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【第162回 芥川賞 候補作】木村友祐「幼な子の聖戦」
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【第162回 芥川賞 候補作】木村友祐「幼な子の聖戦」

2020-01-10 14:30
     はじまりは、約ひと月前の六月下旬。村長の蓑田(みのだ)が、三期目の途中で突然辞意を表明したのだった。糖尿病を患い、体に負担のかかる村長職をつづけることができなくなったと説明していたけれど、実際の理由はスキャンダルがバレたからだ。自分が所属する栄民党の国会議員を接待するために、県出身だという無名のグラビアモデルを東京から呼び、裸にバスタオル一枚のモデルを囲んでその国会議員と県議数名と村長が露天風呂に入って酒を飲んだという。
     極秘の接待だったはずが、どこかから情報が漏れて、『男性自身』というコンビニでも売られている週刊誌に「ハレンチ村の酒池肉林」という大見出しつきで記事が掲載された。蓑田は「事実無根」だとして辞めるつもりはなかったのだが、地元の新聞に村の女性が書いた「女を接待の具にするような村長はいらない」というタイトルの投書が掲載され、その新聞が役場にはもちろん村の全戸に配られると、その日の午後から役場前に女たちが集まり、村長の行為は明確な女性差別だとして連日抗議の声を上げるようになった。
     役場前で集会なんて、おれは生まれてこのかた見たことがなかった。たぶん親の世代の人間も見たことがないだろう。まして、男がやることには「しょうがねぇな」とあきらめるのが習いだった村で、女が女の尊厳を訴えるという事態は前代未聞といっていい。
     とはいえ、村議になってこの一年あまり、蓑田の尊大な態度を間近で見てきたおれは、そこまでの騒動になっても辞めるわけないと思っていた。それが意外にもあっさり辞めることになったのは、田舎じゃ国会議員のように知らぬ存ぜぬで切り抜けることはできないと観念したのか、だれかから何か言われたのか。
     おれがそれをはじめて知ったのは、「人妻クラブ」のA子に陰毛を剃ってもらった日の夕方だった。人妻クラブというのは、セックスを楽しみたい女を数人の男らで共有する、ごくちいさなサークルのことだ。知り合いから知り合いへの口コミだけで成立しているもので、とくに正式名称はない。おれが勝手にそう呼んでいるだけだ。女にはせいぜいメシ代をおごるくらいのもので、基本的に金銭のやりとりはない。ただし、性行為における相手の要求にはちゃんと応えるべき、という暗黙のルールはある。
     おれがまだ村議になる前、東京暮らしを引き上げて村にもどってきたばかりのころだ。親父が会長をつとめる運送会社の事務所の雑用をしていたとき、喫煙所でなんとなく話をかわすようになった経理の武井という男が、クラブのことを教えてくれた。こいつなら話してもいいだろうという勘が働いたのかもしれない。聞いたおれは、まさか、そんな夢のような話があるわけないだろうと怪しみながら、仲間に加わった。東京から弾きだされた敗北感に鬱々としていて、「どうとでもなりやがれ」という思いだった。すると、ほんとうに女たちは、強制でも小遣い稼ぎでもなく、日ごろの鬱憤を晴らすために参加していた。ただ、別の見方をすれば、セックス依存にならざるをえない事情を抱えた女たちに、男たちが群がっている構図ともいえたけれど。
     おれがクラブの常連になってから、武井はよく「おなごさ敬意を持だねぇばわがねぇ(ダメだ)」と言っていた。「敬意を忘れずに、ケツ上げさせでドカンとぶちこむのせ」と。武井はクラブがある日は、パンパンになるほど様々な性玩具をつめこんだキャリーケースを引いて出勤していた。
     メンバーは今のところ、三十代から四十代の女が三人、男は七人。つまり、ほかの男たちといかがわしい“兄弟”になるわけだが、おれとすれば、その汚らしい淫靡(いんび)な感じもふくめておもしろかった。そういう抜け穴のようなものがないと、この村の暮らしに、というより、何かをなしとげることはもうないとわかっている自分の人生そのものに耐えられなかった。
     夕飯の支度があるというA子が自分の車で十和田方面に帰るのを見届けてから、おれも親父からのおさがりの車を運転して帰った。運転していてもラブホテルの髭剃り用カミソリで剃られた股間がスースーする違和感が否めなかった。たかが陰毛だが、なければ妙に心もとない気持ちになるらしい。何も自分から剃ってくれと頼んだわけではなくて、いつものようにあっさり果ててしまった一回目の行為のあとで、まだ燃焼しきれていないA子はなんとか二回目に入ろうと、おれのくたくたになった肉塊を復活させようとしていた。そのとき、陰毛に白い毛がまじっているのを発見したA子は「この際、剃ってまったら?」と、いたずらっぽく提案してきたのである。
     おれが極度の早漏でもバカにすることのないA子は、年寄りじみたおれの白い陰毛を見ても軽蔑することはなかった。おれより六歳年下の、三十八歳になる彼女は、歳をとることの悲哀を男のおれなんかよりもずっと感じているのかもしれない。小柄でやや太めのA子の局部がつるつるに剃ってあるのにもそういう事情が隠されていたのかもしれないと思えば、こうしてただ遊ぶためだけに会う間柄であっても、切なさや愛おしさが湧いてくる。A子の名前の漢字をおれは知らない。彼女が自分を「エイコ」だと名乗ったとき、漢字を聞いても微笑んだだけで教えてくれなかった。だからおれは「A子」と文字をあてた。エイコが本名かどうかもわからないし、当然、苗字も知らない。けれども、おれを嫌がることのないA子と会っているときだけ心がくつろいだ。最近はA子とだけ遊んでいた。
     おれはA子の提案に乗るかたちで、ベッドの上で脚を大きく広げ、折った両膝を腕で抱えて局部を天井に向ける格好になって剃ってもらった。お湯であっためたタオルで蒸して、泡のボディソープを塗ったところを剃っていくA子の慎重な手つきに、はじめは緊張していたおれもやがてすべてをゆだねる赤ん坊の気持ちになって、思わず「ああ。ママァ……」とつぶやいていた。実際の母親は「かぁちゃん」と呼んでいるのにだ。
     まだ陽が落ちるまえの明るさが残る道を、陰毛のないおれが車を走らせている。左はタバコ畑、右はヤマイモ畑に挟まれた、山の上にある見晴らしのいい道を走っていると、向こうから軽自動車がやってきた。整髪料でベッタリ前髪をうしろになでつけた男。農協職員の長沼だ。保育園から中学までずっとクラスが一緒だった男で、今でも会えば、保育園時代におれをいじめたときのようにマウンティングしてくる。話せば面倒なので、急いでいるそぶりで車の速度を上げながら会釈して通り過ぎた。長沼はなんのつもりか、ニヤニヤ笑って人差し指と中指をそろえてピッとこちらに向け、ピストルで撃ち抜くようなしぐさをしてみせた。いちいち優位に立ってるとみせたい野郎だ。おれは鼻でせせら笑った。こっちは陰毛剃ってんだぜ、知らねぇだろ。
     カーステレオから、昨年の大晦日の紅白歌合戦にでていた女性アイドルグループの曲 「トリクルダウン」が大音量で流れていた。

      巻かれろ 巻かれろ 大きな力に 
      アタマの中を真っ白に 抵抗しないで
      巻かれろ 巻かれろ 大きなハッピーに
      天から降る蜜の雨 君よ飲み干せ

     A子に絞りとられてすっからかんになった股間の空洞に、健康な若い雛鳥を思わせる女たちの歌声が響くのがこそばゆい。この世にはハッピーなことしかないのよ、何暗い顔してんのバッカじゃない、という彼女らの天真爛漫な挑発がムカつくが、ムカつくからこそメンバー一人ひとりの顔を浮かべながら股間で聴いている。まさに日本中が、高い支持率に支えられた長期政権の大きな力に巻かれていくさなかのメガヒット曲だった。「蜜の雨」なんか一滴も落ちてはこないのに、みんな嬉々としていつまでも大口を開けて待っている。村長も、村役場の忘年会のカラオケでこの曲を歌っていた。
     影が濃くなりはじめた山道のカーブに合わせてハンドルを切っていると、スーツのジャケットに入れていたスマートフォンに着信があった。村議会の議長の駒井からだった。道の脇に車を止めて電話にでると、「ああ、蜂谷(はちや)さん、今だいじょぶだが?」と急いだ口ぶりで聞いてきた。
    「村長が、辞任するごどになった。明日、発表する」
    「えっ? ホントですか? 辞めんですか?」
    「んだ。おらも先た聞いだ」
    「へええ! あの人は、ゼッタイ辞めねぇど思ってましたけど」
    「んだ、おらもそう思ってだ。どったら心変わりだが知んねんどもな。んで、問題なのは、次の村長をどうすっかだ」
    「え、選挙で決めんじゃないんですか?」
    「そうなんども、選挙さなれば、大ごどだのよ。だれさ投票するがで村が割れでまう。なるべぐ穏便に済ますには、おらんどで内々に決める必要があんのよ」
    「そういうもんですか」
    「んだ。だすけ、これまでずっと、無投票当選で村長が決まってきたんだ。蓑田さんだって、そやって村長つづげできたんだおん。んで、早速明日、村議会のあどにみんなで考えてんども、蜂谷さんは、時間だいじょぶだが?」
    「ああ、おらはだいじょぶです」
     村のリーダーを自分たちだけで決める。田舎らしいといえばそうだが、国のリーダーが政権をとる党内の選挙だけで決まってしまう日本の政治の縮小版ともいえる。おれが村議になったのも、ふたりいた村議が病死や高齢を理由に辞職して空いたところに、親父が当選確実になるように根回ししておれを押し込んだからだ。「いが(お前)、ぶらぶらしてんだば、村のためになんがやれ」と。選挙費用も親父がだしてくれたけれど、どうせ、自分が興した会社の後継者に長男であるおれを選ばずに、妹の旦那を選んだことがうしろめたかったんだろう。ともかくそんなわけで、村をどうにかしたいというビジョンも気持ちもはじめから持ち合わせていなかったおれでも、人口約二千五百人の村のリーダーを決めるという特権を持っているのだと、このときおれは気がついた。村議という立場がもつ力を感じて、ちょっと恍惚とした。
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