確認させられる。小刻みに、そして不規則に車が振動する。そのたびに、シートにガタがあるのか、ボルトが緩んでいるのか、エンジンと風の音に混じって金属のこすりあわさるような音が聞こえてきた。
窓は開けている。乾いた砂と空気が入り込んでくる。車内に入ると、それは途端に、中に乗り合わせる四人の男たちの汗や脂とまざりあって、蒸し暑さに変わる。サングラスの縁から、肌色の砂埃がぱらぱらと入り込んでくるのが分かる。砂は汗と結合して肌にまとわりつく。不快感から視線を足元に落とすと、抗弾ベストの右胸にファーストネームの「K」とファミリーネーム、それから会社のロゴと血液型が印字されたベルクロ式のプレートが目についた。大腿部には小銃が横たえてある。砂塵が収まり、Kは再び視線を上げた。首元に巻き付けてあるアフガンストールで首や頬の砂を拭うも、かえってその塊はさらに細かく砕けて広範囲に広がった。皮膚全体に擦過するのが分かって不快感を増す。舌で、乾いた唇をそっとなめる。砂糖のような触感の、しかし決して溶けることのない砂が口中でじゃりじゃりと音を立てた。顔を窓の外に向けてつばを吐く。泡のまじった白濁した塊は、窓の外に飛び出すやいなや、風圧でより速度を上げて視界の外に消えていった。隣にいる男を一瞥すると、性別以外、共通点の見つけようのない男が、先までの自分と同じく外に視線を向けていた。無論、サングラスのために具体的にどの方位にそれが指向されているかは定かではなかったが、きっとその奥には、どこか飢えた獅子のような鋭い眼光があるだろうことは容易に想像できた。おれたちは傭兵だ。お金のためだけに、信義も国威も何もかもをうっちゃって武器を使うことを生業とすることを傭兵と呼ぶのであれば、紛うことなく傭兵なのであろう。もっとも、この呼び名を嫌う同僚もいるし、頓着しない同僚もいる。結局のところ、人それぞれというのは、結論ではなく、大前提なのだということを、ここにきて改めて知った。むろん、おれは後者である、とKはわざわざ宣言はしない。なぜならば、自ら公言しないものは、その手合いだからだ。この呼び名を嫌う連中は、殊更にこの紛争地域に対する貢献だとか、復興を強調し、呼び名にこだわる。そんなことは全くの無意味だ。
オペレーターとかコントラクターとか社員とか、いわゆる民間警備会社側はこの名称で我々のことを言い表わすが、些末なことであった。
また外に視線を向ける。時折すれ違うトヨタのピックアップトラックだとか、走っているのが不思議なくらいボロボロな、しかし運転席にはじゃらじゃらと、きらびやかでエスニックな装飾品がクリスマスツリーみたいにくっついているボンネットトラックが通っていく。運転席には、ターバンやアフガンストールを巻いた男が、あるいは家族連れが窓から肘だけを突き出して、そして表情だけがKたちとは対照的に、どこか陽気な面持ちで、あるいはしかめっ面で、無表情で、にやつきながら、怒鳴り散らしながら、歌いながら過ぎ去っていく。
※1月16日(水)17時~生放送